第14話 人の縁

 翌日。8月9日。

 そろそろお盆休み期間に入る頃だろう。ただし、ブラック企業のIT関係を除いて。


 山に囲まれた自然の中で迎える朝は、爽快だった。

 毎日、嫌な思いをしながら、満員電車に乗るために、駅に向かう憂鬱な表情を浮かべる必要はない。


 早速、出来合いの朝食を作る。


 昨日、コンビニで買ってきた肉まんを、持ってきたホットサンドメーカーで挟んで、焼くだけ。

 それに、粉末のコーヒーを同じく持参した、コーヒードリッパーで作る。これはコーヒーバネットと呼ばれる網型のフレームを使って、その上に円錐形のフィルターを置き、粉末コーヒーを淹れるだけだが。


 それでも、自然の中で飲むコーヒー、そして朝食には格別のものがある。


 テントを畳んで、片付けをし、最後に携帯で天気予報を確認する。その日も東北地方は晴れ予報だった。


 旅の最初から晴れているというのは、幸先がいい。


 バイクにまたがり、イグニッションスイッチを押す。眠っていた4気筒エンジンが目を醒まし、エキゾーストノートが響き渡る。


 走り出してから、俺は早くも決めていた。

(東北6県を回るか)


 東北地方の全6県。青森県、秋田県、岩手県、宮城県、山形県、福島県。全てを回ろう、と。


 もっとも、実家のある秋田県だけは、親に見つからないようにこっそり回って、ほぼ通過するだけと考えていたが。


 そうなると、ここから先に気軽に行ける場所、それも今日は「温泉」に入りたい気分だった。


 県境を越えた先。山形県に蔵王ざおう温泉という有名な温泉があり、そこの大露天風呂が素晴らしい、と前夜にネットで見ていたから、目的地はそこに決めていた。


 ここ桧原湖からは、山道を通り、大体2時間40分から3時間で着けるという、気楽さも手伝った。


 福島県をもう少し走っても良かったが、この先、北海道に行くことになれば、早い方がいい。


 何しろ、北海道の夏は短い。「お盆を過ぎると秋になる」と言われるくらいだし、モラトリアムの期間は8月いっぱいと決めていたからだ。


 やがて福島県から山形県に入る。

 道は片側1車線の山道が続いたが、この辺りは交通量が少ない。国道を走っていても、どこか田舎の県道を思わせる、のどかな景色が続いた。


 米沢市に入り、高畠町、南陽なんよう市、上山かみのやま市と抜けて、再び道幅の狭い、県道に入り、山道を登って行く。


 大自然の中に、それはあった。


 蔵王温泉は、山形蔵王と、宮城蔵王に分かれるという。ここは、山形県側にある、山形蔵王で、一般的に「蔵王温泉」と言うと、こちらを指すことが多い。


 入口は、質素で、簡素。受付で料金を払うと、網のような天蓋に覆われたトンネルが続き、その下の階段を降りると。


 そこには、エメラルドグリーンの色に包まれた、温泉が姿を現す。

 脱衣所で服を脱ぎ、早速入ってみると。


 聞こえるのは、野鳥のさえずりと川のせせらぎのみ。漂う硫黄の匂い。源泉かけ流しの上、実に野趣に富んだ場所だった。


(しみわたる~)

