第22話 恋模様
夜の10時を回った青森市内。小さな街だから、東京のように深夜まで騒がしいことはない。
部屋はシングルルームで、もちろん俺の部屋と見た目も中身も変わらない。小さな窓があり、カーテンから外を見ると青森市内の夜景が見えた。
遠くにライトアップされている橋は、確か青森ベイブリッジという、この街を代表する、港にある
「とりあえず寝てろ」
そう告げて、俺は有無を言わさず彼女をベッドに促す。
その上、密かに持ってきた濡れタオルを仰向けになった彼女の額の上に置いた。
「冷たい!」
と驚きの声を上げていたが、
「でも、気持ちいい」
そのまま瞳を閉じてしまった。
俺は、ベッドから離れた位置にある、小さな椅子に腰かける。
さすがに、風邪で弱っている彼女を襲うようなことは毛頭考えてはいない。
「少しは良くなったか?」
聞いてみると、ベッドから仰向けのまま、彼女の声だけが聞こえてきた。
「うん。朝よりはいいよ」
「本当なら、医者に連れて行きたいところだけどな。っていうか、無理そうなら、お前だけ仙台に帰っていいんだぞ」
そう告げたのは、もちろん彼女のことが一番心配だったからだが。
「それは嫌」
思いの他、強い彼女の言葉が返ってきた。全力で否定してくるとは正直思っていなかった俺は、戸惑う。
「何で?」
「それは……」
珍しく言い淀んだ森原が口を
「そもそも何でわざわざついて来たんだ?」
俺の中では、それが一番気になっていた。わざわざついてくるということは、全く俺に興味がないわけではないはずだからだ。
彼女は長考に入ってしまったように、言葉を発しなかった。気まずいような沈黙が続く。やがて、
「君に仕事を辞めるようにそそのかしたのは、私だから……」
と声を絞るように発したが、俺はすぐに気づいてしまった。
(嘘だな)
と。
たったそれだけの理由で、普通はわざわざ俺のために、泊りがけの東北ツーリングにまでついてこないだろう。
あくまでも推測だが、彼女もまた俺に「心を許し始めた」、言い換えれば「興味を持ち始め」、同時に林田の存在が大きかったのだろう、と。
林田と俺が2人きりで、東北ツーリングに行くよりは、自分も加わった方がいい。そう思ったに違いない。
ということは、これは「脈あり」だろう。薄々はそうなのかな、と感じ始めていたが、これはチャンスだ。
だが、さすがにこの弱った状態の彼女に告白しようとは思わない。ということは、彼女には元気になってもらって、明後日には告白したい。
そう考えていると、その俺の思念を彼女の穏やかな声が遮った。
「でも、ありがとう。山谷くん」
「ん? 何がだ?」
「病気になった時は、誰でもいいから傍にいてくれた方が安心するものよ」
その言葉がまさに、俺が考えていたものと同じだったことに、喜びを感じてしまう。
「誰でもいいのか? 俺じゃなくても?」
俺は立ち上がって、彼女のベッドに近づき、その表情を見ようと、そっと顔を近づけた。
これは、ある意味での「賭け」であり、なけなしの勇気を振り絞った「挑戦」でもあった。
森原は、枕の上で顔をこちらに向けたため、額のタオルがずれ落ちた。
「山谷くん……」
潤んだような瞳が、可愛らしくて、今すぐに抱きしめたくなるような衝動にかられる。
距離が近づく。そのまま森原は瞳を閉じた。
だが、今さらながら、弱っている彼女につけ込んでいるみたいに思えて、罪悪感が湧き上がってきた。
いや、しかしこれはチャンスだ。そもそも瞳を閉じたのは彼女。これはOKのサインだ。勝手に解釈しつつ、俺は少しずつ彼女に顔を近づけていた。
(キスできる距離だ)
彼女の綺麗な顔が間近に迫り、思わずそう思って、ドキドキしていると。
「先輩! 何やってんですか!」
ドアが物凄い勢いで開かれ、奴が現れた。というより、深夜なのに迷惑だろうと思われるくらいの物音だった。
それに古いホテルで、オートロックもなく、しかもドアの鍵を閉めていなかったのが今さらながら悔やまれた。
もちろん林田だった。仁王立ちして、腕を組んで、睨んでいる様子が怖すぎる。
彼女は酔ってはいなかった。
恐らく俺の部屋に来て、俺がいないことに気づき、こちらに来たのではないか、と推測する。
だが、冷静に推測している場合ではなかった。
「あ、違うのよ、これは……」
必死に否定し、慌ててずり落ちたタオルを額に戻す森原。
「そうだ。俺はちょっと森原のことが心配だっただけで」
