第14話

 自分がなにをしようとしているのか、わかっていなかった。もとからこのつもりだったのか、それとも、吉持を殺すつもりだったのか、なにもするつもりはなかったのか。

 思えば昔から、俺は自分のしたいことすらわかっていなかった。ただ、なにかをしたいという気持ちがあることだけがわかっていて、でも自信がなくて、自分を傷つければ、なにかが拓けるような気がしていた。

 刺青を入れたほうがいい理由なんて、ひとつもない。身体的にも社会的にも、傷をつける行為だ。だからこそ、それを乗り越えるような価値がなくてはいけない。他人を威圧したいという弱い悪者の動機ではなく、違う心で求めてくれるようなもの。それをつくりたいと思った。

 価値のある傷がほしかった。俺の脚に増えていった自彫りがそう呼べるのかどうかはわからなかったが、ほかの人の体に彫りたいという衝動は増していった。

 しかし、俺の自信は、シンクのカビ程度にすら育ってくれなかった。ライセンスを取ろうなんてことは考えなかった。職人としてやっていく自信がなかったから。それでも時折、まるで内側から誰かに話しかけられるように、彫りたいという衝動が沸き上がる。紙の上ではあんなに苦悩するのに、どうぞ彫ってください、と無防備に差し出された人の肌を見ると、突然別の地平が開けたように、俺の頭は冴えわたった。記憶は共有しているけれど、彫り師としての俺は別人格なのではないかと、本気で悩んだこともある。普段は内向的な俺が、まるで狩りのように客を求める時は、誰にも物怖じしなくなった。脅されて無償でやらされたり、仕上がりが気に入らないと言って殴られたりもしたが、なぜか、やめようとは思わなかった。評判が上がってからは、慎重に慎重を期して客を選ぶようになった。

 二人の俺の両方を知っているのは、アカネだけだった。肌華を入れほしいと言ってきた時、理由を詳しく問いつめることはしなかった。ほかの客に毎回しているより、いくらか熱心にした数々のリスクの説明に、アカネは表情をまったく変えなかった。

 理由を訊いたとしたら、なにか変わったのだろうか。アカネが自分のなにかを俺に打ち明け、そして俺がそれを癒し、アカネの心は晴れ渡る、そんなことが。

 あり得ない。どんなに俺が頑張ったって、そんな仮定は選べない。

昔から、アカネはふさぎ込みがちなところがあり、俺はできるだけアカネを助けたいと思ってきた。親がいなくてつらいのは当たり前だが、俺たちと同じ施設にいた子の中でも、アカネは特に静かな闇の中に沈んでいるように見えた。

 俺の知らないこと、例えば、女子の間のいじめなどはないかと、アカネ本人や周囲の人たちにそれとなく訊いて回ったこともある。しかし、そういうこともないようだった。いつしか、アカネはもともとそういう気質なのだと納得した。

 昔と比べれば、今の世の中は格段に暮らしやすいものになっただろう。多様性が受け入れられ、福祉が充実し、幼くして親を亡くした俺たちも、教育を受け、俺は教師になることができた。しかし、救えるものには限界がある。制度や薬だけでは、すべての人を幸せにはできない。そんなこと、できるわけがない。

『なんだか申し訳ないね』

数か月かけ、肌華が完成した時に言ったアカネの言葉にも、俺は聞き返さなかった。無償で肌華を入れてやったことに対する言葉ではないことはわかった。それならすでに何度も礼を言われていたし、申し訳ないと言ったのは、鏡で自分の背中を見た時だ。俺ではなく、肌華に対して言っているようだった。いや、確実にそうだった。

 こわかったのだ。俺はあの時も。なにか尋ねれば、アカネの心の傷をさらけ出す言葉を引き出してしまうような気がして。そうすれば、俺の心が抉られてしまうから。    結局、俺は自分が傷つくことがこわかったのだ。

 自信がなくて、怯えて、そのせいで間違ったことをして、人の存在の力を借りなければ、作品をつくることもできない。そして、俺の渾身の作品にも、一番守りたかったものを守る力はなかった。

でも、悩むことはない。もう終わりだから。

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