第6話

 十月中旬。湿度がやっと落ち着き、過ごしやすくなった外気の中で大学へ向かう。


 しかし、晴れの日はいつも以上に世界が騒がしい。学生の人数もいつもより多いような気がする。浮ついた奴らを抜かし、人の少ない所を探して歩く。

 


 あれから、時間が解決してくれるという事象もあるのだと思った。


 もちろん全てを解決してくれるわけではない。しかし、時間が解決してくれる問題の全ては、自分の人生において大変な傷を負うものではないということを学んだ。まぁ、時間が経たないと、その問題が自分の人生において障害なのか否か分からないという難点もあるが。


 とにかく僕にとってはさほどの問題はなく、また期待感もなく過ごせており、平穏な日常を取り戻していた。



 「いやー、今回は楽勝だったね。タイプだよって言ったらもう、すぐだったもん」


 いつもの牛丼屋で藤堂が武勇伝を語る。


 講義をさぼって会ったという女子大学生があまりにも簡単に抱かせてくれたらしい。


 はっきり言って全く興味のない話だが、意気揚々と話すため、特段遮ることもせず、うなずきながら聞き流す。


 「あぁいう女子はな、結局自分のことを見て欲しいだけなんだよな。ぶっちゃけタイプじゃなくても、そういうフレーズ言っちゃえば、一発よ」


 先程からほとんど変わらない内容だった。というか、さっきからずっとそればかりだった。


 が、藤堂のあっけらかんとしているところは嫌いじゃなかった。僕とは正反対のタイプ。講義はさぼっているが、地頭と顔面の良さでなんやかんや乗り越えられる器用な人間だ。少し羨ましく思う。


 「へー、どんな子だったの?」


 あまりにも話が進展しないので僕から尋ねることにした。


 「ちょっとぽっちゃりだったけどかわいい子。栄養士の大学に行ってるんだって。歳は二つ下って言ってたかな」

 「それって未成年じゃん」

 「同意の上だから。堅いこと言わないどいて」

 「訴えられて退学になれ」

 「そしたら菅谷一人でご飯食べることになっちゃうじゃん!」

 「いや、ときどき一人にさせてるもの藤堂じゃん」

 「たしかに」

 「まぁ別にいいんだけど」

 「お詫びに今度合コン開くからさ、菅谷も来いよ!」

 「行くわけないじゃん、あの宅飲みから絶対行かないって決めてるし。だいたいあんなに酒弱いのにどうやって抱けてるんだよ」

 「それは俺のテクニックだよ!俺ぐらいになると酒の力なんか借りないね」

 「はいはい、頑張ってください」


 全く中身のない会話を終了させて、最後の一口をほおばった。



 今日は藤堂も講義に出ると言ってたので、二人で校内の喫煙所に向かう。


 やはり昼休みの喫煙所は混んでいた。藤堂はその人混みから知人を見つけては軽く話しながら奥の方へと進んでいく。僕は無言でその後を追う。


 「そういえばさ、菅谷はどうなの?彼女とか、女子の話とか全然聞かないけど」


 先程の話から派生して僕に火種が飛んでくる。


 「いや、そういうのないから」

 「つまんな。今のうちに遊んでおかなくていつ遊ぶんだよ」

 「お前が遊びすぎだよ。ふらふらしてないで講義出ろ」

 「今日はちゃんと出るから、今日は!」

 「今更出てもしょうがなくない?絶対落単だろ」

 「まだ大丈夫。多分、一回は出てるから」


 そんなやりとりをしながらふと、喫煙所の入り口を見る。するとタイミング悪く派手な髪色の学生が入ってきた。


 白に近い金髪で首にはチョーカーという時点で周囲から浮いている。黒のパーカーにほとんど隠れて見えないデニムのショートパンツを履き、背中には大きなリュックを背負っていて全身黒ずくめだった。


 すると、そのすぐ後ろから眼鏡の男子学生が入ってきた。


 楽しそうに談笑している様から仲が良い事が窺える。ひょろりとした体格で、白いワイシャツにグレーのパーカーを羽織り、黒のスキニーを履いていた。あまり目立たなさそうな学生という印象だった。笑いながら眼鏡の肩をしきりにボディタッチしている。


