僕らの別れはいつも雨だった

碧唯うみ

第一章

第1話

 「―――はい、ではこの『どこかに美しい○○はないか』という文に言葉を入れてさらに、それに続きの文を考えて詩を作ってください。―――今は十四時半なので、四十分になったらどなたかに発表してもらいますね」


 おじさん先生のスタートと共に、僕はのろのろと考え始める。

 

 美しいもの。僕が美しいと感じるもの。切ないもの、儚いもの、散りゆくもの、一時的なもの。そういうものに僕は惹かれているのだと思う。そういうものが美しいと強く、思う。

 


 九月の始め。猛暑続きの夏をさらうように、いくつもの台風が通り過ぎていく。異常気象だった今年の夏は、日本各地で観測史上最高記録を叩き出していた。


 しかし、気が付けばもう九月。秋雨前線が連れてきた雨は、今朝から霧のように降り続いていた。教室は、冷たい水を含んだ湿度でみち満ちていた。

 

 雨の日は億劫だ。傘を差しても靴は濡れるしセットした髪はしおれるし、新調した革の鞄も傷んでしまう。


 でも雨そのものは好きだ。雨が降ると僕は少しだけ崇高になれる気がする。僕の中の概念が構築される。


 「では、時間になったのであてますね」


 ぼけっと外を眺めているうちに、十分が経ってしまった。先生が名簿を眺めながら本日の生贄を探している。しかし僕の詩はほとんど完成していなかった。周囲もざわざわとして追い込まれているようだ。


 「えーと、では日本文学科の菅谷貴幸さん、お願いします」

 「あ、はい」


 生贄にされたのは僕だった。周囲からの突き刺さる視線をふり払い、未完成の詩を読む。


 「どこかに美しい自然はないだろうか

  小鳥がさえずり 木々からは光が零れ落ち

  生命力に溢れる緑は そこに生き生きとした新たな命を芽吹かせる」


 読み終わると同時に、ぱらぱらと、興味のなさそうな拍手が起こる。先生からも適当な評価をもらい、席につく。


 「もう一人当てますかねー。では、歴史学科のヤマモトユウキさん」

 「はいっ」


 次に指名されたのは、僕の左隣の女性だった。僕とは正反対の潑剌とした返事をし、立ち上がる。


 「どこかに美しい夜はないだろうか

  月の街頭に照らされ 抉い鼓動で走る車も寝静まる頃

  君と歩いた車道を独り 上を向いて歩く私を 君は永遠に知ることがない」


 また、ぱらぱらと拍手が起こる。


 「面白い言葉選びですねぇ――。では最後にもう一人発表してもらいましょうか――」


 先生は僕のとき同様、適当な評価をしていた。しかし僕はその詩に呆然としてしまった。


 詩の情景、心情、言葉の選びとその羅列。え?と思ってしまった。


 月の街頭、抉い鼓動で走る車、車道、きっと泣いている私、永遠の、別れ―――その詩はまるで孤独を抱えているようで、痛くて壊れそうで、切なかった。


 どんな人かと思い声の主を盗み見る。声の通り目鼻立ちがそれぞれ強く主張をしている、きれいな顔立ちだった。


 しかし、髪の毛は白に近いような金髪で、隙間からのぞく右耳にはピアスが複雑に絡まり合っていた。オーバーサイズの迷彩ジャケットをはおり、裾をまくって頬杖をついている。


 その手には、赤を基調としたネイルが施されていた。賢そうな見た目はしていない。大学時代を飲み会とサークルかなんかでつぶしたような学生だろう。僕が生涯関わることのなさそうな人種だった。


 

 「ねぇねぇ。さっきの課題のこと、なんて言ってたか分かった?」


 講義が終わり、僕が帰りの支度をしていると、突然彼女の方から話しかけてきた。


 話したこともない相手に「ねぇねぇ」とは何なんだろう。礼儀を知らないのだろうか。明らかに僕のほうが歳下だからと、なめてかかってきているのだろうか。その態度が鼻についたため、


