奥義 空虚二刀流

広之新

奥義 空虚二刀流

 海老澤竜之進は身構えた。目の前に討ち果たすべき藤沢甚兵衛が確かにいた。そ奴は虚無神悟流の兄弟子であったが、師の二角藤兵衛をだまし討ちにして出奔していた。

「逃がしはせぬ!」

 竜之介の右手は刀に柄にかかろうとしていた。それを待っていたかのように甚兵衛も刀の柄に手をかけた。

「逃げはせぬ。お前の来るのを待っていた。」

 甚兵衛は刀を引き抜こうと少し腰を落とした。一触即発の凛とした空気が張りつめ、風が完全に止まった。こうなるのはもう3度目だった。


 竜之介は(今度こそ仇を討つ!)と心に強く秘めていた。彼の目は血走り、両腕には力がみなぎり、足は今にも飛び出さんとしていた。それに引き換え、甚兵衛は緩やかに構え、息を整えてこちらの出方をじっくりと伺っていた。

 後手の先手・・・まさしく甚兵衛はそれを狙っているようだった。先に仕掛ければその隙をついて斬りかかってくる・・・それは竜之介にもよくわかっていた。だが甚兵衛の静かな気迫が竜之介を少しずつ圧迫し、見合ったまま動けない状態が苛立たせていた。

「ふふふ。来ぬのか?」

 甚兵衛はかすかに笑っていた。(その誘いに乗ってはだめだ!)と竜之介はじっとそのまま耐えた。前回はその言葉に体が先に動き、完膚無きままに叩きのめされた。

「少しはできるようになったか。それならこちらから参ろう。」

 甚兵衛はゆっくり刀を抜いた。虚無神悟流は居合からの連続技をよくする。刀を抜いてしまったらそれは使えない。甚兵衛はそれほどまで竜之介を侮っているのだろうか・・・。

「ならば・・・」

 竜之介も刀を抜いた。正々堂々、対等の立場で倒さぬ限り、仇討に本当の意味はない。

「馬鹿な奴よ。折角、お前に利を与えたのにな。しかしそれでも俺が勝つのだがな。では行くぞ!」

 そう言って甚兵衛は斬りかかってきた。

「カキーン!」

 竜之介は刀でそれを受け止めた。だが甚兵衛は連続して上から横からと刀を振るって来た。竜之介はそれを何とかかわして防いでいた。やはり甚兵衛の技の切れは物が違う。居合でなくてもそれぞれの技が的確に素早く相手に向かっていく。竜之介はそれでも一刀を浴びせんと刀を振るった。だが甚兵衛はやすやすと体を引いてそれをかわした。

「まだまだだな。それで仇が討てるのか?」

 甚兵衛は嘲笑した。

「何を!」

 竜之介は刀を構えなおした。そして甚兵衛との間合いをじっくりと詰めていった。


 今回は、前回や前々回の様に簡単に負けているわけではない。あの時は打ち合ってすぐに刀を落とされた。だが甚兵衛は竜之介を斬ろうとしなかった。刀の峰でさんざんに竜之介を叩きのめした。お前など斬るに値しないと・・・竜之介はそう言われているようで屈辱を感じていた。

 確かにこのままでは勝てない。甚兵衛の刀を避けるのがやっとだ。こちらが斬りかかっても甚兵衛はやすやすとそれを避ける。それならば・・・


「空虚二刀流はどうした?」

 竜之介が思い当たる前に甚兵衛が言った。空虚二刀流とは虚無神悟流の奥義の一つである。それはその当主、もしくはその継承者しか伝えられない。竜之介は確かに師から伝授されてはいた。しかしそれが使えるわけではなかった。

(私が未熟でなかったら・・・)竜之介は悔しさで唇をかみしめた。その奥義は虚無神悟流のかなりの熟練者しか使いないほどの難しい技だった。それを師の二角藤兵衛は甚兵衛ではなく竜之介に伝えたのだ。

(なぜ、私に?)師から伝授されたとき、竜之介は喜びよりも困惑が先に出た。虚無神悟流の継承者とされたわけなのだが、これが自分にふさわしいとは思えなかった。竜之介は師に尋ねた。

「どうして私に?」

「お前がこの技を使うにふさわしいからじゃ。」

 いくら聞いても師はそうとしか答えなかった。そうこうするうちに師は甚兵衛に斬られていなくなった。この世で空虚二刀流を知る者は竜之介一人になってしまった。


「もったいぶっているとお前の命が無くなるぞ!」

 甚兵衛がまた斬りかかってきた。それはさっきより技に鋭さがあった。竜之介は刀で何とか受け止めてはいたが、その体は押されていた。そして甚兵衛が真正面から大きく刀を振り下ろした。

