第5話 カタナの聖地
5月5日。ゴールデンウィークも終盤。
2日前に、森原とツーリングに行った俺は、暇を持て余していた。
そもそもこういう大型連休は、カップルや家族連れ向けだ。独り身はどこに行っても「浮く」から、かえって出かけるのがツラい気持ちになる。
そのため、その日は「休息日」にする予定で、自宅でダラダラと過ごしていた。
昼近くにようやく起きて、シャワーを浴びた後。
携帯のスクリーンに、LINEの「通知」が来ていることに気づいた。
頭を乾かしながら、画面を開くと。
―今日、暇?―
森原からだった。
―ああ。暇だ―
願ってもないチャンスが向こうから来たから、俺は二つ返事で返していた。
―ちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど―
―今からで良ければ付き合う―
―じゃあ、
―わかった―
すぐに支度をして、ヘルメットを持ち、ライダースジャケットに着替え、俺は急いで自宅を出た。
時刻は11時。今から東名高速道路の足柄PAまで行くとなると、1時間半くらいはかかる。
とにかく急いだ。彼女を待たせたくはなかったからだ。
スロットルを回し、普段以上のスピードで、中央道、圏央道、東名を駆け抜け、あっという間に足柄PAに着いた時には、すでに12時半を回っており、祝日のその日は、天気も良かったから、大勢の人で、PAは賑わっていた。
バイク置き場には、すでに彼女の旧型カタナの姿があった。他より目立つ銀色のカタナは少し古いが、鮮やかな光沢を放っていた。
―着いたぞ―
―今、コンビニにいる―
その返信で、すぐに向かった。
彼女は、いた。
わずか2日前に会ったばかりだが、オシャレな彼女は、前回とは違う格好をしていた。
黒いライダーズジャケットに、初めて会った時とは異なる、黒い光沢が目立つレザーパンツを履いていた。
「ごめん。待ったか?」
「ううん。私もさっき着いたところ。こっちこそごめん。いきなり呼び出して」
そのやり取りが、すでに「恋人」っぽくも感じられるため、自然と俺の胸は高鳴る。
「構わないさ。暇を持て余してたから」
「そうだよねー。ゴールデンウィークに1人じゃ寂しいよね」
「そういうお前もだろ」
そんな何気ない会話ですら、俺は舞い上がってしまうほどに、彼女は「眩し」かった。
「で、どこに行きたいんだ?」
「うん。カタナらしいところだよ。せっかくだから、2台で行きたい」
それだけで、彼女は具体的な場所を教えてはくれなかった。
今度は彼女の先導で、東名高速道路を駆け抜ける。
ここ足柄PAからなら、新東名高速道路に入った方が、時間は稼げるはずだが、彼女のカタナは、古い方の東名高速道路に入って行った。
右手に富士山を見ながら、前回と同じようなルートを辿る。快適な道だった。裾野市、富士市と抜け、高架の上を走り、左手に雄大な太平洋を見ながら、走ること50分。
そこは、海が間近に見下ろせる位置にあり、お世辞にも広いとは言えない、狭いスペースに、強引に築かれたような、小さなPAだった。
お互いにヘルメットを脱ぐ。
「ここか?」
「うん。まあ、ちょっと違うんだけどね」
意味深なセリフを吐きながら、彼女は海を見下ろせる場所まで誘導した。
「海が綺麗だねー」
そう呟き、潮風に髪をなびかせる彼女。俺には、海よりも彼女の方が「美しい」と思えるほどだったが。
「ね、知ってる? この近くがあの『漫画』で、主人公が海に落ちたところだよ」
その一言で、思い出した。
カタナに乗る主人公がポルシェ911と競争し、海に落ちる話。もう何十年も前の某有名漫画だが、カタナ好きには有名な漫画だ。
どうでもいいが、そんな古い漫画を知ってる俺も彼女も変わり者だが。
「ああ。そう言えばこの辺か?」