 「レジュメの十五頁問い三番まで解いてこいって言ってましたよ?」


 と、皮肉交じりに答える。しかしそんな僕の態度を汲み取らなかったのだろう、


 「あー!そうだったか!十五頁ね、サンキュー!助かったわ!」


 と、はしゃぐように答えてきた。その、のうのうとした態度に、さらにむかついた。


 僕は無言でお辞儀をし、自分の荷物を鞄に詰め込む。さっさと退散してバイトに行こうとして、席を立ち上がると、


 「ありがとねー!バイバーイ!」


 と、手をひらひらとさせてきた。僕は伏し目がちのまま、またお辞儀だけして教室を後にする。



 騒がしい。世界はどうしてこうもうるさいのだろうか。


 教室を出ると同時にイヤホンを取り出す。馬鹿な大学生の話し声、派手な足音。うるさい。いつから僕の世界はこんなに騒がしくなったのだろう。もっと清らかで、美しかったはずなのに……。


 そんな僕の気持ちを代弁するかのように、外は土砂降りになっていた。傘にあたる雨音の一粒さえも遮断するように、音楽で耳を塞いだ。



  大学の最寄り駅までは、徒歩二十分。並木道を抜け、団地の急斜面をのぼり、駅へ向かう。


 大学を出た直後から、スニーカーのつま先が不快に濡れていた。陰鬱な気持ちを加速させる。


 鞄についた水滴にも嫌気がさしながら、ICカードをタッチして駅の改札を抜ける。それと同時に、タイミング良く上り列車がすべり込んできた。電光掲示板の時刻を確認すると時刻は十五時二十分。まだバイトまで少し時間があるので見送ることにし、駅の待合室に入る。


 ベンチに腰掛け、ビニール傘を適当に巻き、ハンカチで手を拭く。ここまできてやっと落ち着く。待合室は湿度を下げようとしているのか、異常な寒さでクーラーが稼働していた。結露したガラス戸が、外の景色をぼんやりと映す。


 今日も特に何もない一日だった。取りたい講義のなかった木曜日は、友達と昼食をとるため昼に登校し、必修科目の三限に出席するだけだった。あとはバイトをして一日が終わる。


 ちなみにあるばいとは、平日は居酒屋、休日はゴミ収集をしている。今向かっている居酒屋は、時給が飛び抜けて高いことだけを理由に選んだ。しかし、止まらない客足と注文と皿の量に、バイト初日で時給の高さを理解した。


 だが、一年半、ほぼ毎日働いていると一つ一つの出来事に感情を起こすこともなく、毎日機械のように働けた。


 アパートに一人でいると、何もしていない自分の無価値さと存在意義のなさに死にたくなる。


 それに比べればどれだけ忙しくても、体力的にきつくても、何も考えず働いているほうがましだった。


 お金を稼いでいる自覚がなくても、働いていれば給料は入る。明細を見るたびに、自分はまだ大丈夫なんだと安心する。そうやって一年半、心の平衡を保って生きている。



 それから二十分後に来た電車を降り、池袋駅東口を出る。


 外は相変わらず、しっかりとした雨が降っていた。今が昼間なのか夕方なのか判別できないぐらい、外は暗かった。


 乱雑に閉じた傘を開きながら駅を出る。人ごみの余白を見つけながら横断歩道を渡り、いつものように喫煙所に向かう。


 吸い殻入れ周辺で空いている場所をみつけ、傘を肩で支える。鬱陶しい雨粒のついた鞄から煙草を取り出し、火を付ける。深く吸い、溜息と一緒に煙を吐き出す。煙は渦巻き、昇っていく。


 煙を目で追っていると視界に、白く大きな塔が映った。手前にある家電量販店よりもはるかに高い。東京タワー、とまではいかないが周辺のビルよりも頭二つ分ほどとびぬけている。


 それは、霧散している雲に突っ込んでいるようだった。いや、雲がビルに垂れ込んでいるといったほうが正解なような気がする。塔は空の灰色と同化して、みるみるうちに消えていってしまいそうだった。


 消える。消えるということ。なくなるということ。もうどこにもその存在が認識できなくなるということ―――僕は昔のことを思い出しそうになり、慌てて煙を吸い込んだ。



 機械のように働いてても、怒濤の忙しさであることには変わりない。


 相変わらず、バイトの人数と、客足の人数が全く見合っていなかった。今日も「頼んだ料理がまだ来ない」、「店員を呼んでいるのに全然来ない」というクレーム対応にも追われる。その度に客に対して頭を下げ、裏で新人にそれとなく指導を入れる。まだ一年半しか働いていなかったが、バイトの入れ替わりが激しいため、僕以上に長く働いている人がおらず、必然的に店長から新人指導を任されていた。


