第21話(上)


 浴衣をおばあちゃんのお店に返してきた葵と翔は、部屋に戻るべく温泉宿のエレベーター待機所へ向かった。


 受付前にいた仲居さんに挨拶し、清掃員がホールの片づけをしている。いつも気になってはいたがこういうところの掃除は夜にやっているんだなと感心する。


 すぅーっと歩いていくと翔の目にはふと、温泉案内のポスターが目に入った。すぐに足を止めて、ポスターを凝視し始める翔に葵も数メートル先で足を止める。


「ねぇ、何してるの。早くいかないと次の来ちゃうよ~~」


「——あぁ、ちょっと待ってくれ!」


(えっとぉ……混浴はぁ……どうだろ、さすがに22時じゃ遅すぎたかなぁ……)


 混浴の時間を探す変態、ここに爆誕。

 恋人同士になったのなら別に裸を見ることも特段悪いことでもないのだが、こうも表に出されると引いちゃう人もいると言うのに。結局、深層では変わっていなかったのかもしれない。

 

 とまあ彼にも言い分はある。ここに来た時に仲居さんに色々と煽られた以上帰る前に一度くらいは入っておかなくては面子が立たない――と考えているのだ。


 あくまで建前で、本音と言えば――単純に一緒にお風呂に入りたいのだ。なら部屋のでもいいじゃんって正論を言われてもおかしくないがここはプライドが邪魔して混浴がいいらしい。


(……えっと……マジでないなぁ)


 普段の読書スピードをはるかに上回る速度で読んでいくがその記載は一向に見つからない。


 十秒ほど経って、それでも見つからなくて諦めようかと思った時、後ろから声が掛かった。


「……っねぇ、何見てるの?」


 彼女の声は翔の耳元で響き、ふぅっと息が吹きかかる。急な刺激に思わず肩をビクつかせてしまった。


「っ——!?」


「何見てるの?」


 自分の状況に気づき、翔はすぐさま振り向いてポスターを背中に隠した。


「——なななな、なに⁉」


「何ビクついているのよ……」


「べ、別に……ビクついてはないけど!?」


「……怪しいわねっ」


「あ、怪しくなんか……まさか葵さんにそんなこと、滅相もない!」


「そこまで否定されると逆に怪しくなってくるんだけど?」


「……なんでもない、本当になんでもないからっ」


 さすがにばれるのはヤバいと表情を変えて、真面目に言うと葵はなんとか分かってくれたようで手を引いてくれた。


「そ、まぁいいけど……ほら、戻ろっ。来てるしさ?」


「お、おうっ……」


 結局、確認できずに翔は部屋に戻ることにした。






 しかし、部屋の鍵を空け、中に入って手を洗い、和室の一角で一息つこうと思ったところで——。


「それじゃあ、行く?」


「え——な、なにが?」


 急な言葉で状況がつかめなかった翔は呆気にとられながら訊き返す。 

 すると、彼女は首を傾げながらこう続ける。


「何がって、ほら。さっき見てたじゃん?」


「……え?」


 何を? と翔はそう思った。


 しかし、彼女の方は何気ない表情で言ってくるせいか何かやってたかと真剣に考えて胸がバクバクしてくる。ただ、葵の真っ直ぐな顔を見ているとすぐにハッとする。


「……いや、さ。さっき見てたじゃん」


 そう言われて額から冷や汗が流れてくるのを感じ、ぎゅっと手を握り締めながら否定する。


「見てたって……あぁ、館内地図の事ね? そうだね、見てたよね!」


「いや……風呂案内」


「あぁ~~、そ、そうだね! せっかくだし、足湯だけじゃもの足りないじゃん!?」


「……いや、混浴でしょ?」


「あ……」


 さすがに騙しきれるわけもなく、秒でバレてしまった。


 とはいえ、ここまで来て天邪鬼で反対なことを言うわけにもいかないので翔もさっと表情を変えて、今度は真面目な顔で言い換えた。


「ま、まぁ……そうだな、行きたいな、混浴に」


「——へんたい」


「うっ……」


 あの夜の事を思い出せば自分だけじゃなくて葵も同様だとツッコめるのだが、さすがに今回は言い返せなかった。


 少しムッとした表情で言ってくる葵に翔は口ごもってしまった。


「でもまぁ、私も行こうかなって思ってたしいいわよ?」


「い、いいのか……?」


「今更何言ってるの?」


 先程まで泣いていた女の子とは思えないほどに冷静な言葉で言い返される。


(……いや、付き合ったのはそうだけど、いいのかな? 正直まだ早い気がしてっ)


「……ねぇ、私が聞いてるんだけど?」


 ザっと頭の中で考えていると突如として葵が顔を覗けるように近づけてきた。驚く間もなかったが、一歩後ずさりしそうになると小さな声でこう言われた。


「——告白されたせいで、アドバイスされてたことも出来なかったし、入ろうよ?」


 あまりにも艶めかしい声色に再びビクつきそうになったが今度は葵が肩を掴んでいて、逃げようにも逃げられずにまじまじと感じてしまう。


 何よりもいい匂いがして、たまらない。人も多かったし、浴衣も来ていたせいで汗も出ているはずなのに体臭なのか、髪の匂いなのか、あの時嗅いだはずの香りが一気に鼻腔に絡みつく。


「っ⁉」


 言葉にならない声が喉からぎゅっと這い出て、翔の体は硬直した。それに気づいたのか、それともたまたまだったのか定かではないが彼女はゆっくりと離れていく。


 ぼーっとしている翔の頬をむにっと引っ張って、彼女は微笑みながらさらにこう言った。


「——っほら、いこ?」


 結局、何も抵抗できなかった翔は半ば強制的に手を引かれて連れてかれてしまった。


(あれ、誘おうとしてたの……俺だよね? ていうかなんかドSっぽくなってないかぁ!?)


 

 


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