第12話

 午前11時24分。

 あっという間に一週間がすぎ、その日が来た。


 インターホンを鳴らし、ドアをノック。数秒待っても返事がなかったため翔は心配そうにもう一度インターホンを鳴らし玄関先でこう言った。


「準備はできたか〜〜?」


「まだぁ~~ちょ、あいてっ!」


 葵が慌てて返事をすると同時に ドガン!! と鈍そうな音がして、翔は慌ててだ緒の部を捻る。するとすぐにガチャっと音がしてドアが開いた。


(いや……さすがに鍵くらい閉めろよ)


 と葵らしいと言ったらそこまでだが、自分の身の安全は何とかしてほしい所だ。


「カギ閉めろって————って、おい、何してるんだよ葵、お前大丈夫か?」


「——う、うん……いてて、踏んじゃったぁ」


 思いっきり尻もちをつきながらにへらと笑みを浮かべる葵。旅行を目前にやらかす彼女に心底ため息が漏れる。


「えへへ……」


「えへへじゃねえよ……ほい、立て」


 手を伸ばし、持ち上げると今度は玄関先に何故か置かれた段ボールを踏んずけて横転。翔も腕を持って行かれて、覆いかぶさった状態になる。


「——どいてよ」


 赤らめながら一言。


「葵からこけたんだろ、まったく」


 恥ずかしくなった葵にやれやれと立ち上がり、翔は背負っていた旅行用にリュックを玄関先に置いて靴を脱ぎ一言。


「しっかりしてくれよ……ほら、手伝うから。早く準備してくれ」


「う、うん……ありがと」


「よし、早くやるぞ~~」


 そんなこんなで葵の準備を手伝い始めることになった。

 

 今更別に行くのが嫌だなんて思ってもいないが、まぁ、言い出しっぺがこんな感じでは少々心配になる。


(……ほんと、30分早くきてよかった。さすが葵って感じだな)


 午前中からへっぽこすぎる幼馴染に溜息を吐きつつも翔は嫌な顔一つ見せずに手伝いを始める。見た感じ準備も半分ってところの様だったが別に今日泊まりに行く温泉宿は割かし近場で、一泊。


 そう考えれば、そこまで着替えを持ってくる必要性もないから昨日のうちに済ませておけばすぐ終わるはずでもあるのだが——


 ――もちろん、葵は葵。

 「朝に準備すればいい」と考えていたわけだ。


「まったくだな」


「——ん?」


「なんでもない、いいからやれ」


 そんなこんなで始まった準備。


 さきほどからあるものないものを入れたり出したりを繰り返している葵を横目に、リュックの外側に手を掛けようとすると——


「あっ————ちょちょちょっ、それはダメ! まって‼‼」


「え、あ、あぁ」


「ま、まって……そ、そこはダメだから」


 恐ろしい速さ翔の手を掴みとめる彼女。

 どうやら、葵は真っ赤に頬を染めながら翔の手を掴み止めていたようだった。


「っ——はぁ、はぁ」


 ムッと頬を膨らませながらもチラチラと翔の顔を確認する葵。そこまで言うなら最初から準備をしていてほしいものだ。


「こ、ここは——し、下着だから……」


「お、おう……そうか」


 別に初めてってわけでもないのにな——なんて思ったが彼女にも色々と事情があるのかもしれないと悟った翔はすぐさま手を引いた。


「分かったから、すまなかったって……俺は何もしないから準備、終わらせてくれよ」


「——うん」


 小さな返事と共に再開し、見られたくない下着ってなんだろうかと疑り深く葵を観察すること30分。


 ついに準備は終わり、二人は駅近くのレンタカー店まで歩いて行くことになった。





 レンタカーの受付の方に一番安いAT車を頼み、いろんな保険的なのにもサインして合計8,000円ほど。大学生の財布的には少々厳しくもあるが今回の温泉宿の値段も考えれば案外安く収まったほうである。それに、今回行く場所は山奥で交通の便が非常に悪く、仕方ないのだ。


 ちなみに温泉宿は朝食と夕食込みで一部屋14,000円、部屋自体も10畳の和室で広縁もついている割には安い。最大人数は3人と贅沢に使えるのもいい点だった。


 まぁ、この場合の贅沢には深い意味もないことを理解してほしい。


「よし、行くか」


「シートベルト」


「あ、そうだな。危ない危ない」


「もう、しっかりしてよ」


「葵に言われたくないわ」


「……いいからっ」


 下らない言い合いをしながらエンジンをかけて、二人は出発した。


 かれこれ車で1時間ほどかけながら運転し、大学のある市街地からは抜けて一気に山の中。途中、道の駅で昼食を済ませた後、14時ごろには宿に到着した。車は宿の駐車場に止めて、受付でチェックインを済ませることになった。


