黒泪の能力者

薄藍新茶

第1話



 雄たけび、悲鳴、馬の嘶き。

 刀を手に、槍を手に命を散らしあう男たちは、ふと、突如視界が陰り空を見上げた。

 お天道様が、こんな時間からお隠れになったのか。そう考えたが、そうではなかった。


「ひいっ!」


 一人、また一人と空を見上げて、悲鳴を上げて戦場のただなかで血の浸み込んだ赤黒い土地へとへたり込んでいく。すでに雄たけびなど聞こえることもなく、戦場に響き渡るのはどうしようもない掠れた悲鳴ばかりとなった。


 空が、裂けている。


 まるで絹でも引き裂いたかのような、歪に裂けた空の先には何もなかった。月も、星も、何もない。ただ闇が広がる空を見て、人々は争っていたことすら忘れて揃いも揃って同じように逃げ出した。時には敵同士手を取り合い、とっくに武器など打ち捨てている。どう足掻いても、あの天には届かないのだから。


 しかし、戦場に広がる悲鳴も人々の心の機微もまるで関係ないと言わんばかりに、突如その黒い空は波打った。やがて、その重さが耐えられないと言わんばかりに、だらりと空が溶け出す。みるみる膨らんでいく雫に、ああ、と一人の男がその天を見上げながら足を止めた。


「天下とは」

「殿、お逃げください!」

「何処へか。あれを見よ。天の雫は人には大きすぎる。……我等が目指した天下とは、なんなのであろうな。あのようなものが、天なのであれば」


 崇めるべき『日』は裂けた天の先か、それとも天と共に裂けたのか。


 やがて耐え切れなくなった雫は大地へと落ちた。森も海も山の先までも飲み込んだその黒い海は、なぜか、人も、獣も、虫や植物すらも――生きるものたちを押し流すことはなく。

 わけがわからぬその光景の中人々が見たのは、雫が落とされた天の穴から覗き、混乱する人々を見つめる……巨大な、目玉であったという。





 ――20XX年、春。


「で、あるからして、君たち丙種の者たちは甲種の皆様に対し悪逆非道の限りを尽くしてきたわけだが、こうして甲種の皆様からの慈悲にて学ぶ機会に恵まれたことを幸運に思うべきである」


 壇上ではスーツに身を包んだ初老の男が、やる気のない声で言い慣れているらしい言葉を、何の感情も滲ませることなく語っている。マイクを通しているが、聞き取りにくいくぐもった声だった。

 隙間風が端に座る女生徒の髪を揺らした。窓は煤け、ガムテープで割れたところを補強しているようだ。床は木板が少し盛り上がりはげかけていて、昔は引かれていたのだろうコートラインはほとんど剥げて消えている。そんなおんぼろとも言える古い体育館に集められた生徒たちは一様に呆れ、もしくは疲れたような表情を見せていて、着慣れぬ制服に身を包んではいても、とても、新入生の華々しい入学式とは思えぬ様相であった。

「何百年前の話だってーの」

 ぼそりと呟く声が聞こえた一人の少年が、ちらりとそちらを見る。するとそれに気づいた不満そうな表情の少年が、にやりと口角を上げた。

「そう思わね?」

「ま、確かにな」

「だよな」

 ひそひそと言葉を交わすが、壇上の男も、壁際に立つ教師らしい者たちも、それを咎めることはなかった。古い体育館校舎は外の騒音すらほとんど遮ることなく、マイクも雑音混じりである。

「オレ、帆多流ほたるしゅんな。おまえは? 黒縁眼鏡くん」

「眼鏡くんじゃねぇよ、その呼び方やめろ。都美山とびやま桜深おうみだ」

「ほいほい、これからよろしくなー。なぁなぁ、その髪、染めてんの? わかりにくいけど光の下だとめっちゃ綺麗だな、青っぽい黒っての? ブルーグレー? もしかして能力色?」

「さぁな。そういうおまえは染めてんだろ?」

「わかる? めっちゃ気に入ってんの、シルバーアッシュ! おっ、そろそろ終わりそう。つかあいつら偉そうなこと言ってるけど、オレらと同じ丙だよな? めんどくせー」

 不満を零しつつ、俊と名乗った少年は姿勢を崩した。椅子すらないとか、と小さく笑っているが、その嘲笑は恐らく自分たちの境遇に対してのものだろう。同意するように同じく片足に体重を乗せ姿勢を崩した桜深は、くすんだ窓から空を見上げる。青い空に、白い雲。屋根に隠れているが、太陽もきっと変わらずそこにはある。



