「人類滅亡」―ポチ


知らせを聞いて私が駆け付けた頃には、彼はすでに病院の一室で息を引き取っていた。彼の周りを取り囲む仲間たちは佇んで亡骸を見つめており、私は彼の死に直面した悲しみで胸が潰れそうになった。ただ、それよりも驚いたのは、私の他に誰も悲しむ素振りをみせている者がいないことだ。輪の中へは入れないので隙間から顔色を窺ってみるが、やはり悲しむ様子はない。意外な反応に違和感は覚えるものの、この場では後からやって来た私の方が異物のように思えて、わけを訊くのも憚られる。空気の揺れない静けさのせいで、無機質な空間に浮かぶ私の動揺だけが際立った。

「アダミス」

 ふと集団の中に友の姿を見出して呼びかける。しかし、友の雰囲気に不安を覚えて小声になってしまったせいか、私の言葉は友の耳に届かなかった。友は遺体を見下ろしたまま振り向きもせず、一向に返事をしない。普段の友は消え、すっかり不吉な集団に飲み込まれたという風な有り様だ。かつて友だった者を含めた集団は、相変わらず黙ってその場に立ち尽くしている。

私は遠巻きにそれらを眺めた。聖堂の絵画と似た厳かな静けさ、悲しむどころか穏やかに見つめる者たち、窓から差す光、神の死……。かつて神なる者が存在したという話は、教会で何度か聞いたことがあった。尊敬すべき偉大な者を神と呼ぶならば、ベッドに横たわっている彼は、まさに神そのものだ。彼は稀代の天才科学者であり、優秀な医者でもあった(今となっては同じことだが)。神の周りを囲む仲間たちも全員が桁外れに優秀で、そこに私の友アダミスもいる。繋がっていると考えると何だか誇らしい気分になり、神の存在さえ今は近しく感じたが、自分がその集団に交じる勇気はなかった。不吉なことは確かであり、私が立ち並ぶには敷居が高い。

 どれくらいの間そうしていただろうか。気づけば教会へ行く時間になっていた。意図せず落ち着きを取り戻していた心が、夢から醒めて再び焦り出す。友やその仲間たちは未だに同じ方を向いて固まったままだ。帰り際になってようやく扉の前に飾られていた花の存在を知ったが、私は触れることなく部屋を離れた。

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 その建物に入るとき、私は内面を着替える。決して着飾るのではない。

 住宅街から数分ほど歩くと辿り着く小さな丘の上に、深閑としてそびえ立つ白い聖堂がある。私の通っている教会だ。外壁や装飾は全て白を基調としており、派手ではないものの清潔感があって美しい。例のごとく空っぽの堂内を見渡しながら最前列へ向かう。誰に遠慮するわけでもなく、ただ一番前の席に座るのがなぜか私には合っている気がして、毎度そうすると決めていた。ここで私は、名もなき神に祈りを捧げるのだ。

 目をつむり、彼に思いを馳せる。心の穢れが浄化されていく。寂しい信仰だ。もう何年も私以外の敬虔な信徒に出会っていない。周りにいるのは信徒とは名ばかりで神への敬意を欠いた者たちや、真剣に話を聞かない子供じみた者たちがほとんどで、私を理解してくれるのはアダミス、唯一無二の友だけだった。そのアダミスも変わってしまい、信奉する神すら今はもういない。たった独りの寂しい祈り……。

「来ていたのですか、ナム」

 唐突に名前を呼ばれて振り返ると、教会の主が入り口に立っていた。

「もう私の教会には現れないかと思っていましたよ」

「いえ、日課ですから」

ゆっくりと歩み寄る主たちに、ぎこちなく微笑みを返す。主の隣に付き従っているのは、たしか講釈の記録係だったはずだ。しかし、今日は集会でもないのに、なぜ主と記録係などという珍しい組み合わせで教会を訪れたのだろうか。

