高田郁美の章

第一話

 教室がやけに暗いのは今にも雨が降り出しそうな低い雲に空が覆われているのが原因だろう。朝のニュースで台風が近づいてきているという話題も出ていたので、持ってきた傘は役に立たないのかもしれない。そんな事を思いながらも席について外を見ていたのだけれど、何時もよりも外が暗いからなのか窓に教室内の様子が反射して映し出されていた。まだ時間も早いという事でクラスメイトは半分も登校してきていないのだけれど、それでも教室の中は賑わっていた。僕の席に近付いてくる大塚君は朝から嬉しそうにしているのが窓に反射して見えているのが少し気になってしまった。


「なあ、台風って本当にこっちまで来ると思うか?」

「どうだろうね。いつもは温帯低気圧になってしまうもんね。ニュースでも台風として勢力を保ったまま上陸したら五年ぶりとか言ってたような気がするよ」

「台風とか温帯低気圧とか言われても正直違いがわかんないよな。そりゃ天気図とか見てたら違いとか分かるかもしれないけどさ、こうして歩いて学校まで来ていると損な違いなんてどうでもいいって思うよな。風も強いし雨も激しいし、名前が違うだけでやってることって一緒じゃねえかって思うよ」

「大塚君って台風好きなんだと思ってたよ」

「台風が好きなやつなんていないだろ。家から一歩も出なくていいって言うんだったらさ、台風も少しは好きになるかもしれないけど、こんな強風の中を学校まで来なきゃいけないって思うと嫌いなのが普通じゃね?」

「そうなんだけどさ、なんか大塚君が嬉しそうな顔をしながらこっちに向かってきたから台風が好きなのかと思ったよ。台風が好きなのか嫌いなのかって話はしたことなかったと思うから、てっきり台風が好きなのかと思ってたよ」

「あ、俺ってそんなに嬉しそうな顔してた?」

「うん、窓に嬉しそうにニヤニヤしながらこっちに向かって歩いてきているのが映ってたよ。友達じゃなかったらちょっと不気味に思うくらいニヤニヤしてたよ」

「それなんだけどさ、学校に向かってる時に突風が吹いたんだけどさ、俺の目の前を歩いていた女子のスカートが捲れてパンツが見えたんだよ。顔は見てなかったけど、あのパンツは可愛い女子が履いていたと思うぜ。小野はどうなんだって聞こうと思ったけどさ、お前には彼女がいるからそう言うの聞かないでおくわ。なんか、聞いたら俺の方がダメージウケそうだからな」

「まあ、大塚君がへこむような事はないけどね」

「そう言ってくれるんなら信じるけどさ、もしも裏切るようなことがあればちゃんと言ってくれよ。それさえ教えてくれれば俺はお前の事をちゃんと祝福するからな。それはいったん置いといて、今日も高田ちゃん学校休むのかな?」

「高田さんが?」

「ああ、ずっと調子悪そうだったし、こんな天気の中無理してくる理由もなさそうだしな。この時期に進路が決まってるって凄すぎるよな。俺なんてまだ進学か就職かも決めることが出来ていないっていうのにさ、高田ちゃんは芸術系の専門に通うらしいよな。俺もそこを受けてみたいところなんだけど、俺の不器用さと感性の鈍さって芸術とは遠すぎるもんな。それはそうと、お前ってやっぱり仏教系の大学に進学するの?」

