ナイト

富升針清

第1話 

「やあ、兄弟。またその不味いコーヒーでも飲んでるのかい?」


 シルクハットの男がお気に入りのティーカップを手に、紙コップを持った髭の男に声をかける。


「やあ、兄弟。何を言ってるんだか。このコーヒーは世界で一番美味しいコーヒーさ」


 そう言って、髭の男がコーヒーの入った紙コップを持ち上げた。


「嘘だろ? 社内じゃ誰もが泥水の方がマジだって言うじゃないか。君も常に言ってただろ?」

「馬鹿言えよ。私にとっては世界一美味しいコーヒーさ」

「泥水だよ」

「私にとっては世界一美味しいコーヒーさ」

「君、もしかしてゲームの中の村人に転職でもした?」

「ここより給料が良かったら喜んで転職する。あの上司がいないならね。私にとっては世界一美味しいコーヒーさ」

「今の君なら立派に務めを果たせそうだな。運良くコーヒーのある世界に行ければの話だけど。では、お先に」


 シルクハットの男はこれ以上は面倒くさいと、踵を返すことにしたらしい。

 それを見た髭の男は慌てて口を大きく開けた。


「ちょっと、ちょっと、ちょっと! 嘘だろ、兄弟! ここで普通帰っちゃう!? もう少し踏み込んで来るべきだろ!? このままアンタが帰ったら、私がこの泥水を美味しいコーヒーと思い込んでるただの残念なおじさんになっちまうだろ!」

「その通りなんだからいいじゃないか。僕は君みたいにこんな休憩場でのんびりしてる程暇じゃないんだ」

「私だって暇じゃないよ! それに、その通りなわけないだろ!? 血も涙もないのか!? この悪魔! 山羊頭! ウールの原料!」

「ウールは羊だろ。我々山羊から毛を刈るんじゃないよ。それに、悪魔は君もだろ。どんな悪口だ」

「悪魔の悪口はよそう。私みたいにいい悪魔もいるからね」

「僕にとっては立派に悪い悪魔だよ」

「それよりも何故この泥水か最高のコーヒーなのか、アンタは興味湧かないの?」

「湧かない」

「オーケー、オーケー。まあ、何も面白みもない話だと思うしね。アンタが興味ないもの無理はない。私はとてもこの話をしたいけども、私も無理意地はしたくない」

「いい心掛けじゃないか、珍しい。何か良いものでも食べたのか?」

「そうだよ。愛って、果実をね」

「……お先に」

「いやいやいやいや! それは可笑しいっ! その対応は可笑しい! 恋って果実だって!? と、アンタは驚くべきところだぞ!?」

「君、会社で煩いぞ。それに全部わかった。どうせ、そのコーヒーは君が性懲りも無く好意を抱いた女性から貰ったものなんだろ? そのお陰で泥水をコーヒーだと錯覚している。いや、錯乱か? ま、君はいつも錯乱状態だからそれほど誤差ではないね」

「アンタって奴は! この名探偵! 山羊のコナンとはアンタのことだよ!」

「そこはホームズだろ。作者を出すな。まったく。君って奴は何処まで言ってもわかりやすいな。で、お相手は?」

「ほら、最近隣の課に中途採用された子がいるだろ?」

「ああ、メデューサ嬢か。彼女、なかなか有能らしいね。一緒に仕事をした同僚がえらく褒めていたよ」

「だろっ?」

「何で君が誇らしげなんだか。ま、君は真逆だよね」

「恋人って奴はお互いを引き立てるために真逆の方が良いってかの有名なアスモデウス氏が言っていた」

「ならダメな方の格言じゃないか」

「ダメな格言も五億個集まれば一個は本当の格言があるもんさ」

「成る程、それは四億九千九百九十九万九千九百九十九の一つなわけだ。ゼロに何をかけてもゼロになるだろ? 同じ原理ということか。しかし、君がメデューサ嬢をね……。あれだな、美女と野獣じゃないか」

「絵本や映画になっちゃうぐらいお似合いな二人ってコト?」

「相変わらず君の脳みそのトランジスタは壊れているな。彼女の何処が素敵なの?」

「そうだな。美人ってのもあるけど、一番は気遣いが出来る優しさかな。例えば、私がコーヒーを待ってると自分の分と私の分を淹れて渡してくれたりね。それも一回だけじゃない。毎回さ」