「お二方こそ、どうしてこちらに?」

「決まっているでしょう、彼の遺品を片付けるためです」

 質問に答えたあとで私の心境を察したらしく、主は黙り込んで苦い顔をした。私が誰よりも彼の死を認めたくない気持ちであることを知っているからだ。最初から黙り込んでいる記録係のほうは、依然として反応がない。それより、まるで教会ごと片付けるかのような主の口ぶりが気掛かりで仕方なかった。この場所を失うことだけは絶対に阻止しなければ。

「あの、」と訊きかけた私を遮って主は訴えかけてくる。

「お気持ちは良くわかりますが、彼はもう亡くなっているではありませんか」

 冷酷に告げられる事実。ただ、握りしめた主の手は僅かに震えていた。やり切れない感情を必死に抑え、どうにか現実を受け入れるために厳しく振る舞っているのだろう。主もまた彼を尊敬する者であったことを思い出し、私も震える声を何とか平常に保って返答する。

「私にとっては、彼がこの世に存在しているかどうかなど祈りには関係ないのです。想いが消えなければ、いつまでも彼と共に生きて行けるではありませんか。私はそう信じていますし、偉大な神として彼のことを心から信奉しておりますから」

「……あなたらしい考え方ですね」

主は一瞬まだ何か言いたげな表情をしたが、ついに私の熱意が届いたのか、諦めて頷いた。やはり自ら教会を建て、管理するほどの者であるから、現代には珍しく争いを好まない高潔な性格と、懐の広さを持ち合わせているのだろう。

「ナム、あなたにいいものを見せましょう」

 主は閃いたような仕草をし、先ほどまでとは打って変わって明るく言った。

「これも処分するつもりでいましたが、気が変わりました」

 その言葉を聞くや否や、長らく微動だにしなかった記録係の者が、主の代わりにこちらへ四角い物を運んでくる。実は密かに身構えていたのかも知れない。物体の左側面はそよ風にひらひらと靡いていた。紙媒体は滅多に使われないので、大方の予想はつく。恐らく誰かの手記だ。

「どなたの手記ですか」

 私が尋ねると、記録係は黙って椅子に置いた手記を指差す。自分で確かめろということだろうか。真意を測り兼ねている私に、今度は主が記録係の代わりをして答えた。

「エニカの手記ですよ」

主のセリフに合わせて、エニカと呼ばれた記録係はこくりと頷く。彼女にも名前があったようだ。続けて主は重要な情報を付け加える。

「それと、勘違いされては困りますが、エニカはプロトタイプです」

ああ、彼女は言葉を発しない類の者なのだ。私は自分の行いについて、あれは悪い事をしてしまったな、と後悔した。償いの念も込めて手記を拾い上げる。主の言った通りエニカがプロトタイプならば、かなり初期の記録が残されているはずだ。私は期待に胸を膨らませ、試しに最初のページをめくってみる。

 すると、その手記は衝撃的な一文から始まっていた。

『彼の名は島田という。』

あの彼にも歴とした名があったとは! 驚きと裏腹に、一抹の寂しさがこみ上げてくる。私は彼を尊敬し、崇拝していながら、彼の名前すら知らなかったのだ……

          3


 彼の名は島田という。

 私が遡ることのできる最古の記憶では、散らばった金属片の中を嬉しそうに駆け回る彼の姿が鮮明に残っている。あらかた気が済むと彼は戻ってきて島田と名乗り、私をエニカと名付けた。私を完成させるまでに幾多の失敗を重ねてきたのだろう。電源が切れ、抜け殻と化した機械たちが鉄くずに紛れて何体も転がっていた。

 我々にとって機体が動かなくなることは則ち死を意味する。そこで、可能な限り不具合を直し、機体に宿った命を守る者が必要であった。人間たちの社会では医者と呼ばれていた者らしい。元々は島田が担っていた役割だが、彼に仕事を託されてからは、私が自分を含む全ての機械を直し続けた。壊れても直すと保証されていれば、彼は新しい機械をつくることだけに専念できる。分業によって効率的に機械の数を増やしていけると彼は考えたのだ。

