二刀流の彼女

カフェオレ

二刀流の彼女

「夏は受験の天王山だ! 暑いからってダラけてると差をつけられるぞ!」

 数学教師の林田はやしだ先生は高校の夏期講習の開始早々、皆にげきを飛ばした。

 林田先生が黒板に向くと僕は隣の席にちら、と目をやる。

 隣はクラスメイトの二階堂菜月にかいどうなつき。僕の憧れの存在だ。成績優秀でスポーツ万能。テニス部の部長も務め、「二刀流の二階堂」と呼ばれている。

 目鼻立ちがはっきりしており、日本人離れした顔立ちをしている美人タイプだ。背も高くすらっとしている。

 一方、僕、山本巽やまもとたつみはというと勉強に関しては二階堂さんと同じハイレベルクラスにギリギリ滑り込めたが、周りのレベルが高すぎて毎日、劣等感に押しつぶされている。スポーツはまともにやったことがない。見た目に関して自己分析すると死にたくなるので、言及するのはやめておく。

 僕の視線に気付いたのか二階堂さんはこちらを見ると、林田先生の暑苦しさに呆れたような表情をした。僕もそれに呼応するように頷く。

 自惚れではあるが、二階堂さんとの関係では僕は他の男子よりも一歩リードしていると思っている。

 というのも、この夏期講習に伴う席替えで隣の席になってから、休み時間は二階堂さんと話すことが多いからだ。

 初日の休み時間に、勇気を出して話しかけた自分を誇りに思う。テレビやネットの話題で盛り上がることが多く、親近感が湧き、僕はより彼女に惹かれて行った。


「どうだった山本君?」

「全然分かんなかった。あんな問題解ける人間は変態だよ」

 先程の数学の授業で林田先生が解説した難関大学の過去問について、僕は正直な感想を述べた。この授業は前日に配布された問題を解き、それを先生が解説するというものだ。

「ええ、私変態じゃん! ショック……」

「え、違う違う。いい意味だよ、いい意味で変態」

 僕は失態を挽回すべく釈明した。しかし、傍から見れば見事なまでに情けなかったろう。

「ええ〜、いい変態なんかいないよ〜」

 ちょっと怒ったような口調だが、笑ってくれている。これはいい具合だぞ、と思った。

「ていうか解けたんだね。じゃあ授業退屈だったんじゃない?」

「そんなことないよ。それに私のレベルってここまでだから」

 遠くを見るような目で二階堂さんはそう言った。

「どういうこと?」

「これ以上のレベルになると全然ダメなの。今日の予習が終わった時も、もっと難しいのやってみたんだけど分かんなかった。先生に添削してもらっても無理」

 珍しく弱気な発言だった。少し心配になる。

「でもこれでも十分凄いよ。部活も引退したんだよね? これからすごく伸びるんじゃない? 僕なんか浪人しても辿り着けない境地だよ」

「ありがとう」

 そう言うと彼女は笑ってくれた。

 文武両道、完璧に見える彼女でも彼女なりの悩みがあるのだろう。今の「ありがとう」はお世辞だろうな。そう思うと、もっと気の利いた言葉はなかったかと、脳をフル回転させた。予習の時は一瞬たりとも見せなかった集中力で。


 放課後残って勉強するため、コンビニに軽食を買いに行くことにした。どうせ家にいてもやらないのだから。それなら学校にいてやらざるを得ない状況を作ろうと思ったのだ。

 するとどうしたことか、背後には二階堂さん。振り返った僕に気付き手を振って小走りに近づいて来た。

「山本君コンビニ行く? 私も、私も〜」

 僕は平静を装うのに苦労した。「ああ、うん」と言うのが精一杯だった。

 なんという奇跡! 彼女も放課後残るつもりなのだろう。

 こんなところを見られたら、多くの生徒や教師に誤解されるだろう。いや、しかしそれも悪い気はしないなと思った。こんな幸運二度と訪れるものではない。僕は喜びを噛み締めた。

 昇降口に向かう途中にある職員室に差し掛かった時だった。おもむろに扉が開き、二人の人物が出てきた。一人は林田先生。もう一人は担任の五十嵐いがらし先生だ。

 僕らは咄嗟に陰に隠れた。こんなところを見られては林田先生に、受験生がけしからん、と言われかねない。

「それうちのクラスで使うプリントでしょ? 僕が配っときますよ。林田先生」

「あ、いいですか。お願いします」

 林田先生はうやうやしく五十嵐先生にプリントを手渡した。

 林田先生は普通クラスの担任だ。見たところハイレベルクラスの担任に憧れている節があり、五十嵐先生に対してはいつもこうだ。学年主任も務める五十嵐先生に媚を売り、来年度のハイレベルクラス担任を狙っているという噂まである。

「いつも熱心にありがとうございます」

 五十嵐先生が言う。

「いえいえ、元々そっちには意識高くて、熱心な子多いでしょ? 教えれば教えた分だけ伸びて、本当にね、うちのバカ息子とは大違い」

 そう言うと、林田先生は豪快に笑った。

 林田先生の息子は僕らと同学年で某私立高校の強豪サッカー部の部長を務めている林田瑞樹はやしだみずきというらしい。今年のインターハイで優勝したとかで、新聞に載っていたがとても林田先生に似ていた。