 25歳という年齢以上に、俺は自分がおっさんくさいと我ながら思うのだが、それほどまでに快適な湯だった。


 これまでのIT企業での苦労が思い起こされると同時に、この何とも言えない「癒し空間」は、離れがたいと思うのだった。


 結局、ここで30分以上もお湯に浸かり、上がってきた時には、眠気が襲いかかるくらいに、堪能していた。


 しばらく横になりたい気分だったが、ここは本当に「露店風呂」だけの簡素な施設で、湯上りに休む場所もなかった。


 仕方がないので、仙台を目指すことにした。


 時刻はすでに昼近く。


 仙台に着く頃には、昼を回ってしまうが、遅い昼食に、たまには牛タンでも食べようとも思ったし、そろそろ「海」が恋しいと思っていたから、海沿いに行きたい気分だった。


 今夜の宿は、仙台の安いホテルでもいいし、松島方面に抜けて、どこか適当なキャンプ場でもいいと思った。


 勝手気まま。目的も宿も時間も、すべては思いのまま。そんな旅が楽しくて仕方がなかった。


 俺の頭の中では、すっかり森原沙希のことも、林田ひなののことも抜け落ちていた。


 そして、約2時間後。


 午後2時を回ったくらいの頃に、仙台市に到着。


 さすがに仙台は、東北地方一の大都会だった。もっとも、この土地には、初めてではなく、かつて訪れたことがあったから、久しぶりの来訪になった。


 そこで、コンビニで遅い昼食と休憩がてらタバコを吸っていると。


 今まで全然鳴らなかった、携帯のLINE通知が来ていることに気づいた。20分ほど前だったらしいが、気づいていなかった。


―先輩。そろそろ仙台に着きましたか?―


 林田だった。

 何故わかる。いや、待て。こいつはストーカーだったな。だが、俺は奴の姿を見ていない。もしかして、俺のバイクに発信機でもついていて、位置がバレてるのでは、と本気で疑った。


―着いたけど、何故わかる?―

 思わず返信していた。


―言っておきますが、先輩。別に私、けていたわけじゃないですよ―


―じゃあ、何故わかる?―


―勘です。先輩のことだから、最初に福島県に行って、次に山形県に行って、そろそろ仙台かと―


(エスパーか!)

 さすがに、驚きを通り越して、「恐怖」に近い感情を抱いた。こいつのストーカーとしての勘は何なんだ、と。


 だが、それを見越したように、奴は返信してきた。


―というのは、冗談で〜―


―冗談?―


―実は、森原先輩に聞きました―


 しまった、と思った。そういえば、8月の初旬。森原からLINEが来たことがあった。仕事を辞めて、東北にツーリングに行くことを彼女には話していたし、その目的地を聞かれたのだ。その時、俺は漠然と答えたのだ。


―福島県から山形県に行って、その後、仙台に行くかな―

 と。


 その時は、こんなことになるとはまったく予想していなかったし、ほとんど何気なく、思ったことを返信しただけだった。


 それも、森原が「自分のせいで」俺が会社を辞めたんじゃないか、と妙に気にしていたから、そのつぐないの気持ちもあった。


 だが、それにしては奴の言動がおかしい。そもそも林田と森原はそんなに仲がいいとは思えない。


―何で、森原の名前が出てくる?―

 探りを入れてみると、


―実は私、今、姉と一緒に森原先輩の実家にいまして―


―何だと?―

 さすがにこの事態は予想外だった。


 聞くと、林田の姉の、林田ちひろが、お盆休みで帰省中の、親友の森原の家に遊びに行ったのが2日前だという。


 それに従ったのが、妹のひなのらしいが、バイクに乗れない姉は新幹線で仙台入りしたのに、彼女だけはわざわざスカイウェイブで仙台まで行ったらしい。


 つまり、「尾けられて」はいなかったが、「先回り」されたわけだ。恐るべし、林田。いや、ある意味、「尾けられて」いるという意味では違いがない。


 ちなみに、俺にとって唯一、宮城県出身の知り合いがいるが、それが「森原」だった。彼女は、お盆休みを利用して、実家のある仙台市に帰省中だという。


―先輩。どうせ泊まるところないですよね? 森原先輩の家に来ませんか?―


 いきなりの誘いに戸惑っていると、今度はその本人から通知が来た。


―山谷くん。せっかくだから来なよ。2、3日泊まって行っていいよ―

 それは俺にとっては、願ってもない「誘い」だった。


 林田がいるのは、鬱陶しいが、あの森原の家に招待されたのだ。もっとも、実家というからには、親御さんがいるから、少々肩身は狭いが、ここは「背に腹は代えられない」。金は有限なのだ。


―本当にいいのか?―

 怖い気持ちもあって、遠慮がちに尋ねてみるも、


―いいよ。遠慮しなくて。家族もいるけどね―

 そう返信が来た。


 まあ、恐らくこの「家族」がいることが、森原の中で、「安心」になっているのだろう。一人暮らしの彼女の家に「男」の俺が1人で呼ばれることは、付き合ってでもいない限りは、あり得ない。


 森原の実家の場所は、彼女がLINEで教えてくれた。


 ちょうど今いるコンビニからは、20分ほどで行ける、仙台市若林区六丁の目付近にあるという。


 近い。

 俺の中では、林田がいるという葛藤の気持ちと、森原に「会いたい」という気持ちが錯綜していた。


 だが、結局は、「無料」という誘惑に負けてしまい、バイクでその場所へ向かうことになった。


 人の縁とは不思議なものだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る