つられて俺も言い訳をしていたが、林田は仁王立ちのまま、つかつかと近づき、俺の首を前から掴んできた。しかも、その力が思った以上に強い。
「いいから! 弱ってる女の人を襲うなんて、先輩、サイテーですね!」
「違う! 襲ってないし、そんなつもりなんて……」
「はいはい。言い訳は向こうで聞きます。さっさと歩く!」
まるで、犯罪人を
そのまま、非常階段のところに連れて行かれ、
「先輩。タバコ」
何故か、俺のメビウス3ミリを怖い顔を向けられ、ゆすられていた。仕方がないから一本差し出す。
紫煙を吹かしながら、彼女はいかにも機嫌悪そうに、目を細めて俺を睨んだ。
「まったく油断も隙もありませんね」
「いや、別に森原に何かするつもりじゃなくて……」
さすがにマズい場面を見られたと思い、俺は思いきり反省し、彼女には謝るつもりでいたが。
「まあ、まだ普通の時だったらいいんじゃないですか?」
その前に、意外すぎる彼女の一言がかかった。
「えっ。いいのか? だってお前……」
俺のことが好きか、興味があるだろう、とは思っていたが、さすがに口には出せないし、それほどうぬぼれたくはなかった。
林田は、目を逸らしながら、遠慮がちに声を上げた。
「本音を言えば、先輩にはいつか私に振り向いて欲しいという気持ちがなくはないというか、あるというか、ないというか……」
「どっちだよ?」
思わず苦笑していた。はっきりしない奴だ。
彼女はそれには答えず、代わりに再度、紫煙を宙空に漂わせてから、息を小さく吐いた。
「私は最初から『負けて』ますからね」
「何でだ?」
「そりゃ、そうでしょう。森原先輩は、背だって高いし、スタイルもいいし、胸も大きいし、優しいし、頭もいいし、美人だし。私が勝ってる部分なんて、一つもありません」
幼児体型で胸もない林田の姿を見ながら頷く。
「マジでそうだな」
「そこは、嘘でも否定して下さいよ! デリカシーないですね!」
ぷんぷん怒ってはいるが、面倒臭い奴だ、と思い直した。というより、女心が面倒なのだが。
仕方がない。少しだけフォローしてやるか。なんだか林田が少しかわいそうに思えてきた。
「そんなことないぞ」
「えっ」
「最初は、面倒な奴だと思ったよ。うるさいし、ストーカーだし、ちっちゃいし、ガキだし、鬱陶しいし」
「ひっどい扱いですね、私」
「でもな」
「林田は、いつでも楽しそうだ。だから、お前がいてくれて、助かった部分もあるんだよ」
そう告げて、彼女の瞳を見下ろす。身長差があるから、文字通り、「見下ろす」ような形になる。彼女も俺の瞳を見つめていた。
傍から見たら、完全に「凸凹」コンビだ。
「そうなんですか?」
食いついてきた。林田は、わかりやすいところがあるし、悪く言えば「単純」なところがある。
「ああ」
「へえ。先輩が私のこと、そんな風に考えてたなんて思わなかったです」
「そうか?」
「はい。でもこれで、私、決心がつきました」
林田の目が輝きを放ち、生き生きしているように見えた。
「決心?」
「そうです。私、森原先輩には負けません!」
思わずその勢いと、タバコをもみ消して、拳を握りしめて凄む「乙女」の勢いに俺はたじろいでいた。
「お前。さっきと言ってること違うじゃねーか。負けてもいいんじゃないのか?」
「そんなこと言ってません。現状は『負けてる』だけです。でも、負けたくないと思いました」
「そうなのか? まあ、ほどほどにしろよ。お前ら2人が喧嘩して、雰囲気悪くなったら、旅は楽しくなくなる」
俺は思ったことをそのまま口に出していたが、林田は不機嫌そうに、
「まったく女心がわからない人ですね、先輩は」
口を尖らせて、俺を睨んだ。
「悪かったな」
「まあ、いいです。先輩は、そういうところが、先輩なんです」
「意味わかんねえよ」
「わからなくていいんですよ、この
「唐変木って、お前。意外と難しい言葉知ってるな。あと、今時使わないぞ」
「バカにしてるんですか? 別にいいじゃないですか?」
「いいけどよ」
「ほら、部屋に戻りますよ。先輩もさっさと寝て下さい」
「はいはい」
文句を言い、言われながらも、なんだかんだで、林田といるのは、楽しいような「気」がしないでもなかった俺だった。
だが、それでも俺の中での「一番」はまだ森原だったのだ。
3人の恋は紆余曲折しながら、模様を描いていく。
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