 数百年前世界中を襲ったという災厄『闇夜の海』は、生きとし生けるものの魂に刻まれるような恐怖を残した。だが、たった一日で元通りの色を取り戻したという。


 しかしその日より、人々には大きな変化が現れた。


 例えば、頭に狐のような耳、鹿のようなツノが現れたものがいた。

 例えば、水を意のままに操れるようになったものがいた。

 例えば、何気ないひと時のなかで、突如芯から冷えるような恐怖を感じるものがいた。


 あの天の黒い水、『黒泪こくるい』のせいではと推測はされたものの人々は混乱した。そして突然得た強大な力は、直前の強い恐怖に煽られてそれまでの常識を揺らがせてしまった。不安から生まれた鬱憤の矛先は、人に……いや、突如異形と化した人々に向けられたのだ。


 化け物、と。


 彼らは突如得た身体を制御できず、暴れまわるものもいたのだ。

 獣の耳やツノといった姿を得たものたちは、水や炎を操るものたちよりも数が圧倒的に少なかったことも災いした。


 異形を持つものたちは次々に姿を消した。消された。だがその頃、世界には新たな異変が起きるようになり始めた。

 突如、何の力も持たないと思われていたものたちが顔色を悪くしたかと思えば、忽然とその場から姿を消す、ということが相次いだのだ。

 神隠しか、と、続く災厄に人々が恐怖したのは言うまでもないだろう。


 そんな恐怖に人々が恐れ逃げ回っていた中。一人の、風を操る力を得た青年が、その人々が消える現場に居合わせた。穴だ。突然地面がぐるりと円を描いて穴となり、人々を飲み込んだのである。

 正義感の強いその青年は共に穴へと飛び込んだ。なんとそこは色こそ褪せているものの地中ではなく変わらぬ風景が広がっていて、同じように落ちた人々が困惑して周囲を見回していたという。

 だがやはり、異なる場所であったのだろう。

 色褪せた世界で帰り道を探る中、人々はあっさりとその命を散らしたという。……大きな蛇のような化け物に喰われて。


 だがしかし、共に飲み込まれた風を操る青年は、その力を駆使して化け物を倒し、その褪せた世界を壊して脱出したのだそうだ。

 この異能の力はこの化け物を倒すために天より与えられたに違いない。祓う力、そのまま祓力ふつりょくと呼ばれるようになったその力を使い、異能力者たちは化け物の世界に飲み込まれた人々を救い始めるようになった。

 これが、この国に伝わる、『褪色界』のバケモノとの戦いの始まりであると伝わっている。

 この時より、異形ではない、特殊な能力を得たものたちは、世界を救うものとして台頭することとなる。



(それが今では『丙』で、この扱いなんだからな)

 空から視線を外した桜深は、小さくため息を吐くと、いつの間にか退場となって歩き出す生徒に続いて足を動かした。


 天井の低い、歩くとぎしぎしと音が鳴る狭い廊下を、ぞろぞろとやる気のない生徒たちが歩いていく。

 この学校は、『丙種』に分類される人間……『異能能力者』を集めた学校だ。それも、軍学校に通うことができないような落ちこぼれを集めた、役立たずを集めた場所なのである。生徒もやる気がなければ、教師にだってやる気なんぞある訳がない。


「桜深くん、どこ行くの? 教室こっちだって。三階だよ」

「ああ、悪い玄太、ぼーっとしてた。階段上んのダルいな」

 だらだらと歩いていたせいで最後尾になり途中足を止め荒れた中庭を見ていた桜深は、友人に呼ばれて視線を校舎内へと戻す。桜深を手招く少年は幼馴染であり、これまでも異能能力者の養護施設で共に育った友人だ。

 教室に入ると、入学式で隣に並んでいた俊が桜深を呼んだ。どうやらやる気がない学校内では、座席ですら名簿順などというものはとうに守られていないらしい。

「一緒に座ろーぜ。オレは帆多流俊! おまえは?」

瑞嶌みずしま玄太げんただよ。桜深くんとは幼馴染なんだ」

 にこにこと笑みを向ける玄太に、よろしく! と俊はひらひらと手を上げた。自慢のカラーであるらしい、少し長く癖のある染めた髪が風に揺れる。それを指で押さえた俊は、うわ、と顔を顰めて窓際を見た。