 予約した時間よりも1時間ほど早いがそこはなんとかなるだろう。


「いらっしゃいませ。ご予約いただいたお客様のお名前を御伺いできますでしょうか?」


「あ、はいっ。えーっと、高梨葵で15時から予約したものなんですけど……もう、入れますかね?」


 葵がそう言うと、宿の女将さんパソコンをカチカチと打っていく。外観も和風で内装も年季を感じるよさそうな温泉宿って感じなのにパソコンはあるだなと翔が失礼ながら感心する。


 一分ほど待つと、女将さんは笑顔で。


「大丈夫ですよ。では、あの方がご案内しますのでお荷物をお預けください」


「はいっ、ありがとうございます!」


「ごゆっくりしてくださいませ、では」


 深々と頭を下げて、次に並んでいる客に視線を移して受付を開始する。そんな姿を見て翔は少し感心した。





 仲居さん二人に荷物を渡し、二回の一室に案内される翔と葵。そんな二人の姿を見られて何か勘違いしたのか、仲居さん一人がこう訊ねた。


「あのぉ、今日は遠くから来られたのですか?」


 いきなりの問いに少々驚いたが翔がすぐさま答える。


「そう―—ですね、はい。一応、車で1時間くらいでしたね」


「あら、そうなんですか……これはこれは本当にこんな小さな旅館まで足を運ばせていただきましてありがとうございます」


「いえいえ、こちらこそですよ。見た感じ景色も良くて綺麗ですし良かったですっ」


「そう言ってもらえただけでも光栄です。それに、背も高くてかっこいいですね」


 すると、もう一人の仲居さんがお世辞交じり翔に向けてそう言った。これもこれで急な誉め言葉に驚いたが隣に葵もいたため、軽くあしらう。


「ははっ、お世辞がお上手ですね?」


「まさか―—本心ですよ。それに、お綺麗な奥さんもお持ちで何よりです」


「まぁ、そうですね……お姉さんも綺麗ですよ」


「あらあら、そちらこそお世辞がお上手で……」


「まさかぁ」


「本音ですっ!」


「まぁ、そのお気持ちだけで受け取っておきますよ」


 適当にあしらいつつ、翔は聞きたいことを聞いてみる。


「あぁ、それでその、この辺って温泉以外にも何かある感じですか?」


「そうですね。温泉は露天風呂もございますし、外には足湯もございますね」


「足湯、いいですね」


「ですね。それで、その一応ではありますが―—ここは出て右を曲がったところに混浴もござますよぉ?」


「奥様といってみるのもいいかもしれませんね」


「やめてくださいよっ、ははは」


 ——と会話を繋げていくうちに翔はハッとする。


(ん、何? 今、奥さんとか言ったか?)


 まぁ、仲居さんから見たらこんな普通の土日に、車で遠出してきてくれたお客さん。それに値段はそれなりではあるが決してビジネスホテルのように学生が止まりやすい値段ではない。


 そんな色々を見かねて勘違いしたのだろう。とすぐに思考を転換する。


 だが、隣を歩いていた葵の方はそうでもなかったらしく頬を真っ赤にして動きがかくかくとしていた。


「奥様、大丈夫ですか?」


 そんな動きを見かねて、葵の前を歩く仲居さんが心配そうに一言。


「——だ、だだd、だ、大乗、大丈夫です……」


「っ」


「そ、そうですか……さっきから顔が真っ赤だったので、熱かと」


「っ」


 さすがに面白くて笑みを溢す翔。


「……な、なんで笑うのよっ」


「いや、別に……っ」


「——わ、笑わないでよ!!」


「す、すまん……つい、な……」


 そう言われてもと苦し紛れに笑みを溢していく翔にイラっとして、葵は一発。全体重を乗せた右足を翔の左足目がけて踏みつける。


「あがっ——!?」


 廊下に響く母音。

 後ろから聞こえた変な声に振り向き足を止める仲居さん二人。


「——だ、大丈夫ですっ!」


「な、ならいいのですが——」


「お気をつけてくださいね」


 不思議そうに翔を見つめながら優しく微笑み、歩みを再開したのだった。


(そうか、足湯と混浴ね……ありかもな)

 



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