「カキンッ!」

 高い音が辺りに響いた。竜之介が刀でしっかりと受け止めて、つばぜり合いとなった。

「今回は容赦せぬ。この刀で斬り刻んでくれる!」

 甚兵衛は力を込めて押し込んできた。竜之介はそれを何とか押し返しながら思っていた。


 空虚二刀流を身につけようと苦しい修行を自らに課した。しかし駄目だった。もがけばもがくほど刀は自分の意思とは真逆に動いた。師は黙ってその竜之介の姿を見ていた。それはずっと続いていた。そしてとうとうさすがの竜之介も弱音を吐いた。

「私にはできません・・・」

 そんな彼に師は言った。

「いいや、それでよい。お前にしかできぬ。自らを信じて刀を振れ。それがお前の空虚二刀流だ。」

 それを竜之介は鮮明に覚えているが、その真意がいまだに理解できない。だからこの未熟な腕で甚兵衛に対しているのだ。


 このつばぜり合いから離れた後に一刀、お互いが全力を込めて刀を出す。その時に勝負が決まる・・・竜之介にもそれが分かっていた。いよいよ最期が近づいてきた。

(ならばここで試すのみ!)

 竜之介は覚悟を決めた。それは甚兵衛も同じようだった。お互いが力を込めて刀を押して同時にぱっと離れた。そしてすぐに両者が決着をつけようと駆け寄った。竜之介は、甚兵衛より一瞬、早く刀を返して胴斬りに斬りかかった。だがそれは早すぎて間合いが離れすぎていた。

(間合いが遠いわ! 愚か者め!)

 甚兵衛はその一刀が体の前を通り過ぎるのを待って、大きく上段から竜之介に刀を振り下ろした。

「ズバッ!」

 辺りに血しぶきが飛んだ。竜之介は甚兵衛の横を通り過ぎていた。一方、甚兵衛は刀を振り上げたままの姿で固まっていた。その刀は竜之介に届かなかったのだ。その前に竜之介の左手の刀が甚兵衛の腹を斬り裂いたのだ。

「な、なんだ・・・」

 甚兵衛は何が起こったのかわからなかった。しかし竜之介の空の右手を見て何もかも悟った。

「これが空虚二刀流か・・・」

 最初に竜之介が右手で刀を横に払って来た。しかし実際はそう見えただけで刀は右手にはなく、左手に収まっていた。竜之介の刀が行き過ぎたと甚兵衛が一瞬、油断したところを左手の刀で斬られたのだ。


 空虚二刀流とは一本の刀を虚と実の2本にして戦う奥義である。何もないのにあるように錯覚させて虚の刀で相手と戦いながら、実の刀で相手を仕留めるのである。その技の神髄は素早く滑らかな刀さばきにある。

 師の二角藤兵衛がこの技を伝授したとき、竜之介はその虚の刀にさんざん翻弄された。師と刀を合わせて戦っているはずが、思わぬところから刀が飛んできて峰打ちにされたのである。この技には竜之介は手も足も出なかった。師のように技を極めると無敵の刀術になるのである。


 戦いは終わった。竜之介は刀を下ろして悲し気にしていた。

「喜ばぬのか?」

 甚兵衛は座り込んでいたが、まだ息絶えていなかった。地面に突き刺した刀にすがって何とか体を支えていた。

「これは空虚二刀流ではない。師の技に比べれば子供だましだ・・・」

 竜之介は自らの未熟さにため息をついた。

「ふふふ。この俺を倒しておいてよく言うぞ。今回ばかりは誉めてやろう・・・」

 甚兵衛はなんとか気力だけで話していた。竜之介は顔を甚兵衛に向けた。

「だが確かにお前は未熟だ。虚無神悟流の継承者としては不安が残る。だがな・・・お前には秘めた力がある。それは師が見抜いていた。そしてこの俺も確かに見届けたぞ。」

 甚兵衛は竜之介に笑顔を見せた。それは今まで竜之介に見せたことがない優しい顔つきだった。そして気力が尽きてそのまま倒れ込んだ。


 師の仇を討った・・・そこに竜之介は何の喜びも感じられなかった。それよりむしろ後味の悪さを感じていた。あの甚兵衛の笑顔は何だったのか・・・彼には大きな疑問が残された。


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