人間失格ってなんやねん
アジピン酸
せめてプロローグは読み切りたかったよね。
漫画やライトノベルは好んで読むが、純文学には頑なに手に付けようとしない、そんな若者も多くいるだろう。
分かりやすく、刺激的で、そして中二心をくすぐる、そんなモノを知ってしまったら、純文学などジジババしか読まない、渋くて、色褪せたものに見えるのだろうか、いやそうに違いない。私がそうだった。
私の手には今、太宰治とか言う、たぶん九州北部出身であろう作家の人間失格と言う本が握られている。
大学受験も一段落し、特にする事もなく、一人自室に引き篭もる私を見かねた父が寄越したものだ。
はじめ、この古本の表紙を見た時、そのタイトルの陰鬱さとドブのような色合いのカバーイラストに父を睨み付けたが、絶対に面白いからと執拗に勧めてきた為、渋々読んでみた。
おもんねぇよ。
ジェネレーションギャップと言うもののせいか、単にこの物語の面白さを感じ取るセンサーが私に備わっていなかったのか、暫くして閉じてしまった。
どこのシーンで閉じたかというと、主人公が三葉の写真を見て、写っている人達(様々な時代の自身)につらつらと文句を垂れるシーンである。
無論、本書を読んだことがある方には分かると思うが、これはまだ物語のプロローグである。つまり本編は一文字たりとも読んではいなかった。
明日また気が向いたら読んでみようと、その日は断念した。
しかし本についていた紐は、いっちょう前にもピンと張って掛けておいた。
勿論そんな必要もなかっただろうが、世の中のもの書きや知識人達もこうしているだろうかと考えると、神妙な趣で、小さな溜め息一つ、慣れた様な手つきで紐を掛ける動作は、私の中二心をくすぐった。
次の日、私の頭からは完璧にそれの存在が消えていた。デスクには、只でさえ紙くずや参考書などが散乱しているのに、どうしてそれらに埋もれた小汚い本と目が合うことがあっただろうか、いやなかった。
次の日も、私の頭にそれが再び浮かび上がってくることは無かった。
そして今日、私の日課である就寝前の発熱運動を、恐ろしく鋭いセンサーで受信した父が、部屋に突入してきた。
「そろそろ寝るからな~。」
私はとっさにズボンを上げ、椅子に座り直し、たまたま手が触れた本をぱっと開いた。そして鋭い眼孔で、静かに敵を威嚇した。
「あぁ、そう……。」
父はほんの数瞬部屋を見渡し、微笑を浮かべ、そして軽い足取りで自室へと消えていった。
いちいち寝る報告なんかせんでええわクソ野郎。
そう心の中で呟き、いや口にしていたかも知れないが、とにかく、作業を再開するかと、ふと手に開かれたその本に視線を向けた。
あ、陰気くさいあの本……。すっかり忘れてしまっていた。
私は少し動揺しつつ、また少しの間を開けて、偶然開かれていたそのページを少し眺めてみた。
すると、ある一節にピントが合った。
逃げて、さすがに、いい気はせず、死ぬことにしました。
私の好奇心は強く刺激された。
単純に死という一文字への興味もあったし、また人の不幸は蜜の味がするものである。
そこで私は、本の背表紙の粗筋書きのようなものも見てみた。
男は自分を偽り、ひとを欺き、取り返しようのない過ちを犯し、「失格」の判定を自らにくだす。
ひとがひととして、ひとと生きる意味を問う、太宰治、捨て身の問題作。
全人類が生まれつき持っている病かも知れないが、こういう文章を読んで自分と深く重なる部分があると感じるのは、私もまた例外ではなかった。(一応、そんな事はないかも知れないと言うことだけ断っておく。)
そうしてここに来て、私はこの物語を読まずには居られなくなってしまったのだった。
私は最初の数ページ目に掛けてあった紐を神妙な趣で、溜め息一つ、慣れたような手つきで外した。
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