第13話

 芸術を愛している。以前、弓野が吉持について言った言葉。引っかかりを覚えたのは、それに恐ろしいニュアンスを感じたからだった。やっと気づいた。

 吉持は、戸田が、タトゥーを消して新しいものを入れると言った嘘を本気にして、怒ったのではないか。タトゥーアーティストによるタトゥーを保存することに執心している彼は、戸田を許せないと思い、一度解放し、準備を整えてから殺害したのでは。

 もしそうならば、今、俺は自ら危険に飛び込もうとしている。でも、許せない。絶対に。

俺は展示室へ向かった。いるかどうかはわからない。いてほしいと思った。

吉持は、皮膚が載っていない、ガラスだけがはまった白い人体型展示台を眺めていた。

振り向くと、驚いた顔をする。

「これはこれは、先生。お久しぶりです」

「弓野の皮はどうした」

「なんのことですか?」

「弓野の皮を剥がしたんだろ。どこだ」

「そんなものありませんよ。今はまだ」

 吉持は、模型を示してみせる。その展示台は弓野の背中だった。この肩幅、肩甲骨の形、背筋のつき方、くびれの具合。百パーセント断言できる。

「よくできてるでしょう。これが弓野の背中だってことは、先生ならわかりますよね」

「刺青を剥がすなんて、ナンセンスだ。刺青っていうのは、観賞するためのものじゃない。その人自身だけに価値があればいいものなんだから」

「それは、刺青の種類によるでしょう。誰にとって価値があるのかは、それぞれが決めればいいことです。俺たちは、ほかの人にとっても価値があると思われるものだけを保存してます」

「お前は、望まれない価値を押しつけてる。迷惑なんだよ」

「意味がわかりません」

「とにかく、もう弓野とはかかわらないでくれ」

「それは無理ですね。せっかく展示台も用意しましたし」

「もう剥がしたんだろ?」

「模型は用意しましたけど、まだ剥がしてません」

「弓野は、お前に皮を剥がされたって」

「え?」

 吉持は目を丸くしてから、笑いだした。

「なにがおかしい?」

「いやあ、そういうことですか。弓野は、先生を怒らせたかったんですよ。だからそんな嘘を」

「どういうことだ」

「さあ、どういうことでしょうね。弓野は俺のことが嫌いで、死んでほしいと思ってるのかも。彼女から聞いてるかどうか知りませんが、俺たち、意見の違いで喧嘩してばっかりなんですよ。でも、お互い唯一の同志だということもわかってしまっているから、離れることもできない。人間関係の袋小路って感じでしょうか」

 吉持は、俺の左胸の下のほうを指差した。

「内側の胸ポケットになにか隠してるでしょ。果物ナイフってとこかな?」

 俺はとっさに言い返すことができなかった。

「服の重さのバランスと、体の緊張感から、どこに武器を隠してるかとか、わかっちゃうんですよねえ。素人だから本当にわかりやすい。せめて下半身に隠さないと」

「さすがだな」

 俺は観念したという笑みを浮かべながら一歩下がった。

「人殺しの言うことは違う」

「人殺し?」

 吉持は首をかしげる。

「戸田を殺したんじゃないのか?」

「殺してませんよ」

「生きてるのか?」

「いいえ」

 はっきりと吉持は首を振った。

「殺されました。弓野にね」

「はあ? 弓野が戸田を殺した? そんなはずないだろ」

「弓野を問い詰めたら白状しましたよ。どうしてなのかははっきりしませんが。大方、俺に罪を着せて逮捕されればいいと思ったんでしょう。それは今のところ成功してませんが」

「信じられない」

「弓野がそんなことをするはずがないって? 半年付き合ったから、弓野のことはよくわかってるって? 先生もひどいことしますよねえ。代金の代わりに、体を要求するなんて」

「要求したわけじゃ……」

 彼女は言った。キャンバスと彼女になれるなら、一石二鳥だと。

「若くして伝説化している天才彫り師も、普通の男なんですねえ、彩龍先生」

 その名前を聞いても、もうなにも感じない。俺の中で、終わったことなのだ。その終わりを目に見えるものにしてみよう。

 俺は内ポケットから小型ナイフを取り出すと左手に持ち替え、右の手のひらに突き刺した。

 悲鳴が上がった。吉持の、耳をつんざくような悲鳴が。

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