天使の救い方

因幡寧

第1話

 月が美しい夜だった。


 整備された町並みは魔導技術の急速な発展によって夜という概念を薄れさせている。煌々と光る街灯は道々を照らし出し、ゆえに――上空は普通より死角になりえた。


「よっと」


 立ち並ぶ建物の上を駆ける男がいる。細見からは考えられないその跳躍力は、足に取り付けられた機械によって補助されたものだ。夜に溶け込みやすいように派手な色が一切使われていない彼の装備の中、唯一腰に下げた二本の剣だけは月の光を受けて鈍く光っている。


 彼の生業は泥棒である。悪い噂のある金持ちから盗んだものを金銭に替え、貧乏人に配る。いわゆる義賊というやつだった。


「ここか……」


 いつもなら、彼の前にあるのは豪華なお屋敷か、それに類するものである。だが、今宵は違った。ある依頼があったのだ。


 怪盗さんへ。


 かねてから『怪盗』を自称しているにもかかわらず、世間からは別の名で呼ばれている彼はそんな手紙の見出しが気に入った。だからこそ、差出人の名前すらわからなかったその手紙を手にこんなところまで来ている。


「ぼろっちい小屋だな」


 捨て置かれている。そんな感想が真っ先に浮かぶ小屋だった。だが、よく見ればあたりがきれいに手入れされているのがわかる。その違和感に男は少しだけ薄気味悪いものを感じながら、近づく。

 同時に手紙の中から薄い結晶を取り出すと、外側に魔法陣が金色で描かれたそれをぼろ小屋の扉にかざした。すると音もなく結晶が一瞬熱を持つ。……手紙によれば、これで道がつながったらしい。


「はっ、マジかよ」


 扉を開けた男はその先の光景に息をのんだ。


 明らかに小屋の中よりも広い空間。その時点で、高度な空間魔法が使われていることは明らかだ。

 問題なのはその高度な空間魔法なんてものが、ほとんど空想上のものだということだった。別地点をつなげる魔法の実用化には至っておらず、つなげられても一瞬。それも町三つ分ほどの多量のエネルギーを要するとされている中、この目の前の扉は規格外の存在だった。


 これだけで、あの手紙がどれだけ不穏なものかわかる。厄介ごとであることは間違いない。……だが、男はその空間に足を踏み入れた。


 手紙には、規格外な空間魔法についても書いてあった。それを信じてほしいという訴えと、盗んでほしいと指定されたものについても。


 男が足を踏み入れた場所はそれほど複雑な構造をしておらず、目的の場所にはすぐにたどり着くことができた。その場所だけ真っ黒に壁面まで塗られており、そこには数多の文字が幾重にも塗り重ねられていた。


 異様な光景の中心に、目的のそれはある。


 少し高いところにはりつけにされた少女。その背には、銀白の翼が縫い付けられていた。


「これが――」


 ――人口天使。そう思わず口にしようとしたところで、パキンと何かが外れるような音が聞こえた。


 目の前、少し上。少女の体をつなぎとめていた何かが、少しずつほどけていく。


 眉を顰める男は、嫌な予感にすぐにその場から飛びのいた。見ると、足元には銀製の槍のようなものが突き刺さっている。


「……だれ。だれ?」


 少女はゆっくりと地に足をつける。か細い声は、その音量に見合わずよく聞こえた。


「……私を、殺しに来た人?」


 身構える男の前にじっと立ち、目を閉じたまま両手を広げる少女は少しうれしそうに見えた。


「なら、早くして」


 ……手紙によれば、彼女は侵入者迎撃装置も兼ねている存在らしい。だが、その契約はそのほかのものと共に既に切れており、だからこそ彼女はここに幽閉されているはずなのだが。


「残念ながら俺は君を殺しにきたわけじゃない」


「じゃあなに?」


「君を盗みに来たんだ。ある依頼でね」


 男は再度あの手紙を取り出した。……血まみれのその手紙を。


「赤い髪の女性だった。俺がある貴族の屋敷に忍び込んだ時に会った人だ。その人はいつか誰かに渡せることを信じてこの手紙を書いて待っていた。その誰かが俺だったんだ」


 手紙の封筒には書きなぐられた『怪盗さんへ』の文字がある。あの混乱した状況の中、血を使ってでもそれを書いたのはどうやら魔術的な意味があったらしい。命からがら帰還した先で仲間に見せたこの手紙の内容は、俺以外には読むことすらかなわなかった。


「……そのひとのなまえは?」


「わからない。これを俺に渡す時にはもうしゃべることもできない状態だった」


「そう」


 少女の雰囲気が幾分か弱まる。悲しみを感じるその返答に、彼女らの関係性がほんの少しだけ透けて見えた気がした。


「それで、俺に盗まれてくれるか?」


「無理だよ。ここに通じる扉は私の魔力で成り立ってるの。わたしがここを離れたら扉が閉じる。そういう仕組みなの。それともこれの解決策もその手紙に書いてあったの?」


「いや、書いてない」


 この手紙には、人口天使の存在と、そこへいたる道。この施設の構造と、彼女を何とかして助け出してほしいという願いが書かれているだけだ。


「だが、俺には魔導技師の友達がいてね。そいつに相談したらこう返されたんだよ。『そんなに魔力量があるなら、ぶっとばせばいいじゃん』ってね」


「ざんねんだけど私に攻撃的な魔法を期待するべきじゃない。膨大な魔力を持っていても、扱うすべをしらない」


 少女のその言葉に男は自然と先ほど自らに向けて放たれた槍を見る。


「それはこの部屋の力で、護身できるぐらいの魔法しか使えないようになってる」


「まあ、それは手紙に書いてあったよ。なんでいきなり撃ってきたのかは疑問だが……」


「……反射的に。うん、ごめん」


 何に気づいたのか今更謝ってきた少女に苦笑しながらも男は腰につけていた剣を二本抜いた。幾何学文様が刻み込まれたそれを少女に渡し、告げる。


「こいつは魔力さえ持ってれば誰でも扱える武器だ。ここについてる引き金を引けば、魔法陣が生成されて、魔法が打てる。で、本来は使用する魔力は一般人レベルの数値になってるんだが、そいつを改造して、使ったら即魔力切れで気絶してしまうような代物になってる。安全装置諸々解除済みだ。これならどうだ?」


「魔力が多すぎて壊れたりしないの?」


「これは実は魔法陣を書く道具でしかないんだよ。魔力で破損するとしたらその描かれた魔法陣のほうなんだが、そいつはその二本で連続して同じ場所に描き続けることで強引に突破しようってことらしい」


「……なんか、ダメな気がする」


「まあそう言うな。最悪別の方法を考えるさ。ここに来る方法はわかったし、いろんな方法で挑戦してみればいい」


「そんな余裕あるの?」


「ある。君がここにとらわれる原因になった組織は一昨日ぶっ潰したからな」


「ただの泥棒にそんなことできるとは思えないんだけど」


「俺は『怪盗』だ。ただの泥棒じゃない。すごいんだぞこれでも」


 不安そうにしながらも、少女は少し息を吐き、その二本の剣を上空に構えた。


「これでいいの?」


「ああ、それでいい。俺は少し離れてるからな」


「ねえ、これに失敗してもあきらめないで何度でも来てくれる?」


「依頼を受けたからな。君が自由になるまでは付き合うさ」


 そう言いながら巻き添えにならないように男はだいぶ離れ、準備完了のサインを少女に送る。


 ――少女はそれを見て、引き金を引いた。

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