4.”行商人”レックハルド-2

 三日月がのぼっていた。

 昼間は時々日蝕が起こっているというのに月蝕の方は、それに比べて余り起こらない気がする。

(あの日蝕ってなんなんだろうな。不気味だけど)

 ただ、それについて追及するほどレックハルドは暇ではないし、現実主義でもある。一瞬だけそんなことに思いをはせてから、彼は宿の部屋を見回して、ごろりと天井を向く。

 せまい宿の部屋。あまり綺麗でもない天井。

「ばーか。非常識野郎」

 レックハルドは、天井をむいたまま、ぶつくさと文句を言った。

 横のベ寝台では、幸せそうにぐっすりと眠っている大男がいる。ざっと二メートル近い身長の彼は、ベッドに収まりきらずに、足がひょっこりとベッドから出ていた。

 気持ちよく眠る彼と対照的に、レックハルドは眠れないらしく、ひたすら狭いベッドで寝返りばかり打っていた。

 彼としたことが、ファルケンに大金をもらったという事実が妙に引っかかって仕方ないのだ。

 普段なら、大金を持っていそうな相手に近づいて、その財布を根こそぎひっぱってもっていくぐらいのことは平気でやるし、そのことに疑問や罪悪感を感じることはあまりなかった。そうすることが、今までの彼の生活を支えていたわけであり、日常の一部でもあった。

 だというのに、なぜだろう。

 今回は、別に罪の意識を感じるような事ではない。相手が金をくれただけ。ただ単に儲けを得ただけのことであっただけなのに……。どうも、すっきりとしない。何かが胸につかえておりてくれないのである。

「ちぇ……。なんだよ、オレらしくもない」

 不機嫌に呟いてみる。このまま、金を持ち逃げすることもできる。あれだけの大金があったら、愛しいマリス嬢にいますぐお近づきになる手だても見つかりそうなのであるが。ちらっと横目で、その妙な相方を眺めてみた。

「まったく、変なヤツだ。こいつ」

 深々とため息をついて、レックハルドは舌打ちし、上布団を蹴飛ばした。

 