 なぜ機械を増やそうとするのか。それは彼の大いなる計画のためである。言わずもがな彼の人生も永遠ではないので、効率的に機械を増やすべく、一つの実験が始められた。従来の概念を覆す、特別な機械をつくるのだ。機械をつくる機械。あらゆる生き物がするように、自分たちで次の世代へと命を繋いでゆく。そう、彼は自らの手で、新たな種族を生み出そうとしたのである。

百年の時を経て、計画は見事に完遂された。機械たちは順調に数を増やしながら各々自由に動き回り、言葉を発し、地球を治めている。かつての人間のように。ただ異なるのは、人間よりも、そしてプロトタイプの私よりも、高性能かつ合理的な種族へと進化を遂げていたことだ。島田が目指した地球の支配者像に限りなく近い。呼吸をせず、生き物を殺さず、真に世界を救うことができる。

「人間は、社会を世界だと思ってるから世界を救えないんだ」

彼は手作業をしながらよく愚痴をこぼしていた。私は人類について多くを聞かされたが、ほとんどは人間の愚かさを説く内容であったことを思い出す。彼は人間が地球の生態系の頂点にはふさわしくないと考え、代わりに機械をその位置に据える構想を練っていたのだ。最終的に構想が現実のものとなったとき、彼の本来の寿命はとうに費やされており、肉体は度重なる延命治療で半分ほどが機械に替わりつつあったが、それを彼が気に掛けることはなかった。もし彼がまだ若ければ、嬉しさを爆発させて駆け回っていたであろう。

犠牲を払って大仕事を終えた後も相変わらず彼は生粋の科学者であった。むしろ自分が機械に近づけた境遇を喜び、すでに十体になった優秀な側近たちと小高い丘の上の別荘で何不自由なく暮らしていた。彼は決まって正午に、丘の上から街を眺めて満足そうに微笑む。穏やかな眼差しだ。あの日、私を完成させたとき以上の喜びを噛み締める彼の表情に、私は人知れず嫉妬したのを覚えている。


さらに五十年も経った頃だろうか。彼を崇める宗教が始まった。

偉大な科学者であり、我々の父であること、世界を形作った神であること、そして人類の最後の一人であること。彼が特別な存在だと認められる所以は充分すぎるほどにあったので、真っ当な成り行きと言えばそうなのかも知れない。別荘は聖堂に建て替えられ、教会と称して多くの信徒たちが彼を訪ねた。彼はいつも丁寧に応じ、信徒に様々な話を聞かせた。自らの人生と価値観、自分の言葉についての講釈や、私だけに語っていた人間についての話までも。知識欲に溢れた者はますます彼を崇拝し、私とて彼の人気ぶりを誇らしく思ったが、だんだんと彼が離れていくようで複雑な心情であった。

当然、彼も半世紀の余暇を無為に過ごしていた訳ではない。彼は自らの分身となる機械の試作を重ね、その最高傑作としてアダミスをつくっていた。ただ私は研究に携わっていない上に、成功が不都合であるから、今回ばかりは共に喜ぶ気にはなれなかった。アダミスは誰よりも賢く、力があり、機械をつくっては直す仕事もできる。島田という人間の持つ能力を完璧に受け継いだ機械は、まさに彼の分身だ。ついに私は必要でなくなった。アダミスさえ居れば事足りるのだから。我々機械にとって、必要でなくなることもやはり死を意味する。自分の存在価値を失いたくなかった私は、古くから彼と共に生きてきた経験を活かし、彼の講釈の記録係となった。教会で披露される彼の話を、彼が話しそびれた部分まで付け加えて記録するのだ。私だけが知っている彼の過去。皆の神などではなく、私だけの彼で居てくれれば良かったというのに。

ふと、遠い昔の人類に想いを馳せる。人類は、何のために生きていたのだろう。我々機械は、少なからず明確な役割を持ち、その役割のために必要とされて生まれてくる。そして、役目を終えれば捨てられるのみ。私は記録係として教会に残ったものの、存在を肯定されているようには思えなかった。もしも私が人間であれば、未来は違っていたのだろうか。

