「他人の猫」―星海くじら

 友人の猫を引き取った。それは彼女が家族のように大切にしていた猫だった。

 引き取って一月が経ったものの、私にとっては未だに他人のままである。

 

 はじめは友人が実家に帰っている間、預かるだけの予定だった。

「母が入院したので少し実家に戻るけど、大したことはなさそうなのですぐに帰ってこれると思う」

そんなことを言いながら、友人が猫の入っているキャリーバッグやら必要なものやらを渡してきたとき、私の脳裏には第一次世界大戦という言葉がよぎったが、まあ杞憂に終わるのではないかと思っていた。

 数日後、友人から母親の状態が思ったよりも良くならないという連絡があり、それはいつのまにか介護が必要になるかもしれないという話になっていた。

そこからは、あれよあれよという間に彼女がこちらでの仕事を辞めて実家で母親の介護をすることになり、猫の世話をしている余裕はなさそうだということを言われた。引き取ってくれる人を一から探すのは時間がかかるということで、よかったら引き取ってくれないかと言われ、私もそれを了承した。

 

 そんなわけで猫を引き取ってから一ヶ月になるが、一緒に暮らしている期間はもう少し長い、にも関わらず私と猫の関係は非常にドライなままである。

猫なんてそんなものではないかと思われるかもしれないが、少なくとも元の飼い主との間にはもう少し親密な関係が築かれていたと思う。

 友人が情に厚く面倒見がいい性格なのに対し、私は元々冷めた性格と言われることが多いし自覚もある。そんなわけで今までペットを飼ったことはなかったが、実際に飼ってみればペットを溺愛したりするようになるのではないかと思わなくもなかった。

結果はどこまでいっても他人のままである。もっと年単位で飼ったり、子猫の頃から育てたりしていれば愛着がわくとかそういう次元ではなさそうで、自分は生まれつき何かを愛することが苦手なのだろうということが再確認されて少し悲しかった。

 とはいえ、猫も私も互いに干渉しすぎない関係は快適ではある。元々の性格なのか友人の躾のおかげかはわからないが、暴れまわったりいたずらをしたりするような猫ではないので、不快な思いをすることもない。

一人暮らしに寂しさを感じたことはなかったが、自分以外の気配があるというのは少し安心感があることを知った。

 

 しかしながら、この猫を家族のように大切にしていた友人はどう思っているのだろうか。ということに半年ほど経ってから気がついた。

最初は一週間程度離れるだけの予定が、気がつけば半年も離れ離れになり、また会える保証もない。私のような人間はともかく、情の厚い彼女は寂しく思っているだろう。

 そんなことに半年も経ってから気がつくあたりに私の薄情さが現れているが、ちょうど夏休みが近いこともあり、久しぶりに里帰りして彼女と猫を会わせてあげようと考えた。彼女に聞いてみたところ嬉しいと言ってくれたため、猫と元飼い主の感動の再開が決まった。

「久しぶりにご主人さまに会えるぞー」

餌をやりながら猫にそう言ってみたものの、猫はとくに反応もせずに餌を食べるだけだった。まあ、猫の飼い主への愛情なんてそんなものなのかもしれない。


 時はあっという間に流れ、夏休みを得た私はレンタカーを運転して地元に向かっていた。キャリーバッグに収まった猫は助手席でおとなしくしている。

 地元に帰るというのも久しぶりで、いざ帰るとなると些か緊張する。もともと地元が嫌で東京に出てきたこともあり帰ることも少なかったが、両親が死に、後のことが全て終わってからは一度も帰っていなかった。

 そして、故郷が嫌いなのは彼女も同じだったはずだ。あの場所が嫌で出てきたのに、親の介護によって連れ戻されて、彼女は何を思っているのだろうか。もしかしたら、親の介護の心配もなく東京でのうのうと暮らしている私を憎んでいるのではないだろうか。

 突然、そんな考えが頭をよぎりゾッとした。しかし、だからといって私が彼女にしてあげられることなど殆ど思いつかなくて、それが一番恐ろしく感じられた。

 

 もやもやとした気持ちを抱えたまま、車はいつの間にか地元へと辿り着いていた。里帰りなどといっても友人に会う以外の予定はないため、彼女の家に一番近いコインパーキングに車を停め、知っている人に会わなければいいなと思いながら歩き出した。

 大した距離がなかったこともあり、知り合いに会うことはなく彼女の家についた。玄関の前で立ち止まり、深呼吸をしてからインターホンを鳴らす。ややあって、扉を開けて私達を出迎えた彼女は、以前と比べて変わっていた。「いらっしゃい」と言って穏やかに微笑んでいる姿は変わっていない。けれども、雰囲気が変わったと言えばいいのだろうか、以前は確かにあったはずのエネルギーのようなものが感じられなくなっていた。


 リビングに通された後、猫をキャリーバッグから出してやろうとしたがなかなか出てこなかった。「なれない場所だから緊張してるのかな」と友人は笑いながら言って、「メイちゃん、おいで」と名前を呼び始めた。

 久方ぶりに呼ばれても、いや久方ぶりだったからか、猫は特に反応を見せない。それでも彼女は「久しぶりだから私のこと忘れちゃったのかな」と、嫌な顔ひとつ見せずに笑っている。


「ごめん、私が名前を呼ばないから忘れたのかも」

 思わずそんな言葉が口をついた。「どうして名前を呼んであげないの?」と聞かれる。当たり前の質問だ。

「なんとなく、悪いかなと思って」

 我ながら変な答えだとは思うが、なんとなく彼女を差し置いて自分が名前を呼んではいけないような、そんな気が確かにしていたのだ。私の答えを聞いて、彼女は「なにそれ?」と笑った。

 その日は結局、猫が彼女の呼びかけに応えることは殆どなかった。

 

 行きのとき以上に、帰りはいつのまにか着いていたという感じだった。レンタカーを返して家まで歩いた記憶すら曖昧だ。

 それぐらい、彼女が変わってしまっていたことがショックだった。だってそれは、私達が嫌っていたあの町の人とそっくりだったからだ。そうなるのではないかと分かっていたはずだけど、実際に見てしまうとあまりにもショックで、自分が思っていた以上に彼女は私の支えになっていたのだと今更になって気がついた。自分で選んだ道だけれども、これからは自分ひとりで進んでいかないと行けないということが無性に寂しく感じられた。


「寂しくない、メイちゃんは」

 窓の外を見ていた猫に向かってポツリと呟くと、猫はこちらを向いて「ニャア」と鳴いた。

 それを聞いて、やっぱり猫は薄情だと、そう思った。


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