 *


 次の日の午後、レックハルドはいつになく上機嫌だった。

 午前中から店を広げて、綿織物を売りさばいていたのであるが、値段が手頃だったのと、ベレスには若い娘が多かった為があったので、彼の商品は全て完売した。

 レックハルドの呼び込みのうまさと口のうまさのせいも多分にあったはずで、彼自身も手応えを感じていた。

 利益もしっかり出ていた。

「ははは~! やっぱ、オレには商才があるね」

 ずっと傍で見ていたにも関わらず、ファルケンには商売というものがどういうものであるのかよくわかっていないらしい。

「すごいなあ。どうやったら、そんなにうまく売れるんだ?」

「見てなかったのかよ! はぁ~あ、お前、商売人には向いてないな。よくそれで、あんだけ稼げたもんだよ。どっかでただ同然に買いたたかれたってことはないのかよ?」

「こまってるっていうから、あげたことはある。毛皮を十枚ぐらい。相手は喜んでた」

「当たり前だろ! そういうのを騙されてるっていうんだ!!」

 レックハルドは、きつい口調でいって軽く頭をかいた。

「まぁ~、いいや。オレが、お前に商売の基本っちゅーやつを教えてやるぜ」

 そういって、なれなれしく、背の高いファルケンの肩を少し背伸びして叩く。

「商売の基本?」

「そうそう、オレ様の手並みをみてればそのうちわかるって!」

 けらけらっとレックハルドは笑った。駆け出しの商人の割には、やたら偉そう。自信満々なのは、よほど自分の才能に確信をもっているのだろう。

 ファルケンはちょっと身を乗り出す。

「本当? オレにもわかるかな?」

「今より多少ましになるって」

 ふと、レックハルドは思い出したように荷物袋に手を入れ、何かを取りだしたようであった。

「そうだ。ほら!」

 いきなりそれを投げられて、ファルケンは慌ててそれを受け取った。何か紙のようなものが入っているらしかった。

「なんだこれ?」

「お前さ、両替ってーのを知らないだろ。あんな馬鹿重い金貨持ち歩いてるなんて、効率悪すぎだぜ。近頃は、紙幣っていう紙の金が流通してんだよ」

 レックハルドは、そう言って頭の後ろで手を組んだまま、すたすた先を歩く。

「全部、紙幣に換えてやった。その紙幣、一枚であの金貨三十枚ぶんだからな! 絶対破るなよ!」

 ファルケンは、袋を開いて十枚ほどを一束にまとめたものが詰められているのをみた。そして少し怪訝な顔をする。

「でも……、借金は返さなくていいのか?」

「借金は返すってば! つまり、お前がオレに金をかしてくれればいいんだ」

 レックハルドは、強めの言葉で言った。

「でも、全部やるって言ったぞ」

「へん! 苦労も何の危険もなしに金持ちになるなんて、癪に触る。オレにも男の矜持プライドってやつがあるだろ! だから、あくまで借りるだけだぞ。いつかちゃんと返すからな!」

 ファルケンは、にっと笑った。

「そうか~。意外にレックって、意地っ張りなんだなぁ」

「なんだよ、その言い方は……」

 ムッとした顔をして、レックハルドは振り返った。

「馬鹿な事いってねえで、早く品物を買いに行くぞ! オレ一人じゃ持ちきれないほど、買うつもりなんだ!お前に持ってもらわないと、オレの方が困っるんだから」

「持つのはいいけど、何を買うんだ?」

「そうだなぁ、やっぱり布かな。食料品は、途中でダメになる可能性もあるしなぁ。とりあえず、背負えるだけ背負うぞ! めざせ! 世界一の行商人! マリスお嬢様の恋人!」

「おー!」

 意気揚々としている二人の前に、数人の男が道をふさいだ。レックハルドは、そちらをむいて「あ!」と声を上げる。

「なんだ、昨日の借金取りのオッサン達じゃねーか」

「な、なんだと! てめぇえ! その口のきき方は!」

 一人が熱くなって、怒鳴りつける。街の道を歩いている人は怯えてまわりから遠ざかった。だが、昨日と違ってファルケンという用心棒がいるレックハルドは、いい気なものである。

「口のきき方って言われても、あんた達のききかたも大概じゃねえかよ。オレがなーんでそんな丁寧な口のききかたをしなくちゃいけないわけだよ」

 肩をすくめて、生意気な表情を浮かべる。ひとえに、ファルケンが後ろにいるからこそできる横柄な態度である。

「小僧! いい度胸だな!」

「よせ!」

 熱くなる男を、あわてて隣の年長者らしい男が止めた。

「あ、そうだ! ちょうど返す金ができたとこだったんだ。ほら!これもって帰りなよ」

 レックハルドは札束を三束ほど男達の方に投げた。

「借用書、破っといてくれよな」

 勝てるとわかると、人間いい気なもので、途端態度が変わる。十分神経は逆なでされているはずであるが、男達は、後ろのファルケンが恐いのか、積極的に手を出そうとはしなかった。札束を拾って、数え始める。

