女子高生スナイパーは躊躇わない

澪標 みお

親友

「えー、では五賢帝の最後の皇帝は誰でしょう──23番の人」

「………………」


 ぼうっと窓の外を見ていたら、後ろの席の親友から肩を小突こづかれた。


弥生やよい? 23番でしょ?」

「……えっ……は、はいっ!?」


 椅子を鳴らして慌てて立ち上がると、私のクラス担任でもある世界史教師はやれやれと肩をすくめた。


「弥生さん。もう一度だけ言います。五賢帝の最後の皇帝は誰でしょうか」

「え、ええっと……」


 なんか長い名前のやつだった気がする……皇帝陛下を“やつ”呼ばわりするのは不敬かもしれないけれど。それにしても今はどこのページなんだろう? パニックになりながら世界史の教科書を必死にめくっていた、その時だった。


『──ゴホン。えー、ただいま共和国軍が学校に向かって進撃中との情報が入りました。つきましては、全ての授業を直ちに中断します。全校生徒の皆さんは速やかに地下シェルターに避難してください。繰り返します──』


 遂に来たか。私が思ったのはそれだけだった。北からの連邦軍を先日撃退したばかりだから、今度は西から迫りつつある共和国軍に重要拠点だと目をつけられた可能性がある。まぁ、実際そうなのだが。


「では授業を中断します。……じゃあ弥生さん、後は頼んだよ」

「頑張って!」

「死ぬなよー!」


 努めて明るい風を装った、しかしその奥に確かな悲壮さを秘めた先生やクラスメートからの声援が胸に刺さる。


「はい! ……マルクス=アウレリウス=アントニヌス帝です!!」

「はは、よろしい」


 教室を飛び出しながら叫んだ私に、避難の準備に入った先生は苦笑いした。


 これで私は先生からの問いに答えたことになる。それは今の私にとって、極めて重要なことだった。何故ならば、私はもう二度と授業を受けられないかもしれないのだから。



 *



 屋上に勝る狙撃ポイントはないだろう。全方位を見渡すことができるし、下からは死角になるため撃たれにくい。一方こちらは重力や風を味方につけることができる。


「ふうっ……」


 春の冷ややかな風に吹かれてはためいている、コンクリートの床と同じ色のシート。それを勢い良く取り去ると、整列された物騒な武器の数々があらわになった。私の相棒は初めから決まっている。


 マクミラン・TAC-50。


 重さは12kgに迫り、1448mmある全長のうち半分以上を長大な銃身が占める対物ライフルだ。そして一度ひとたび5発の12.7mm弾を装填そうてんすれば、世界最強クラスの狙撃銃としての実力を遺憾いかんなく発揮する準備が整う。


 私は灰色の固く冷たい床にうつ伏せになり、ライフルを構えてスコープを覗いた。階段を駆け上がったことで火照ほてった身体が冷めてゆき、高まった動悸が落ち着いてゆく。


 ──居た。先頭に装甲車が1台。その後ろに3人の歩兵が続いている。角度・距離共にちょうど絶好の位置だ。



 こうして実戦に臨む兵士は、いくつかのパターンに分かれると思う。


 敵とはいえ同じ人間なのだと思い、引き金を絶対に引けない者。

 敵兵にも家族が居るのだと考え、引き金を引くことを躊躇ためらう者。

 正義感や愛国心に溢れ、命令とあらば迷いなく敵を排除する者。

 防衛戦争の名の下で正当化された殺傷に、暗い悦びを覚える者。

 そして、寸分の躊躇いもなく無感動に、ただ冷徹に敵を殺す者。


 私は間違いなく一番最後の部類の人間だ。別に国のためとか平和のために戦っているわけではないし、敵を殺して喜びを覚えるわけではない。かと言って引き金に指を掛けることを躊躇したこともない。きっと私は、本質的に冷淡な人間なのだろうと思う。


 そうして私はまるで機械のように、迷いなく引き金を引く。サプレッサーが装着されているとはいえ轟音を立てて打ち出された巨大な弾丸。その初速は秒速800メートルを超え、弾道を描くように空気を切り裂いて、吸い込まれるように敵の心臓を貫く。生身の人間に、その強大な運動エネルギーに抗うすべなど有りはしない。

 爆発四散する人体の横へと私はすぐさま視線を滑らせ、引き金を引く。そしてまた攻撃対象を変え、さらに引き金を引く。躊躇いはない。その一連の動作には一抹いちまつの罪悪感も、あるいは達成感もない。


(まず……っ!)