 僕はその光景に腹立たしさを覚えてしまった。


 そして悟った。あぁ、この人は誰でもいいんだなと。僕への言葉も態度も全部誰かに、誰にでも投げかけているんだなと。


 「悪い、先行く」


 まだ半分以上残っている煙草を灰皿に押しつけて、この場から逃れようとする。


 「え?まだ残ってんじゃん?」

 「ちょっと、用事思い出した」


 ここにいられなかったし、見たくもなかった。僕は僕がかわいいのか?なぜかここで、いつかの小泉さんの言葉を自問する。僕はまだ僕がかわいいから逃げてしまうのか?悲劇ぶっているのか?


 二人を避けるようにして喫煙所を乱暴に出る。気付かれていていたかは分からない。知るよしもなく逃げ出した。



 もし、このまま三限に出席したら、鉢合わせてしまう可能性があった。


 厳密に言えば何度も校内で見かけてはいた。講義が被っているときなどは必然的に会うことになるし、向こうも僕に気が付いていると思う。


 しかし、逆に言えば、行動パターンを把握しているため、僕は別の喫煙所や食堂を利用していた。


 せっかく平穏な日常に戻せていたのに、また僕の心が乱れた。


 自分も利用されてた中の一人だったのか思うと胸くそが悪かった。遊ばれていたんだなと思った。あいつらに対してもきっと、慈悲をかけるような言葉をかけ、きっとこれから、よろしくボートでも漕ぎにでも行くのだろう。



 喫煙所での光景がこびりついて拭えないまま、バイトの時間になる。


 冷静になろうと、それだけを意識して手を動かす。しかし、冷静になろうとしているということは事実、僕は動揺しているということであって、それはどうやっても否めない。


 「菅谷さん!」


 そう急に呼びかけられてはっとした。いけない。集中しなければ。


 声の主は望月さんだった。望月さんともあれ以来まともに話をしていなかったなと思う。


 「て、店長が、今日は上がっていいって言ってますよ」

 「あぁ、ごめん」

 「今日ずっと、ぼけっとしてましたけど……あの、大丈夫ですか?」


 鋭い質問を突きつけてくる。その通り過ぎて少し動揺する。


 「いや、大丈夫」

 「そうですか……。ならいいんですけど」

 そう言いながら二人でバックヤードに入っていく。

 「あの、菅谷さん」

 しつこいな、と思ってしまった。

 「どうしたの」

 「あの……本当、何かありましたよね?私も今日これで上がりだし、私でよければ……その……話聞きたいです」


 さすがに。さすがにここまでくると、疑う余地がなかった。


 ―――なんかもう、誰でもいいし何でもいいか。


 全ての感情や考えに対して投げやりになった。正しくあろうとか、自制心とか、そういうものを全て放棄した。今までの真面目であろうとしていた僕が、急に馬鹿馬鹿しくなった。


 「いいの?ありがとう」



 僕は店を出ると、人生で一度も誰ともしたことないのに、ごく自然に、望月さんの手を握った。望月さんは戸惑ったように僕を見てきたが、僕が微笑むとすぐに握り返してきた。


 普段の居酒屋の制服とは違い、望月さんは、ベージュ地に小花柄のロング丈のワンピースで、最近少し明るくなった髪はゆるく巻かれていた。

 


 この子は多分、普通の幸せな家庭に生まれてきて、何不自由なく順調に育ってきて、学校でも集団行動を同調意識で過ごして、社会の不条理さとか不平等さとかそんなことに何の疑問も持たずただ流れに任せて、上手に生きてきた子だと思った。


 きっと僕に近寄ってきたのも、疑うことのない自分の正義感なんだろう。僕が人を避けていると察して、傷に何か暗そうな過去があると察して、私なら何か力になれるかもしれないという、壮大な勘違いとお門違いの親切心で、僕に近寄ってきたのだろう。


 その上で休日の予定と恋人の有無を聞いてきて、「私の入る隙はありますか」と確認してきた愚かな行為に、僕はつけ込んだ。

 