「え、どうして?」

「だってさ、吉田先輩と結婚したらお寺を継ぐことになるんだろ。だったら今からそっち系の勉強しといた方がいいんじゃないの?」

「ああ、そう言う事ね」


 僕はこの時の大塚君の言葉が決め手となって大学で仏教を学ぶことになった。正確に言うと仏教系の大学と言うわけではなく、仏教と民俗学について学んでいたのだ。当時の僕には幸子と結婚するかもという気持ちはあったのかもしれないが、幸子もお義父さんも僕の将来を今の段階で決めるのは良くないと言ってくれて、一つの道だけに絞らないようにと僕と幸子が仲違いしても違う道にも勧めるように選択肢を多く持てるような環境を勧めてくれたのだ。結果的には僕と幸子は結婚してお寺でお勤めをすることになるのだが、仏教を専門的に学んでいなかったという事がマイナスになることも無く、民俗学を学んだことで他の人とは違う視点でモノゴトを見ることが出来るようになっていたのだ。ただ、幸子やお義父さんのように僕には見えない世界が見えるということは無いので、どちらが良いのかと言えば僕にはどちらとも言い切れないのであった。


「それにしてもさ、台風が来るってわかってるんだし俺も休めばよかったかな。でも、これ以上休んだら就職するにしても進学するにしても良くないような気もするしな。いっそのこと朝から暴風域に突入して外出自粛とかになってくれてればよかったのに」

「直撃するのも夜になってからみたいだし、明日もちゃんと学校に来ないとダメみたいだよ。大塚君は前半にサボってたからこれからはサボれないもんね」

「そうなんだよな。でも、誰だって学校に来たくない時はあるだろ」

「あるかもしれないけど、買ったゲームをしたいから休むってのは良くないと思うよ」

「それを言うなって。お前はあんまりゲームとかしないもんな。ゲームをしないで吉田先輩と電話ばっかりしてるのか?」

「電話とかはあんまりしたことないかな。帰宅の連絡をするくらいかも」

「なんだよそれ。そんなのろけ話聞きたくなかったわ。一気にテンション下がるわ」


 僕にとっては大塚君のテンションが上がろうが下がろうが関係ないのだけれど、口ではそんな事を言っているのに顔は嬉しそうなのは大塚君が心の底から僕の事を祝福してくれているという事を知っているからわかるのだ。なんだかんだと皮肉っぽいことを言ってはいるのだけれど、大塚君が僕と幸子の事を祝福してくれているというのは誰よりも僕が理解しているのだ。そう言えば、僕と幸子が付き合うことになったきっかけをくれたのも大塚君だった。

 そんな事を思い出していると、教室の後ろの方に固まっていた女子が一斉に教室の前の方へと駆け寄っていった。その女子達の中心にいたのは高田さんだった。天気も悪いし体調もずっと悪そうだった高田さんは今日も休むのだろうと皆が思っていたのだが、天気も悪くて外も薄暗いのにいつもよりも高田さんの顔色が良いように見えていた。ただ、僕はどうしても高田さんの表情を読み取ることが出来なかった。

 高田さんはいったん女子たちから離れると自分の席に鞄を置く為に僕の隣の席に座っていた。鞄から勉強道具を机の中に移している時に目が合ったような気がするのだけれど、やはり僕は高田さんの表情が読み取れなかった。嬉しそうなのか楽しそうなのか悲しそうなのか怒っているのか、何も僕には読み取れなかった。


「小野君、大塚君、おはよう」

「おはよう。高田ちゃんは体調良くなったの?」

「うーん、運動はまだ無理かもしれないけど、歩くことくらいは平気だよ。あんまり学校休んで進路が白紙になるのももったいないしね」

「そうなんだ。無理しないでね。困ったことがあったら俺に言ってくれたら助けるからさ」

「ありがとうね。そうだ、小野君にお願いがあるんだけど聞いてもらってもいいかな?」

「僕に?」

「そう、小野君にしか頼めないの」

「僕に出来ることだったら聞くけど」

「あのね、沙弥ちゃんの描いている絵の意味をちゃんと理解してね」

「沙弥の描いている絵?」

「そう、いつも一人で描いているあの絵だよ。小野君は沙弥ちゃんの描いている絵を見て私の事を見えているのかなって思ってたかもしれないけど、沙弥ちゃんはあの絵に私の事を描いているんじゃないからね。ちゃんと見てあげないと小野君が困ることになるかもしれないんだからね」

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