 歩兵が全滅したことで流石にこちらに気づいたのか、装甲車がこちらへ回頭して向かってくる。ライフルではあの装甲は抜けないだろう。私は急いで立ち上がり、武器を持ち変えた。


 FGM-148・ジャベリン。


 所詮は華奢きゃしゃな女子高生に過ぎない私が装甲車両を撃破する、ほぼ唯一の方法だ。


「くうっ……!」


 米袋二つぶん以上もある対戦車ミサイルを火事場の馬鹿力で一気に肩にかついだ私は、流れるような動作で目標に照準を合わせ、そして発射した。

 赤外線で敵を捕捉したミサイルが発射筒ランチャーから飛び出して翼を開いたのと、屋上で無防備に全身をさらした私に狙いを定めた敵車両が発砲したのは、ほとんど同時だった。


「ヤバ……っ!」


 本能的に危険を察知した私はランチャーを前に放り投げ、急いで床に伏せて頭を覆う。直後、それは粉々に砕け散り、空中で激しく爆発した。

 

「……ぐぅっ!! いぎぃいい……っ!!」


 左腕に、さっきまで自分の武器だったモノの鋭利な破片が突き刺さる。遅れてやって来た強烈な痛覚に、私はのたうち回った。静脈をやられたのか、どす黒い血がドバドバ出てくる。もはや腕の感覚はなかった。そうか。傷つくってことは、こういうことなのか。

 時を同じくして、遠くの方で大きな爆発音がした。私の放ったジャベリンが空中でポップアップし、車両の中でも薄い上部装甲を金属噴流メタルジェットによって貫徹したのだろう。その威力に耐えられるわけも、敵兵が瞬時に脱出できるわけもない。数千万円のミサイル、そして私の血と引き換えに得た戦果。

 

 何にも思わない、そのはずなのに――。


「大ピンチだね、弥生?」

「……睦月むつき!? どうしてここに……くうっ!」


 私の親友が、命を賭してでも守りたい彼女が、何故か私の傍(そば)に立っていた。 

 睦月は顔をしかめている私を抱き締めながら、空の彼方を見上げた。


「わたしも戦うよ」

「逃げた……はず、じゃ……っ?」

「だってさ……このままだと弥生が死んじゃうもの。弥生が戦ってる理由と同じだったら、嬉しいな」

「だからって……っ!」

「わたしだって友達を守りたいんだよ」


 91式携帯地対空誘導弾(改)・SAM-2Bスティンガー。高性能な国産の地対空ミサイルを構える彼女の姿は、とてもじゃないけど素人には見えない。完全にさまになっていた。


「わたし、目だけは良いんだー。ほら、あの黒い点。攻撃ヘリだよね?」


 ちくしょうッ、何でだよ……!


「大丈夫だよ。今度はわたしが、弥生のことを守る番」


 そんな顔で微笑んでんじゃねぇよ。私はそんな顔をして貰うために敵を殺してきたわけじゃないんだよ。私は睦月のそんな顔、絶対見たくなかったのに──。


「ごめんね、弥生。今まで辛い思いばかりさせちゃって。もう大丈夫だから」


 一瞬優しく微笑んだ彼女はすぐに目線を戻し、発射っ、と叫んだ。今まで一度も私に見せたことのない、本気の表情で。マッハ2に迫る猛スピードで飛翔する弾頭は、攻撃体勢に移らんとしている敵のヘリに真っ直ぐ突っ込み、完膚かんぷなきまでに破壊の限りを尽くし――そして撃墜した。


「やった……! わたし、やったよ……っ」


 睦月は私を抱き締めながら無邪気に喜んだ。そのセーラー服の白い袖が、私の黒っぽい血でじわじわと染まってゆく。それに気づいた彼女は慌てて制服を脱ぎ、即席の包帯として左腕にぐるぐる巻きつけてくれた。


 撃たなければ撃たれる。殺さなければ殺される。戦争とはそういうものだ。

 私たちはもう知っている。戦時国際法が常に守られるわけではないのだと。あちこちで行われている無慈悲かつ無法な殺戮、その他おぞましい行為に実力でもって抗わなければ、結局何もかもが奪われ、そして殺されるのだと。何の正当性もなく侵略してきた国家に無条件降伏する選択肢などない。だから戦うしかない。そして、今の私たちには戦う権利がある。武器がある。意志がある。

 

 だけど。敵を殺すことにいささかの迷いも抱かず、何百何千という人間を葬ほうむ》り去ってきた私が、今更こんなことを思う資格は微塵もないのかもしれないけれど。


 ──彼女のことをけがしてしまった。


 ただ、そう思った。


 薄曇りの空を見上げると、私を膝枕してくれている睦月は、今にも泣き出しそうな目をしている。

 大丈夫だよ、と私はなんとか微笑んだ――でも、彼女の体温が、冷たい風になびいている長く綺麗な黒髪が、少しだけ遠いような気がした。



  〈了〉

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

女子高生スナイパーは躊躇わない 澪標 みお @pikoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