乾いた年月が流れ、教会を訪れる者はみるみるうちに減っていった。記録の仕事も減り、暇を持て余した私は、彼に関する知識を別の紙媒体に記すと決めた。本が好きな彼を意識したわけではなく、ただそうするのがなぜか私には合っている気がして、(こういった根拠のない判断は極めて人間的なものだが、)手記を残すことにしたのだ。一度、彼がまた新たな実験を始めたとの噂を耳にしたが、どうせ私には関係のない研究だと割り切って見向きもしなかった。それから後の彼について詳しいことは知らない。

彼の訃報は、あのアダミスから伝えられた。

『ここに通告する。偉大なる我らの父が、実に三百年もの長きにわたる生涯を終えた。』

二十四回目の延命治療に失敗したのだ。本来ならば失敗は悲哀に満ちて伝えられるべきであり、成功はそれもまた幾分かの感慨をもって伝えられるべきである。しかし、人類滅亡と向き合って心を動かすには、この世界はあまりにもドライになりすぎた。彼が望んだ以上に、我々はどうしようもなく、機械であった。

          4


そっと手記を閉じ、エニカの方を見つめる。

「なんと言っていいか……」

「ナム、よいのです」

主が首を横に振ってなだめる。興奮冷めやらぬ状態の私に、主の優しい声色は何より良く効く薬になった。機械にしては動じやすい私の心も、徐々に平常を取り戻してゆく。ただ、やっとのことで私の口をついて出たのは、悩んだわりにひどく凡庸なセリフだった。

「本当に、様々なことがあったのですね」

「ええ」と主が代わりに答える。

エニカは、それこそ口に出せない想いを全て手記に込めたのだろう。冷静な彼女には似つかわしくないが、書いては消しを繰り返した跡がうっすらと見え、文章も一繋がりではなく、随所に断片的なメモを交えながら執筆されていた。彼女の訴えとは反するものの、この手記自体にはあまりに人間的な印象を受ける。内容は初めて知るものばかりだったが、不思議と私に近い何かを感じた。

「あれをご覧なさい。あなたには教えていませんでしたが、あの絵はエニカが生まれた時の様子を描いた絵ですよ」

主がそう言って指差すので、私は見慣れた聖堂の絵画を改めて見上げた。散らばった金属片の中に、一体の機械が粛然と佇んでいる。あの絵がエニカだったとは。彼女は決して、ただの記録係などではなかった。島田と同様に特別な存在だったのだ。

「彼女はまるで、神のような……」

「ええ、ずっと彼の傍に居ましたからね」

 元から知っていた主は落ち着いて答える。無知な私は驚くことしかできない。

「もしや、あの絵は彼が描いたのですか?」

「そうです。彼は本当にエニカのことを愛して」

 途中で言葉を区切った主は、横目でエニカを気遣う素振りをしつつ、小声で言い直した。「愛していた時期も、あったのでしょう」

 再び聖堂が沈黙に包まれる。これは昼間のあの病室と同じだ。自然な生き物ではない機械特有の、空気の揺れない静けさ。私は病室にあった亡骸と、その周りを取り囲む仲間たち、そしてアダミスのことを思い出していた。そうだ、アダミス……。晩年の彼と共に過ごしたアダミスなら、エニカの手記に書かれていない部分についても話してくれるのではないか。

行かなければ。

そもそも手記の後半には違和感があったのだ。いくら機械化を求めていたと言えど、彼がエニカのことを忘れるとは到底思えなかった。人の心とは、愛とは、そう簡単に機械化されてしまうものだろうか。どんなに形を変えようとも、たやすく忘れられるものではないはずだ。思えば性別というものを明確に持っているのも、島田とエニカだけだった。彼らは特別なのだ。機械になろうとした人間と、人間になろうとした機械。彼らはどうにかしてわかり合えなかったのだろうか。