「熱血教師の息子が勉強ほっといて部活に熱中してんだもんな。そりゃ怒るよね」

 僕は二階堂さんに同意を求めるつもりで言った。しかし、これも失態であったのをすぐに知ることとなる。

「頑張ってるんだから、いいじゃない。別に勉強だけが全てじゃないんだから」

 今回は明らかに気分を害したような口調だった。

「そ、そうだね。その点、二階堂さんは勉強もスポーツも出来るんだから凄いよね」

 またもや情けなく挽回に努める僕。これじゃあ五十嵐先生に媚を売る林田先生をバカにできないなと思った。


「ねぇ、ちょっと公園寄ってかない?」

 思わぬ誘いに僕は固まってしまった。

 コンビニを出て学校に戻る道。まだ今の二階堂さんの言葉を処理できていない。やはり僕の頭はポンコツだ。

「行かない? だったら私一人で行くけど」

「行くよ! 行くとも! 是非」

 ああ、神様! 感謝します。

 舞い上がる気分で彼女についていった。しかし、よく見るとその顔はどこか晴れない様子だ。なんだか一人喜んでいる自分がとても嫌になった。

 彼女は一体何に悩んでいるのか。知りたい、そして力になりたい。そう思った。


「私ね、東大に受からなきゃいけないの」

 学校に近い公園のベンチで二階堂さんはそう言った。

「どうして?」

 東大。周知の事実だが日本一の難関大学だ。うちの高校からも毎年ちらほらと受かってはいる。だが、正直言っていくら「二刀流の二階堂」でも少々難しいように思えた。

「親の方針。私、文武両道とか二刀流とか言われてるけど、親からしたらどっちも中途半端みたい。スポーツなら全国優勝、勉強なら東大っていう風に考えてるの。部活は引退しちゃったし、だから後は受験しかないの。浪人も許してくれないだろうし」

「そんな……」

 親からのプレッシャー。お気楽な家庭で育った僕はそんなもの感じたことない。可哀想だなと思った。

「さっきはあんなこと言ったけど、所詮私にはもう勉強しかないのよ。それも東大。でももう学力の限界も見えちゃったし」

 諦めたような笑顔で空を見上げる。僕も同じように空を見上げた時だった。左手に少し冷たい感触が伝わってきた。二階堂さんが僕の手に、自分の手を重ねてきた。

「ねぇ、慰めてよ。いつもみたいになんか言ってよ」

「……両親の期待に応える必要なんかないよ。自分の人生は自分で決めるべきだ」

 月並みな台詞、それも相当臭いものだったが、これが僕の精一杯だった。

「ありがとう。でも、うーん……両親じゃないのよ。うち離婚して母子家庭だから」

「あ、そっかごめん」

 初耳だったから知らなくて当然だが、僕はまた平謝りする。

「私、いっつもお兄ちゃんと比べられてるの。お兄ちゃんはスポーツで全国に行った。だから私には勉強でって」

「へー、お兄さんいたんだ」

 初耳なことが多い。二階堂さんのことが色々と知れて嬉しかった。

「うん、双子」

「双子⁉︎ へー、凄いね」

 別に双子だからといって何も凄くはない。焦って支離滅裂な発言しか浮かばなくなっていた。

「サッカーのインターハイで優勝したの。母さん大喜び」

 え? と思った。サッカーでインターハイ優勝。それはとても身近に聞いたニュースな気がしたからだ。そう、その学校とはつまり——

「まさか、君のお兄さんって……」

「うん、林田瑞樹。林田先生の息子」

 信じられなかった。さっき職員室前で怒ったのも当然だ。実の、双子の兄の悪口を言ってしまったのだ。そうすると、二階堂さんの父親はあの林田先生ということになってしまう!

「二卵性だから全然似てないけどね」

「そうなんだ。じゃあ二階堂さんはお母さん似なのか」

 この美少女からはあの熱血漢の面影は感じられない。とてもあの先生の血が入ってるとは信じられない美貌だ。

「うん。だからかな、母さんは私を引き取って、父さんはお兄ちゃんを引き取った。そしてお兄ちゃんは母さんの期待に応えた。私はどうも応えられそうにない」

 その時、重ねた手に少し力が入ったように感じた。

「僕は……二階堂さんのこと凄いと思うよ。それに好きだ」

 なぜ急にこんな告白をしたのかは分からない。衝動的だったが自然と言えた風だった。

「ふふっ、知ってるわよ。……私も好きだよ」

 僕が照れないようにか、さらっと何気ないように言ってくれた。もっと彼女のために何か言ってやらねば。

「二階堂さんがどう思うかは分からないけど、林田先生は……お父さんは誇りに思ってるとおもうよ。だってハイレベルクラスじゃん」

「ううん、それじゃダメなの。母さんと同じで父さんもスポーツなら全国優勝、勉強なら東大って人みたい。お兄ちゃんのことはやっぱり誇りに思ってるみたい」

 そうだろうか? 林田先生は明らかに林田瑞樹のことを誹謗していたようだが。

「なんで? だって林田先生お兄さんのことバカ息子だって」

「そんなことない。お兄ちゃんは父さんの自慢。そして私は——」

 二階堂さんの華奢な指が僕の指に絡まってくる。心臓の鼓動がどんどん速くなっていく。

 ああ、そうか……そうなのか……。


「そして私は——バカだから」

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