 早上がりをした、といっても時刻は午後二十三時。


 今からお店に行ったとしても、すぐにラストオーダーの時間になるだろうと、適当な理由をこじつけてコンビニに入っていく。  


 その動作に、望月さんは口を挟んでこなかった。僕が促すままに「あ、はいっ」と、好みのお酒やおつまみを選び、カゴに入れていく。「甘いものは?いる?」と聞くと、「え!いいんですか!」とはしゃいでスイーツコーナーに向かった。その間に、僕は入り口付近の日用品コーナーへと向かい、必要な物をカゴの奥の方に入れた。

 


 望月さんを先に外に出して、会計を済ませる。「おまたせ」と言いながら手を繋ぐ。望月さんが、すぐに握り返してくれたことから、そのまま決行した。僕らは人混みの流れに乗り、地下道の前を右折して奥の繁華街へと入っていった。



 派手な見た目の、褪せた建物に着き、入り口の料金表を軽くチェックする。池袋にしては安いところだった。これが恋人だったり大切な人だったりしたら最悪な選択だったが、僕らの関係にはこのくらいが丁度良かった。

 


 顔の見えない受付に「宿泊で」と伝える。望月さんはこのやりとりを隣で聞いていたが、やはり何も言わずに手を握っている。



 エレベーターに乗り、案内された四○五号室に向かう。歩いているときは小さい会話が弾んでいたが急に無言になる。

 

 「緊張してる?」


 と聞くと、


 「あ、全然、全然、大丈夫ですっ」


 と、あからさまに緊張していた。



 扉を開けるとかなり狭い部屋だった。ダブルベッドで部屋は埋め尽くされ、机にはテレビが置いてあり、あとはユニットバスがあるだけだった。まぁこれだけの破格で、最低限の設備が備わっているから、御の字だろう。

 


 とりあえずベッドに腰掛けて、チューハイとビールを取り出し乾杯する。


 望月さんとはそれこそシフトが被ることが多いけれど、個人的なことはあまり話したことがなかった。


 どうせバイトだけの関係にそんな情報は不要だと思っていたが、先程から、僕の出身地に始まり、高校の頃にしていた部活動、大学の所属学部学科、住んでるところなど、事細かに聞かれた。


 その質問の数々に対し僕は丁寧にはぐらかして答える。嘘をついているわけではない。必要最低限だけを話し詳細はうまく誤魔化す。


 その材料として「望月さんは?」と聞くと、嬉々と聞いていないことまで話してくれたが、特記することはない。やはり僕が受けた印象の育ち方と環境だった。幸せな家庭に生まれ、お手本のような人生を歩んでいた。



 何の参考にもならない個人情報をお互いに漏洩したところで、


 「それで、あの、その、菅谷さん、何があったんですか?」


 と、聞いてきた。そういえば、そんなことがきっかけで、今一緒にいるんだと思い出す。


 しかし、望月さんには悪いが、その話をする気は毛頭なかった。元からこの子に何を話しても意味が無いと思っていたが、話を聞いてより強く思うようになった。


 そして、気が付く。幸せそうな話を聞いて、僕の中で嫉妬と、愛憎と、嫌悪が入り交じった感情が渦巻いていた。これは望月さんに対してだけではない。もはや別人になってしまっていた小泉さんにも、いいように使ってきた優希さんにもだ。



 なんとなく付けて眺めていたテレビが終わって、気づけば飲み始めてから既に一時間半が経っていた。



 僕はなんとなく酔っていたが、望月さんは、だいぶ酔っているのか、顔が赤くなっていた。そのうえ横にふわふわと揺れているから、もう眠いのかもしれない。


 「菅谷さん?」


 横に座る望月さんが、とろんとした瞳で見上げてくる。


 そこで僕は、あぁ、今なんだなと思った。みんなこうしてるんだな、と。


 望月さんを抱き寄せる。驚いたのかびくりとしていたが、抵抗はしてこなかった。短くキスをしたあと、抱きかかえながらゆっくりとベッドに倒した。



 そこからは、薄汚い本能と性欲に任せて動いていた。嫉妬も愛憎も嫌悪も全てを撒き散らしていた。ただの捌け口として今度は僕が利用した。全部が最悪だった。



 一つだけはっきりと覚えているのは、天井照明の横に、小さなミラーボールが設置してあるという、至極どうでもいいことだけだった。

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