「そうそう。高速じゃ止まれないから、一旦、下道に降りてから向かおうか?」
「わかった」
彼女と一緒なら、俺はどこにでも付き合うつもりでいたから、二つ返事で答えると、にこやかに微笑んだ彼女は、再びカタナにまたがる。
改めて見ると、身長168センチはある、女性にしては高身長の彼女は、なんというか「絵になる」カッコよさがあった。
旧型カタナのシート高は、新型より低い。恐らく新型だと足が着かないか、爪先立ちくらいになってしまうだろう森原だが、旧型の場合は、問題がないようで、それでもわずかにかかとを浮かした状態で、足を着いていた。
発進する旧型カタナ。新型カタナの俺が後を追う。青空の元、新旧2台のカタナが「漫画」で主人公が海に落ちた場所を通過する。
2台のカタナは、「その場所」を目指した。
そこから真っ直ぐに20分ほど走り、彼女は清水インターで降りた。
しかも、そこからわざわざ下道を「戻る」形で、混み合う国道1号に合流し、
しばらく走ると、右手に海が見えてくる。
そして、左手に富士山が見えることで、有名な
そこの路肩に、森原はカタナを停めて、ヘルメットを脱いだ。
長い髪が風に揺れている。
「ここだよ」
「ああ。この上か」
「そう」
彼女が言って、見上げた先に、東名高速道路の橋脚があり、下を走る、つまり今走っている国道1号と交差している。
彼女が話しているそのバイク漫画は1980年代後半の有名なバイク漫画で、その主人公が38歳の男。ある日、彼はポルシェ911と、時速200キロを越えるデッドヒートを東京―浜松間で繰り広げ、この辺りで、カタナのクラッチワイヤーが切れて、側壁を飛び越えて、バイクごと海にダイブするという話だ。
「っていうか、なんでお前、カタナに乗ってるんだ? 言っちゃなんだが、昔のカタナは今と違って、乗りづらいし、デカいし、ブレーキだって聞きにくいだろう?」
俺にとっての一番の疑問がそこだったのだが、彼女は、包み隠さず、語ってくれるのだった。
「まあ、確かにね。でも、昔のバイクには、それなりにいいところがあるわ。元々は父が乗っていたんだけど、もうバイクは引退するって言っててね」
「そうか」
「で、私は父が持ってたその『漫画』を昔から読んで知ってたから、密かに憧れていたわけ」
「38歳のおっさんが乗るカタナにか?」
そう告げると、さすがに彼女は明るい声で笑いだした。
「あははは。まあ、おっさんはともかく、カタナに乗りたいと父にせがんでたの。それで、ここ数年で、大型二輪免許も取ったし、父が乗らないっていうから、譲ってもらったんだ」
考えてみれば、大したものだが、彼女は昔から「何でも出来る」子だったから、不思議ではないと思った。
勉強も運動も出来るし、スタイルもいいし、胸も大きいし、言わば「高嶺の花」のようなところがある美人だからだ。
乗りづらい旧型カタナでさえ、難なく乗りこなしていた。
(大した女だ)
改めてそう思う。
そして、結局、この日は、この「漫画」の聖地を見ただけで、後は帰り際に、晩飯を食べて解散となった。
もっとも、オシャレ好きな彼女に気を遣って、俺はそこそこいいレストランに彼女を連れて行く羽目になったが。
しかも、彼女はまだその漫画の話をしていた。
「『世の中には二種類の人間しかいない。バイクに乗る奴と乗らない奴だ』ってセリフがあるんだけど、カッコいいよね」
と興奮気味に話していたが、俺は、
「ああ。そうだな」
と曖昧に頷いていた。
(お前も相当変わってるがな)
目の前の美人の趣味・嗜好が俺には随分変わったもののように見えるが、逆に言うと、こういう「変わった」ところがある女の方が、俺には合うのかもしれない。
何故なら、バイク乗りは所詮「変り者」だからだ。
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