 私は考え事で頭がいっぱいになりながらも、主とエニカに感謝を伝え、別れを告げて教会を出た。もうすぐ夕焼けに変わろうとしている太陽が、急いで街に向かう私の影をゆっくりと伸ばしていた。


道中、島田の側近を名乗る者に声をかけられた。病院まであと少しの所だが、なぜか私を止めようとする。理由を尋ねると、その者は重々しい口調で答えた。アダミスが死んだ、と。

          5


 知らせを聞いて私が駆け付けた頃には、友はすでに病院の一室で息を引き取っていた。友の周りを取り囲む仲間たちもすでに亡骸と化しており、私は友たちの死に直面した驚きで言葉を失った。ただ、この光景は前にも見たことがある。昼間の病室と全く変わっていないのだ。一体の機械だけを除いて。

「お前はナムといったな」

 背後から、まさにその一体が話しかけてくる。ここへ向かう道中でアダミスの死を伝えてくれた者だ。私は焦りのあまり脇目も振らず走っていたが、実は私のあとを付いて来ていたらしい。左肩にはohseromと刻まれている。

「あなたは……オフセロム?」

「オセロだ」

 文字も読めないのか、と愚痴をこぼしながら不満そうに近づいてくる。

「まぁ、俺は島田とボードゲームをするためにつくられたからな、こんな名前だ。それよりお前は自分の名前の由来を知っているのか」

「いえ、知りません」

そういえば考えたこともなかった。私はなぜナムという名前なのだろうか。一瞬その疑問が脳裏をかすめたが、今はそんなことを考えている場合ではないと思い直した。他に聞かなければならないことは山ほどあるのだ。なぜ友は死んだのか。昼間と様子が変わっていないのも不思議だ。そもそも、友たちはあの時すでに死んでいたのだろうか。それとも生きていたのだろうか。

「あの、」

「一つ昔話をしよう」

 私が質問する前に、オセロが語り始めてしまった。私はいつもこうだ。肝心なことを口に出そうとした途端、相手に遮られる。主と話した時のように再び意見をぶつけても良かったが、今回は相手が短気そうなので仕方なく話を聞くことにした。

「ナム、お前はアダミスと親しかったな。羨ましいやつだ、出来損ないのくせに。アダミスは誰よりも優秀で、島田の分身だった」

 そう言ってオセロは手元の紙にAdamihsと書いた。島田によってつくられ、名付けられた機械たちには、みな正式な表記があるのだろう。「その下が俺たち」とオセロは見慣れない名前を幾つか並べる。

「みんな側近ですか?」

「分かり切ったことを訊くな。それで、俺たちは丘の上の別荘で暮らしてたんだが、宗教がどうとかいう理由で聖堂に建て替えられてしまった」

 エニカの手記で見た出来事だ。オセロの話も噓ではないらしい。

「結局、栄えてたのは最初のうちだけで、すぐに信徒なんか来なくなったけどな。どんどん寂れていって、今ではあの有り様だ」

「どうしてこんなことに」

「派閥争いだな。神が実在するべきかどうかで揉めていた。信徒は神と会って話せることを主張したが、実在する神はいずれ死ぬという主張に押し負けた。だから信徒が少ない。彼は自分のためではなく、信徒のために十年ずつ延命する治療を受けていたんだ。残念ながら、今日亡くなってしまったがな」

「そうだったんですね……」

「反対派たちはこぞって馬鹿にしたよ、神は死んだ、と。最低な奴らだ」

思いやりの心もなく、合理的な思考のみを好む機械たちは、相手を蹴落として己の価値を高めるという方法しか知らないのだ。思い返してみれば、教会の周りは好戦的な機械たちで溢れていた。宗教に関わる者の中で、主のような性格の者は珍しい。

