ひこうき雲
チェシャ猫亭
永遠の片思い
高校二年の六月、運動会のクラブ対抗リレーで、私は彼に一目ぼれした。
白い鉢巻、シャツに短パン、ソックスも白。日に焼けた精悍な横顔に惹かれた。ハンドボールを抱えていた。
こんな人がハンド部いたんだ、と衝撃だった。何度か恋らしき経験はあるが、詩を書く子や繊細そうな子ばかりで、運動部のキャプテンだなんて、ド少女漫画みたいで我ながら不思議だった。
その日以来、私は彼、山平武志さんの姿を追い求めた。同じ学年なのに「くん」では呼べない、「さん」は距離感のある表現で、異性を呼ぶにふさわしいと誰かが言っていた。
私は四組、彼は九組。一直線に並んだ十教室は、間にトイレや階段を挟み、彼の九組ははるかに遠い。
幸い、一年時に彼と同じ組だった香織ちゃんと私は親しかった。彼のことを色々聞いたが、分ったのは名前と出身地程度。同じターミナル駅から私と彼は全く別のローカル線で高校に通っていたのだった。
私は時折、廊下に何気に立って、彼が通るのを待ちわびた。
半そでシャツのボタンをひとつ外し、裸足にスニーカーの踵をつぶして、ぺったらぺったらと彼が歩いてくる。しどけなくて素敵、などと、古文で習ったばかりの言葉で彼を賛美する。
彼は私の存在を知らない、視界の隅に入ったかもしれないが、その他冴えない女子の一人として彼の眼には映っただろう。それでいいのだ、告白などしてふられるくらいなら見知らぬ存在でいる方がましだった。
その年のハンドボール部は強かった。
土曜の午後、他校で試合があると知り、私は応援に行った、といえば聞こえがいいが、もちろん山平さんを拝みたい一心だ。
試合前、渡り廊下で同じクラスでハンド部の横田くんと出くわし、ぎょっとした。
「来たんだ」
意外そうな顔つきだ。当然だろう、私はふだん帰宅部で、運動部の応援に駆け付けるようなタイプではないのだ。
「一人で?」
「うん」
私は伏し目がちに答えた。
心を見透かされてるのでは、とドキッとした。
試合は快勝だった。面白いように得点を重ね、安心して見ていられた。もちろん山平さんも出場していたが、向こうの監督がイライラ声を上げていたことしか覚えていない。
男子ハンド部はどんどん勝ち進んで県大会で優勝した。伝統的に強いボート部以外では数十年ぶりとかで、まさに快挙だった。
秋になり、文化祭前夜。恒例の寸劇大会が開かれ、私は山平さんの意外な姿に接することになる。
九組は「坊っちゃん」で、彼はなんとマドンナ役だった。ポニーテールに大きな水色のリボン、同じ色のドレスのワイルドな美女。当時から腐女子だった私がひそかに狂喜したのは言うまでもない。
ラスト、怒りのマドンナが背負い投げ。見事決まって、大喝采。終演後、彼はハンドの仲間なのか男子に囲まれ不機嫌そうだった。「似合うぞ」とか言われていたのだろうか。
結局、山平さんとは一言も口をきかずに終わった。某大学の獣医学部に合格したことしか知らないが、獣医志望だったと判り、ますます好感が持てた。
三十歳の夏。
私は帰省し、地元の友人と会う約束をした。いつもと違う路線バスで駅へ向かう途中、「獣医師会館前」というバス停があり、山平さんを思い出した。獣医師会館なんてあったんだ、山平さん、獣医さんになったのかな、ここにも出入りしてたりして、と懐かしくなった。そう、とっくの昔に彼は思い出になっていた。
友人とお茶していると、
「若死にする人もいるんだよね」
という話題になり、山平さんの名が飛び出した。
ガンで、先日亡くなったと聞かされ、
「ええっ、私、好きだったんだよ」
それ以外には言葉もなかった。
奥さんと小さいお子さんを残して三十歳の若さで他界。それ以上は聞く気になれなかった。
どうやって帰宅したのか全く記憶がない。
翌日の夜、夜行バスで帰京したが、カーテンを開けると満天の星。
山平さん、本当に星になっちゃったんだ。
そう思ったら涙があふれた。
月日は流れ、私は久方ぶりに小説書きを再開した。Web上で発表という手軽な形。いくつか短編を仕上げたあと、思い出深い寸劇大会のことも書きたくなった。
実際に書き始めると、改めて山平さんのことが懐かしく思い返される。だいぶ違うキャラ設定にしてしまったが、小説にすることで、彼が生き返ったような気がした、元気で高校生の姿で私の中で生きている、と実感できたのだ。
それから少したった時。
大好きな歌「ひこうき雲」のことを、私は突然、思い出した。
これ、山平さんの歌だったんだ!
何度となく耳にし、口ずさんでもきたが、その時まで、彼とこの歌が結びついたことはなかった。
どんなに生きたかっただろう。
妻と幼い子供を遺して旅立たなくてはならない。自分自身も、たったの三十歳。ようやく念願の獣医師になり、人生これからのはずだったのに。彼の無念、悲しみ、苦しみは想像もできない。
「ひこうき雲」のあの子のように、彼も病床で空を見ていただろうか。
夜空の星に涙したときも、私は感傷に溺れただけで、彼を思いやる気持ちは皆無だった。愚かで未熟で何もわかっていなかった。
せめて卒業式で一緒に校歌を歌えばよかった。
ひねくれ者の私は、卒業式に出なかった、下宿を探しに行くという理由で欠席したのだ。下宿はすぐに見つかり、急いで戻れば間に合ったのに、そうしなかった。京都の街で映画を見たり散策したり、受験から解放されたんだから羽を伸ばそう、卒業式がなんだ、と。
式には父が行き、卒業証書をもらってきてくれた。
お父さん、ありがとう。
バカだったなあ、私。山平さんと同じ講堂で校歌を歌いたかった、今さら遅いけど。
父の写真の前で、私は校歌を歌った。
山平さんが、隣に立っている気がした。
(了)
【あとがき】
お読みいただき、ありがとうございました。
ほぼ実話の片思いシリーズ(?)も、本作にて終了です。彼のことは、女装話をアップして気が済んだすもりでしたが、本文中にあるように、ある日突然、「ひこうき雲」は彼の歌だったと気づき、不覚反省した次第です。
父の写真の前で歌ったこと、隣に彼がいる気がしたのも事実です。卒業式をパスしたことも。
片思いは究極の恋なのかもしれませんね。
下手に告白などしなかったおかげで、美しい思い出が出来ました、改めて彼に感謝!
山平さんを出してしまった女装話が下記です。
一応、ご紹介しておきますね。
「どうしてもヤツに女装させたい」
ひこうき雲 チェシャ猫亭 @bianco3
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