届いた手紙

相内充希

届いた手紙

 リンドウは二度読み返した手紙を置いて息をついた。

 手紙はイリスからで差出人はアンジェラ・ドランベル。ここヒィズルではマチダ・スミレとして過ごしていた女からだ。

 イリスとヒィズルの間には二つの大陸がまたがっている。彼女は子供たちと無事大陸を超え、海を渡り、故国での生活を始めた。


「おまえさん、それ、スミレからなんでしょう。なんだって? あの子たちは無事なんだろう?」


 夫が手紙を読み終えるのを、そばでそわそわと待っていた妻のヤマブキが促す。妻はスミレの友人で、彼女の子――いや、正確にはスミレの甥と姪も可愛がっていた。祖父危篤―の連絡を受け、突然帰国することになった三人を誰よりも心配していたのはきっと妻だろう。


「ああ、無事着いたし、爺さんケロッとしてたってよ」

「そりゃよかった」


 にっこり笑ったヤマブキは、リンドウの「内緒だからな。当然暁の狼にもだ」という言葉に了承し、部屋から出ていった。

 それを見送り、リンドウは暗号・・で書かれた手紙を読み返す。


 スミレは、一言でいえばとんでもない女だった。

 駆け落ちしてきた彼女の姉夫婦が、遠い東の国ヒィズルで亡くなったあと、彼女の最期の言葉に従いリンドウはすぐさま実家へと連絡を入れた。手紙は早くて二か月で着くが、実際届いたのは半年後だという。実家には親代わりの祖父と妹がいるという話だった。

 さらに二か月後、この国にやってきたのがスミレだ。

 まだ十八の娘が大陸を超えるため、幻視の魔法とやらをかけてもらって二十も年上のふりをしてきたのだ。期間だけ見ても、彼女がどれだけ急いできたのかわかるが、当時スミレの甥と姪は人攫いに連れていかれ、消息不明だった。


 彼女の依頼で、手をこまねいていた仲間連中も動くことができ、ようやく子供たちを救出。スミレはすぐ環境を変えることはできないと、そのままこの国で過ごすことにした。実際は当主だという爺さんに勘当されていた姉の子を、連れて帰るのが難しかったからだ。


 そこでスミレは姉夫婦の跡を継ぐことになった。

 彼女の姉は優秀な魔術師で、その夫は優秀な弓士だったのだが、それを知ったスミレが弓のほうを選んだことを最初意外に思った。それもこの国では見ないような十字弓だ。

 腕前も確かだったが、ヒィズル人のように自分の武器を身の内に収めるなんて芸当ができるはずもない。


「なのに、やってくれたんだよな」


 はじめてスミレが武器召還をした時のことを思い出し、くくっと笑いが漏れる。

 スミレは魔法を使って自分の武器を取り出し、皆に仲間だと認めさせた。そのうえ魔法も使う。


 魔獣の核をとるため、スミレは彼女の姉のように魔法で魔獣を混乱させたり動きを止めたりし、弓で確実に仕留めるのだ。


「一人で二人分の仕事だからな、恐れ入るぜ」


 現場で見た仲間たちが、なんてでたらめなと、あきれるやら感心するやら大変だったことも今ではいい思い出だ。


 ただ、リンドウにとっては皆とは違う思いがあった。

 ヒィズルで過ごしやすいよう、こちら風の名前を付けようと「スミレ」を提案したのはリンドウだ。彼女が苗字に「マチダ」を選んだのも、この国のことをよく学んできたのだなと感心した。はじめは多少違和感があった彼女の外国人なまりも、すぐわからなくなった。


 そんなスミレは、気が高ぶると灰色の目が紫色になる。

 その点でも、ぴったりの名前じゃねえか、などと悦に入っていたのだが、スミレが弓を使い魔法を使い、言葉や振る舞いもそれっぽくなってくると――これは夢かな?――と、リンドウは考えるようになった。


 誰にも話したことはないが、リンドウには前世の記憶がある。

 マチダ・スミレは町田純玲。この名前の女性は、前世のリンドウが書いた小説「ヴァイオレット・アイズ」シリーズの主人公なのだ。そしてアンジェラの振る舞いは、どんどんそのヒロイン、スミレらしくなってくる。


(これは偶然か? それとも俺が小説の世界に転生した?)


 そう考えたのも無理はないだろう。

 とはいえ、ここと小説の世界観はまるで違う。ヒィズルはどことなく明治維新前後に似た国だが、小説は二十一世紀の架空の日本を舞台にしたアクションファンタジーだ。


(だから小説世界転生説は消した)


 そんなある日のことだ。

 珍しく狩りに同行したリンドウが魔獣討伐に加わった。

 リンドウの剣は一般的なそれよりも細身で反りがある。それを違い二本同時に使うのが特徴だ。

 それを見たスミレが「二刀流?」と小さくつぶやいたのを、リンドウは聞き逃さなかった。こちらに刀なんてものはない。当然二刀流なんて単語もない。しかも聞き間違いでなければ、確実に日本語だった。

 次いで「宮本武蔵かしら」なんて言葉が聞こえてくれば、もう間違いないだろう。


 スミレは日本からの転生者だ!