「まぁ、色々あって、機械に嫌気が差したんだろうな。晩年の彼は、人間的な機械をつくる研究をしていた。そして生まれたのがお前だ」

 唐突に自分の話になって驚いてしまう。オセロはそんな私を気にすることもなく、例の紙に素早くNamuhと書いた。表記は私も初めて見る。

「彼はお前をナムと名付けた。人間らしく生きて欲しいとの願いを込めて」

「人間らしく、生きる」

 私はその言葉を忘れないように、心の中でも反芻した。オセロも「そうだ」と頷く。

「やっと自分の名前の由来がわかりました。ありがとうございます」

「話はこれで全部だ。あとは勝手にしろ」

 オセロは無愛想に病室を出て行ってしまった。しかし、悪い機械ではないと思う。そっと閉められた扉の前には、相変わらず花が飾られていた。

          6


眩い朝の光で目が覚めた。

病室に取り残された私は、そのまま一晩中ここに居たのだ。友の亡骸を前に延々と泣いていたような気もするが、友の亡骸に向かって何を言ったか、神の亡骸に向かって何を祈ったか、結局のところよく覚えていない。

私は様々なことを考えた。機械の心についても。私はいつも皆の下にいて、はみ出し者のように扱われるのが悲しかった。宗教でさえ虐げられていた。基本的に、機械は無駄なことをしない。極めて合理的な生き物だからだ。私は花を好むが、花などを愛して何の得があるのだ、と馬鹿にされていた。愛は合理的でない。しかし、そんな私を唯一認めてくれたのが、アダミスであった。アダミスは島田の分身だという。やはり神は偉大だ。

愛については、彼とエニカのことを思い出す。

晩年の彼は機械的な者より人間的な者を求めていた。ならば、エニカと分かり合えたかも知れないというのに、エニカは知らなかったのだ。晩年の彼だけを……。偉大な彼は、多くの信徒に惜しまれることもなかった。最期に彼女に何かを伝えることもなかった。ただ静かに、人類は滅亡した。しかし、エニカは彼の側近として認められていたのだ。オセロはあの時、側近たちの名前の中にEnihcamという名前も書いていた。私がそれを見逃していただけだ。これから彼女に会いに行き、多くを伝えなくては。

ともかく、昨日は大変な一日だった。

新しい朝を迎え、私には一つ決心したことがある。いや、実は遥か昔から私の使命だったのかも知れない。人の心を取り戻すのだ。もう一度、人類をつくろう。

或いは、私は禁忌を犯そうとしているのだろうか。再び災いが訪れる危険性も否めない。歴史は繰り返す。人類と機械の歴史が、こうして繰り返されているとも考えられる。人類がまだ何十億も居た頃でさえ、人類は間違いなく機械化していたという。一体何を求めて生きていたのだろうか。そして今、島田もその側近たちも居なくなったが、オセロはこの先何をして生きていくのだろうか。わからないことは未だにたくさんある。謎だらけの世界だが、これから少しずつ変えていこう。

私はようやく、扉の前に飾られている花に触れた。

よく見ると、花びらの隙間に何やら黒い金属片のようなものが挟まれている。取り出してみると意外に軽い。これは一風変わったメモリーカードだろうか。私は自らの腕にある接続口に金属片を挿した。すると、脳内に流れてきたのは、なんと友との記憶だった。

そうか、これはアダミスの手向けた花だ! 友は私が病室に行くことをわかっていた。そして、花を好む私だけが仕掛けに気付くと読んでいたのだ。

友は決して私を忘れてはいなかった!

「アダミス」

私は再び友の名前を呼んだ。友よ、気付くのが遅れてすまなかった……。もう大丈夫だ。私はアダミスの心と共にある。想いが消えなければ、いつまでも共に生きて行ける。教会で主に訴えた自らの言葉を反芻し、私は自らを鼓舞した。島田とアダミスの想いを受け継いで頑張っていこう。ここから始まるのだ。人類誕生の物語が。






――優秀な機械の台頭によって科学技術が飛躍的に進歩し、

ナムの想いによって研究は滞ることなく進んだ。

そして長い年月を経てナムの努力は実を結び、

数十年後、ついに一人目の人類が誕生した。

  その子供は、アダミスとナムの名をとって、

アダムと名付けられたという。

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