笑顔のベリーソース

五色ひいらぎ

惑乱のグリフォンソテー

「完璧だ。なんという美味」


 白髪はくはつの客は、食後酒のグラスを置いて息を吐いた。


「全て素晴らしかったが、特に仔グリフォンのソテーが絶品だ。かぐわしい肉に絡む、甘いベリーソース……流石は天才ラウル殿の得意料理スペシャリータ。この世にここまで美味い物があるとは」

「恐れ入ります」


 俺は深く頭を下げつつ、内心で高く笑った。

 今日の客も、代金分は満足させてやった。「天才料理人」の値段分、きっちりとな。


「複雑な味のソースだったが、何の実が入っておるのかな」

「レシピは門外不出の秘密ですので……ただ、ブルーベリーやカシスなど『普通の』物だけではありません。自ら山を歩いて収穫した、野生の実もいくらか」

「手間をかけておるのう」

「北方の戦で乾燥果実が品薄でして。南方の同等品で埋め合わせても、値が上がるだけで面白みはない。ならば、と」

「ふむ、流通の知識も創意工夫の才もあるか……」


 客は白い髭を満足げに撫でた。瞼に埋もれそうなほど細めた目、緩んだ口元――見るからに満ち足りた顔だ。胃袋が膨れた客は満足、懐が膨れた俺も満足。関わった者は皆笑顔、幸せ一杯の最高の商売。


「これほどの腕、市井に埋もれておるのはもったいない。王宮などには興味がないのかね? 出仕すれば、王はきっと大喜びだろうに」

「窮屈なのは苦手でして」


 うわべだけの笑顔で答える。

 冗談じゃねえ、誰かの子飼いになどなるかよ。毎日毎日、同じ奴の嗜好に合わせた料理……考えただけでぞっとしねえ。格式やら何やらも面倒だ。

 凡百の料理人は、給金さえ貰えりゃ満足なんだろう。だが俺は天才だ、獲物は向こうから来る。最高の狩場を捨てて檻に入りたがる大鷲はいねえよ。

 その時、客の隣に座っていた若い男が立ち上がった。深緑のベストをかっちり着込み、癖のない黒髪を肩のあたりで揃えた、いかにも固そうな手合いだ。


「主、少しよろしいでしょうか。彼と話がしたく」


 客が食べる時、先に口をつけていた毒見役だ。毒の想定は不愉快だが、お偉いさん相手だと仕方がねえ……だがこいつは何を考えてるのか、自分が食べてすぐ主人へ料理を勧めていた。毒の効き始め頃まで待たなきゃ、毒見の意味はねえだろ。

 俺は手を引かれ、個室の外へ連れ出された。毒見役は扉を固く閉じ、俺の正面に立った。


「お料理、流石でしたね。特には絶品でした」


 心臓がすっと冷えた。

 俺は一つ息を吐き、作り笑いを整え直した。大丈夫、バレるわけねえ。仔羊と下処理済の仔グリフォン、食感だけならほぼ同じ。肉には、グリフォンの香気に似せた配合のスパイスをたっぷり揉み込み、ソースにも風味が強い野生の実を混ぜた。こいつが「本物」の芳香を知っていたとしても、十分ごまかせるはず。


、お気に召したなら幸いですよ」


 相手の目つきが険しくなった。


「空を飛ぶ生物にしては、柔らかい肉質でしたね」

「子供ですから。筋さえ取ればそんなもんです」

「グリフォンは子供も肉を食べます。肉食獣の臭みさえ消えていましたね……近い匂いの香辛料は入っていましたが」

「味付けのお褒め、痛み入ります……俺を誰だと思ってます?」


 目の前の笑みが、鋭くなる。


「デリツィオーゾ城下が誇る天才料理人ラウル。どんな食材も魔法のように美味に変える才覚の持ち主。だから食材偽装もばれない、と思われましたか」


 毒見役は、己が首元の細い鎖を引いた。現れたペンダントに、見慣れた紋章――我らが国王フェルディナンド陛下の紋がある。


「お忍びとはいえ、国王陛下を騙した罪は重いですよ。『神の舌』の名、ご存知ありませんか」


 全身から血の気が引いた。

 噂には聞く。陛下の元に、おそろしく鋭い味覚を持った天才毒見人がいるとは。その舌はどのような毒も薬も見分けるがゆえ、毒見の後に時間を置く必要さえないと。そいつがこいつだとすりゃ、毒見後すぐに主人が食ってたのも解る、が――


「陛下の言葉を繰り返します。王宮に興味はありませんか。今以上の収入と身分は保証します……それに」


 声に威圧感が籠る。

 鋭い目が見据えてくる。


「羊とグリフォンの区別もつかない凡百の民のために、あなたは料理を作り続けるおつもりですか?」


 毒見役は口角を持ち上げ、己の唇を一舐めした。

 否の答えを想定していない、勝ち誇った笑いだった。

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