「教室も隙間風だらけってか。勉強できねーだろこれ」

「教科書とか捲れそうだね」

「いいんじゃねえの? どうせ形だけだって」

 窓際の席に腰かけた桜深は椅子を揺らし、隙間風の原因であろう窓枠と柱の隙間を覗き込む。恐らくボールペンか何かを突っ込んだのだろう形跡を見つけて、かつてここで学んだ生徒が暇つぶしに抉りでもしたのだろうと察した桜深は眉を寄せた。

「あとでガムテープでも使って塞げばいいだろ」

「ちょーてきとー!」

 何が面白いのかけらけらと笑う俊は桜深の後ろに座り、机の上に乱雑に置いた鞄からパンを取り出すと食べ始める。適当、ではなくいい加減なのは俊のほうだろう。この後教師が来ると思うのだが、あまり気にしてはいないらしい。

 桜深の隣に座りそれを苦笑して見ていた玄太は、あれ、と視線を廊下側へと向けた。そこに、一人の少女が困った様子で立っている。白い肌に柔らかそうな薄茶の髪、瞳の色まで髪と揃いの、どうにも色素の薄い少女は儚げで、少しばかり教室内の男子の視線を集めていた。どうやら出遅れたようで、空いた席を探していたらしい少女は、行儀悪く椅子を傾けパンを齧る俊を見てきゅっと桜色の唇を引き結ぶ。

 かと思えばすたすたと歩みを早め、ぽかんとそれを見つつパンをかじっていた俊の隣、唯一空いていた席の椅子を引いた。

「ここ、いいわよね」

「どーぞどーぞ」

「……もう先生来ると思うけど」

 入学式から早弁って、とその儚げな表情にしっかり嫌悪を乗せて口にする少女は、どうやら見た目通りの性格ではないらしい。

「いーだろべつにー、腹減ったんだって」

「あんた……よくこの学校受かったわね」

「はは! 受かったっつってもどうせ掃き溜め、落ちこぼれ校だぜ?」

「……それでも、軍学校に通わないあたしたちにとっては能力の授業があるだけマシな学校だから」

「五十歩百歩だろ? 異形能力者様から見れば」

 少しピリリとした空気を纏う少女に対し、俊の態度は変わらない。それに対し少女の表情が変わったのを見た玄太が、慌ててその間に入る。

「あ、えっと、僕は瑞嶌玄太。君はなんて言うの? 入学式はいなかったよね?」

「……討射うつい真白ましろ。あたし、引っ越してきたばかりなの。それで道がまだわかんないのに、運悪く通学路に『異界門』ができて落っこちた」

「げ、マジ?」

 ぽろりと取り落としたパンを慌てて掴み直した俊が目を丸くし、玄太はさっと顔を青褪めさせる。入学式間に合わなかった、と不満そうにする真白は特に怪我をした様子もなく、真新しい制服も綺麗なものだった。

「なんだ、誰かほかの能力者も落ちたのか?」

「ううん? あたしと、『巡回者』だけよ。まったく、あの巡回者も敵が来てるなら来てるって言えばいいのに。蹲ってるから具合悪いのかと思って近寄ったらドボン」

 桜深の少し興味深そうな問いに真白は俊に対するものよりも丁寧に返した。だがその答えに、桜深はにぃっと口角を上げる。

「ってことは倒したわけだ」

「当たり前でしょ」

「褪色界ソロ攻略? マジかよ、なんで軍学校行かなかったんだ?」

「は? あんなとこ行っても甲の捨て駒にされるだけじゃない。強制じゃないのにわざわざ行くわけない」

 俊に吐き捨てるように答えた真白はそれきり不機嫌そうに口を噤む。それを見た桜深は頷いた。

「ま、同意だな」

「でも、一人で戦って帰ってこれるってすごいね。あの世界、何度行っても慣れなくて」

 その玄太の言葉を聞いた真白は少し目を丸くした。慣れてるの? と問えば、少し首を捻った玄太が、そっか、と頷く。

「もしかしてこの街の外から引っ越してきたの? ほら、僕たちの街は十年前の『三つ目』の被害にあってるから、あいつが残した『古い巣穴』が残ってるんだ。能力者なら子どもでも訓練で何度か入る機会があるんだよ。もちろん大人の補助がつくけどね」

「……ああ……あの災厄三つ目の……」

「丙ならなおさら機会があると思うぞ」

 それだけ答えた桜深も、教室の扉が開く音に教師が来たのだと察して視線を戻した。


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