ドッペルゲンガー
服部零
前編
ヒタヒタとした音楽。何も無い事実。僕はもう人生が詰んでいたし、何をしても許されると思っていた現状だ。失うものは何一つない筈なのに、雨だけが冷たさと音を残して行く。
どこからともなく聞こえる声のせいで力が抜けていた。つまらないくらい、人生が嫌いになった。持ってた花束が地面にぐしゃりと落ちる。気付けば極彩色の花弁がアスファルトに転がっていた。
「誰も僕の気持ちを分かってくれないんだ」
その言葉を受けて、世界が癌や何かに蝕まれることは一切ないのに、僕はその言葉がひどく馬鹿みたいに刺さった。
馬鹿みたいだ。本当、言わなきゃよかった。何もかもを。
そしてその時から何時間が進んだのだろう。僕が雨晒しのままで事態はコロリと転がった。
グシャリ。そう聞こえた。そしてその正体が気になって僕は聞こえた方向へと目を遣った。
「よう。雑魚」
僕が持っていた花束を踏み潰した男は愉快そうに笑う。僕はあまりの不快さに瞬間的に顔を歪めた。
「...誰?」苦悶が漏れる。
「俺は君の分身だ」
「誰か知らないけど、意味のない冗談はやめてくれ」
雨がバシャバシャと飛び散る音が聞こえる。
「じゃあ俺の顔を見てみろ。これは冗談じゃない」
男は近くに寄っていた。マジマジと男の顔を見詰めれば、焦燥で声が裏返った。
「似てるでしょ?」
見れば見るほど似ている。けれども、そう簡単にこの事象を理解することはできない。
僕は二人と居ないんだ。僕は一人だけだから。
「やめてくれ。一体お前は誰だ」
こんな悪戯をしたのは、こんな冗談を用意したのは一体誰だ。今持ち合わせる全ての気分を使ってもこの事象を受け入れて対応することは絶対に無理だだ。なのに、視界に映る筈のない、こうして向き合いに並ぶことは鏡越し以外ありえない人間がいる。
「鏡
「...百歩譲る。君が僕とは違う場所で生まれて育った鏡輪廻ということにしておく」
僕は狼狽えながらも呼吸を整えて、そう答えた。
「お前も災難だよな。これ買ったんだろ?」
状況が飲み込めない。というかマイペースに動かれてる。こちらの意見を聞こうとしてない素振りと反応に苛立ちを憶える。
雨風に当たったせいで頭がイカれたのか、名前が一緒で容姿も僕と合致している人間が僕と対話を図っている。
「フラれたらしいけど」
これは夢なのか現実なのかまるで分からない。夢だとしたら、この雨に濡れた不快さがリアル過ぎるんだ。
「おかしい」
「だよなあ。だって俺がこんな目に遭ったら死にたいもん」
ギリリと歯を噛み締めたくなるし、もう一人の僕の散った花弁を片手で摘み上げる仕草に目が行ってしまう。その度にアイツの挑発的仕草に苛立ちを覚える。
「なんなんだよ。お前は」
「俺は俺だ」
「だからなんなんだよ!お前は!」
僕は叫んでしまった。事態の不可解さに情緒が弾け飛んでいた。
「俺が誰なのかは。お前の想像に任せるよ。
...例えばSFみたいに別世界の鏡輪廻だとか、ただのお前が見ている幻覚とか」
もう一人の僕を名乗る彼は、僕を一瞥して愉快そうに口を綻ばす。
「でも」
「俺は悪いやつじゃないんだ」
「僕のしたことを笑ってる癖に?」
「正論言うね」
「悪人を信じる気はないよ」
「でも逆に聞いてみるけど、自分で笑えて来ないの?」
「うるさい。お前に何が分かる?」
というか話を逸らさないでくれ。
「君はもう一人の俺でしょ?」
意味深に彼は笑った。
「望みを叶えてあげても良かったのに」
「は?」あまりの唐突な持ちかけに困惑する。
「クラスの青木って子に」
「はあ!?」思わず胸がドキッとする。
「...付き合いたくて、コクったんでしょ?」
「うるさい!」
僕は今日、
「俺だったら望み通り、あの青木って子と付き合わせて上げてもいいけど?」
それはどうやって?いつの間にか苛々としながら呟いていた。だって奇跡でも起きなきゃ、それは無理だ。
「俺が此処に来た時みたいに時間を戻すんだよ」
「来た時?」
「こんな風に」
僕の姿をした男が指をパチンと鳴らす。
視界が歪んでいる。いや視界に入ってくるものが歪んでいる。空間が混ざり合っている。
「こっこれは!?」
「やり直すんだよ。俺の力で」
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