「となると、それが件のコーヒーってわけかい?」


 シルクハットの男は、髭の男の手にある紙コップに目を向ける。


「勿論。世界で一番美味しいコーヒーってわけっ!」

「聞きたくもない話を聞いてしまったな」

「おいおい。人様の絵本を読んでおいてそれはないだろ? 兄弟」

「まだ話の続きでも? どうせ、君のとこだ。メデューサ嬢とお近付きになるために何をするか悩んでいるんだろ?」

「おお、兄弟。流石だ名探偵だ。でも、残念。お近付きになる方法は既に編み出してあるんだよ。悩んではない」

「悩んでない? なら、何故一人でここにいるんだい? 自席で仕事しておいでよ」

「今日の私の仕事は彼女のナイトなんでね」

「史上最高に役に立たなそうな騎士だな」

「兄弟、アンタにとってはな。私はただ一人の女性のための騎士なんだよ。彼女の剣さ」

「物騒な話だな。戦うなら、あの戦いの時の甲冑でも持ってきたらどうだ?」

「あんなもの着て出社したら、私は上司を一番最初に襲うよ。顔隠れてるし」

「君の武器で誰が犯人か一目瞭然だがね。何だ、本当に敵がいるのかい?」

「ああ。この敵が、私と彼女の距離を縮めるスパイスになってくれるんだよ」

「ふむ。何か事件の匂いがするな」

「流石、地獄ベーカリーの名探偵だね」

「パン屋になってるぞ。君、ホームズ読んだことないな?」

「文字は三文字までしか読めないタイプの悪魔なんだ」

「君にはそれほど期待してないから、大丈夫だよ」

「せめて四文字以上は期待してほしかった」

「君相手に無理な話だな。それで、それはどんな事件?」

「ああ、何でも彼女のことを付き纏っている輩がいるらしいんだ」

「穏やかじゃないね。ストーカーってことかい?」

「いや、其処迄悪性ではないらしいよ。私も彼女が友達に相談しているのを小耳に挟んだだけだしね」

「小耳を立ていたのでは?」

「立てて挟んだっ。どちらにしろ、私の耳は立ってるんだから変わらないだろ?」

「後でアレクサに減らず口が減る方法を聞いてみるよ。君はその情報から、彼女に付き纏う悪漢を倒して彼女とお近付きになる寸法ってわけ?」

「流石名探偵。今は張り込みってわけ。彼女、よくここ隣の給湯室で待ち伏せされてるらしいんだ」

「ふーん。いつから張り込んでいるんだい?」

「今日で一週間かな。ここなら彼女が給湯室に向かう度に確認しにいけるだろ?」

「通りでやたらここで君と会うわけだ。相手の特徴は?」

「ガタイのいい悪魔らしい。まったく、あんなか弱い女性に付き纏うなんて同じガタイの良い悪魔として許せんな」

「確かに、君もとてもガタイがいいものな。他には?」

「何でも、よくコーヒーを飲むらしいよ。こんな泥水みたいなコーヒーが好きなんで、ちょっと普通じゃ考えられない」

「それは同感。そのコーヒーを手にしている君を見て心底そう思ったからね。他には?」

「髭が生えているみたいだね」

「成る程。他には……、羽とか生えてるんじゃないか?」

「流石兄弟だ。そうなんだよ。給湯室には邪魔な大きな羽を持っている奴らしい」

「君みたいな、ね」

「私の羽は標準だよ。まあ、人より肩幅ぶんだけデカいけど」

「君の肩幅が人よりでかいのが問題だな。それでいて、ツノは二本ってところか?」

「パーフェクト! アンタ、犯人知ってるんじゃないか?」

「うん。君の額にある二本のツノを見てね。僕も今そう思っていたところだ」

「なあ、兄弟。彼女の騎士である俺に犯人の正体を教えてくれよ!」

「やめておいた方がいい。全てに置いての話だがね」

「何で? まさか、アンタが犯人?」

「僕はコーヒーを飲まないし羽がないよ。でも、ここにコーヒーを飲むし羽もあるし、ガタイが良くツノが二本の、彼女がコーヒーを取りに来るたびに給湯室に向かう悪魔がいるだろ?」


 シルクハットの男の前には、コーヒーを持った羽と体の大きい、二本のツノが生えた男が一人。


「……」

「いっただろ?全てにおいてやめておいた方がいいって」

「……なら、私が私を捕まえれば彼女とお近付きになれるってこと?」

「おや? おかしな方に流れていったぞ?」

「私が犯人とナイトの二刀流なら、無限に距離が縮められるわけじゃない? 一人で攻めも守りも出来るわけでしょ?」

「そう言うのなんて言うか知ってる?」

「二天一流?」

「地獄の永久機関だよ。ゼロに何かけてもゼロって言っただろ?」

「恋人たちに必要なのは小さな積み重ねってアスモデウス氏が」

「彼が言わなきゃ何でも名言だよ。さて、両手を出したまえ」

「いいけど、何するの? 握手会? 私、チケット持ってないけど?」

「残念。僕はアイドルではなく、名探偵と警察の二刀流なんだ。はい、犯人確保。連行する」

「アンタはただの経理課の社員だろ! それに、それを言うなら一人二役じゃないのか?」

「それもそうだ。けど、次は本物の二刀流に出会えるさ」

「私はマスターソードの所にでも行くのかい?」

「まさか。君の上司は、説教しながら君の仕事をチェックする二刀流が出来る人だろ?」

「……成る程。ちょっと待ってくれる? 今から五輪書読んで二刀流の練習するから」

「五輪書が三文字しかないことを願っているよ」


おわり

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ナイト 富升針清 @crlss

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