「おい、ファルケン行こうぜ」

 レックハルドは、ファルケンの袖を引っ張ってとっとと立ち去ろうとした。

「待て! 利子分が足らんぞ!」

 背中をむけた彼に、男が呼び止める。

「あんな違法な利子払う必要ないじゃないかよ」

「だからって貴様!」

「利子をとろうと思ったら、オレの友達をぶったおしてから言えよな! なぁ、ファルケン!」

 言いかけた男の口を遮って、レックハルドはこれ見よがしに笑ってファルケンの肩を叩いた。だしに使われていることを知ってファルケンは、軽くレックハルドを睨んだ。

 いくら鈍いとはいえ、この状況でこんな言い方をされるとその思惑ぐらい見当がつく。

「レック……」

「いいだろ。助けてくれよ」

 ファルケンもそう言われると、見捨てるわけにはいかない。しょうがないな、と呟きつつ、彼らの前に立ちはだかった。

「そうだ。オレが相手になるぞ」

 男達はひるんだ。昨日、瞬殺されたことは記憶に新しい。どう立ち向かっても、勝てるとは思えない。

「わ、わかった。借用書はこれだ。受け取れ」

「ちょ、何考えてんだよ!兄貴!」

 年長者の決定に、男が噛みつく。だが、首領は、その男を完全に無視をしてレックハルドの足下に借用書を投げた。ひらひらと、それは彼の足下に落ちる。

「じゃ、ありがたーくもらっとくよ。いこーぜ! ファルケンッ!」

「あ、待てよ~!」

 にやにや笑いながら、レックハルドはファルケンをせかして歩き始めた。機嫌の良さを示すかのように、足取りは大変軽やかだった。

「畜生! 虎の威を借る狐め!!」

 くやしそうに男達は吐き捨てた。

「兄貴! どうして素直に言うこときくんだよっ!」

「馬鹿言え! 昨日、あんなにさんざんにやられといて!」

「だけど!」

「馬鹿が! よく見れば、あの後ろにいる金髪の男は、人間じゃねえじゃねえか」

 年長の男は腕組みをして、去っていく二人を眺めていた。

「そうだぜ。顔に血みたいな赤い色を塗ってて、あの化け物のような強さとくれば、あいつは……噂に聞く辺境の……」

 さぁっと弟分達の顔が青くなる。兄貴が何を言ったのか、その断片的な言い方でもよくわかったのだった。そして、その言葉が示す脅威も。

「そ、そんな……、あの化け物が辺境の外の世界で、一人でいるなんてことぁないって!!」

「だから、わかんなかったんだ! 辺境で奴らをちらっと見かけたことはあるから、あの格好は間違いねえ。だけど、まさか外の世界にいるだなんて……しかも一人で! それにしても、化け物と付き合ってるあの小僧の気もしれねえ」

 兄貴は悔しそうに言って、レックハルドから受け取った金を荒々しく鞄のなかに突っ込んだ。


*


「レック……。またそういう脅しみたいな……」

 ファルケンは、呆れた目でレックハルドを眺めた。だが、レックハルドの方はけろりとしたままである。

「馬鹿~。目には目をっていうだろ。あぁいう脅し好きの連中には、もっと恐いヤツを押しつけるのが一番いい手なんだ。その辺が、まぁ、生活の知恵ってやつかな~」

 はっはっは。とレックハルドは笑う。

「それにしても、お前はいいよなぁ。やっぱ、人間見かけがごっついと特だね、特!」

「そうでもないぞ。怖がられるし」

「なめられるよりましだろ。オレなんか、こんなんだからよ。いっつも損ばっかりしちゃって」

 ファルケンは、そのレックハルドのとめどない不平をなんとは無しにきいていたのだが、急に思い出したように吹き出した。

「な、なんだよ! 何笑ってんだよ!」

「やっぱ、思った通り、レックはいい奴だなぁ~。うん、そうだと思ってたんだ」

「馬鹿だな。そういうこといってっから、いつまでたっても騙されるんだぞ。変なヤツだな、お前は」

 レックハルドは、別に感傷的な気分になるでもなく、そう素っ気なく応えた。そして、我に返って周りを見回すと、いきなり大声をあげたのだった。

「……あ、しまった! 店を通り過ぎちまったよ。はい! そこで回れ右! 品物を仕入れなきゃ、話にならねえ!」

「あ、待って!」

 慌てて走り出したレックハルドにつづいて、ファルケンも後を追って走り始めた。


 二人の奇妙な旅が、始まる。

 

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