 そして、その後細かく観察した結果、生きてた時代もおそらく同じくらいだと結論付けた。


 そのことに、リンドウがどれだけ感動したか彼女は知らないだろう。

 一人だけだと思ってた、この世界において異質なものである自分。余計な記憶を抱えていることに違和感を持ち続けていたリンドウは、一人じゃないことに肩の荷が下りた気がしたのだ。実際身が軽くなったように感じ、妻からも顔色がよくなり若返ったと言われた。


「ま、俺も当時まだ二十二だったけどな」


 スミレ同様年上のふりをしているが、実際は彼女と三歳しか年は違わない。

 死んだ兄の跡を継ぐためにそうしてきた。妻が年上だからということもある。

 だから表向きは何も変らないよう振舞っていたけれど、スミレ達のことはことのほか気にかけた。

 もしこの地に根を下ろすなら、最大限の援助もするつもりだった。


 七年間、自分の倍ほどの年のふりをし、傷ついた子供の心のケアや、帰国しても問題ないよう彼らに教育も施したスミレ。

 いっそ男の一人もあてがおうかと思ったくらいだが、彼女に近づけた猛者はいない。


「暁の狼を除いて、な」


 暁の狼はあだ名だ。

 金色の髪をした外国人の男。仕事の関係で一人やってきた彼の名は、本名も仮の名もヒィズル人には難しく、結局あだ名で呼ばれることになった。

 スミレに彼の世話を頼んだのは、同じ大陸を超えたもの同士だということもあったが、彼女はそのことを狼に打ち明けることはなかったらしい。


「狼の方はスミレにべた惚れだってのに」


 立ち上がって窓の外を眺めると、日が落ちた風景はそろそろ夜色に変わるころ合いだった。


 スミレが急に消え、暁の狼はショックを受けていた。

 二人が同じ国の出身であることをリンドウだけは知っていたが、守秘義務の関係でどちらにも教えていない。

 狼は、スミレを見た目通り十五くらい年上だと思っていたが、子供の父親にもなる覚悟だったことにリンドウは気づいていた。

 もしあと半年ほど時間があれば、もしかしたら二人は夫婦になっていたのでは――。

 そう思うと残念だ。


 慌ただしくスミレが旅立つ前、リンドウは着いたら便りをよこすと言う彼女に頷いた。

「暗号を使ったほうがいいわよね?」

 首をかしげるように言うスミレに、思わずニヤリとする。

 この国で字が読めるものは少ない。スミレは書くこともしっかり習得していたが、便りには秘密が含まれることが多くなるだろう。今後彼女は、仲間ではなく仕事相手になるからだ。


「日本語で書いてよこせばいいさ」


 くくっと笑うリンドウに、目を見張ったスミレは「ああ」とも「おお」ともつかないような声を漏らす。完全に絶句している彼女に向け、日本語で町田純玲と書いてやると、途端に彼女の表情が輝いた。


「スミレ、知ってるか? この紫の目のヒロイン・・・・

「っ! もちろん。大好きだった小説の主人公よ。リンドウも?」

「ああ。俺もだ」

 今まで見せたこともない子供のような笑顔のスミレに、リンドウも大きく微笑んだ。

「もっと早く教えてくれたらよかったのに」

「こっちにも事情があるんでね。ま、いいじゃねえか。日本語なら暗号の必要がない」

「――それもそうね」

 あっさり頷くスミレは、次いであきれたような表情をした。


「前世の記憶があって、魔獣狩りの棟梁で、その実態はこの地の総督なんて。リンドウってば、いくつ顔を持ってるのよ」


 妻を除きスミレと暁の狼しか知らない秘密に、つい肩が揺れた。


「遊び人の実態が将軍だの奉行だのってのは、日本人の美学だろ? 元日本人としては外せないよ」


 実際はもう少し複雑な事情があるが、今はそれを語る時ではない。


「もしかして剣が刀風なのもわざと? 二刀流なんて、他の人はしていないでしょう?」

「あれは偶然。剣も技も、師匠から譲り受けたものだ」

「えっ? まさかその師匠も……」

「いや、多分それはない。こんなおかしなの、何人もいてたまるかよ」


 おかしなの・・・・・に含められたスミレは怒ることなく、むしろ安堵したように「そうね」と頷いた。


「スミレ。お前がスミレじゃなくなっても達者で暮らせよ。ここに味方がいることを忘れるな」

「ありがとう。心強いわ。――本当に」

 かすかに浮かんだ涙を拭ってやりながら、今後の約束を素早くかわす。

「本当に誰にも内緒なんだな」

 狼にも? と聞きたいのを我慢して確認すると、彼女は意志の強い目で頷く。来た時と違って、今度は守るべき子供が二人もいるのだ。その子供たちもすでに十代とはいえ、生半可な覚悟ではないだろう。水先案内人がいるとはいえ、この世界で旅は楽ではない。


「いつかヤマブキを連れて会いに行くよ」


 そう約束して別れ、半年近くたった今日、ようやく無事の連絡をもらいホッとした。


「いずれ、本当に会いに行かなきゃな」


 その時のためにヴァイオレット・アイズの新作でも書いておこうかなどと、いたずらめいた気持ちが沸き上がる。また小説をまた書きたいと思う日が来るなんて、自分でも驚きだ。


 スミレ、いやアンジェラは驚くだろうか。それとも「いくつ顔があるのよ!」と呆れるだろうか。


「その日が楽しみだ」

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