 「おい!店員!」


 本日何度目かの怒号が飛ぶ。店長はキッチンに入って調理担当をしていたため、     


 「少々お待ちください!」


 と言って、走って向かう。


 「いかがなさいましたか」


 怒号を上げていたのは、二十代ぐらいのやんちゃそうなお兄さんだった。かなり酒が回っているようで、酔いに任せて、まくしたたててくる。


 「この子がさぁ、連絡先交換しようっていってるのに断ってくるんだよぉ。別に連絡先交換するだけならいいじゃんかねぇ?!」


 そういいながら、向かいに座っている同年代の男二人と笑い合っている。完全に理不尽な要求だった。隣を見ると新人の望月さんが、困った顔をして立ちすくんでいる。


 「申し訳ございません、お客様。店員の個人情報は、お客様にお教えすることはできないです」


 とりあえず正論を通そうと試みる。


 「なんだよつれねぇな。じゃあ、お兄ちゃんのちょうだいよ」


 そう言いながら僕の左手をとってきた。ごつごつとした手にこわばると、男は僕の手をまじまじと見つめてきた。


 「え、お兄ちゃんすげー傷あんじゃん、どうしたのこれ、移植?」


 僕は、反射的に手を引っ込める。


 「いえ、特になにも」

 「お前、本気で男の趣味あんのかよ!」

 「おいおい、お兄ちゃん困ってるじゃんかよ!」


 他の二人が茶化してくる。どうやら彼らは気が付いてないみたいだった。


 「すみません、僕そっちの気はないので」

 「断られてやがんのー!」


 僕がそう軽く流すと三人はまた笑い合い、自分たちの会話に戻っていった。

 

 「失礼いたします」と言って、望月さんを連れて一旦裏に向かう。


 「すみません。助けてもらって」


 望月さんが小さい声でうつむきながら言う。


 「気にしないで」


 実際に、お客さんに絡まれることは、居酒屋ではよくあることだった。


 以前、女性三人の酔っ払いに絡まれたときは、口元までビールジョッキを持っていかれ、危うく飲まされるところだった。


 そして、それを拒否すると「お兄さんつれなーい!」と言われ、その直後ユニフォームに勢いよく吐かれた。


 「あの……。私も前から気になっていたんですけど、手の傷、なんかあったんですか?」


 望月さんはどうやら、左手の傷についてのやりとりに気が付いていたらしい。僕はまたとっさに左手を引っ込め、右手で隠す。


 「別に、なんでもないよ」


 僕はそう答えて仕事に戻った。



 バイトを終え、帰り支度をする。


 今日もきっちり十七時から働き、時刻は午前零時を指していた。


 緊張が途切れると、鉛のようなだるさが重くのしかかってきた。

 

 もう何連勤目なのか分からない。

 

 疲れはピークに達していたが、気が付かないようにさっさと帰路につこうとした。


 「菅谷さんっ」


 振り返ると、先ほど客から連絡先をせびられていた望月さんだった。看護学校に通う一年生で、この夏休みから働き始めている。この子の教育担当も僕がしていた。  


 「あぁ。どうしたの」


 僕が目を合わせると、戸惑いながらうつむいてしまった。


 「菅谷さんって今週の土日って……その……予定空いてたりしますか?」


 あ……。これはきっと行動を共にする予定を立てられるんだろうなと分かった。  


 傷つけないよう意識して、友好的な表情をつくる。


 「ごめん、土日はバイトがあるから」

 「でも。シフト入ってないですよね?」

 「そうなんだけど、掛け持ちでね。別のが入ってるから、ごめんね」

 「そ、そうですか。ごめんなさい……」


 行きたくない、という拒絶を隠して彼女に説明をする。望月さんは、少し泣きそうになっていた。


 しかし実際にバイトが入っているので仕方がない。事実を述べているだけだと、自分に言い聞かせる。


 「じゃあ、僕帰るから。おつかれさま」

 本格的に泣かれる前に、僕は退散しようと裏口の扉を開く。

 「す、菅谷さん!」

 また呼びかけられた。まだつけ入る隙が僕にあっただろうか?

 「何。どうしたの」

 「菅谷さんって、彼女さんいるんですか?」

 今までにない状況とストレートな質問に、一瞬戸惑う。そして、抉られる。

 「いないよ」

 

 それだけ言って、僕はバイト先をあとにした。



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