第八章 生傷

 黄金色に色づき始めた稲穂の群れを見ながら、静江は夫の言葉を思い出していた。


「なあ・・・静江。この子は、どういうふうに成長するんだろうか。今はまだ赤ん坊だけど、小学生になったらイジメられるのかな・・・・? 僕もそうだったけど、そういう時って自分で何とかするしかないんだよ。でも、それを乗り越えれば、逆に優しさがわかる強い子になれるんだ。僕達は見守ってあげるしかできないけど、ガンバッてくれるかな・・・?」


 随分昔のことで忘れかけていた思い出だったのだが、妙に印象的な言葉だったのと、この頃の勇の明るい電話の声に、そんな事が思い出されたのであった。


 窓から吹き込む風も、幾分涼しく感じられる。


 白い額を見え隠れさせながら、うっとりと風景に見とれる静江であった。


 ホームに降り立った時、つい一カ月前に来たはずなのに、ひどく懐かしく感じられた。


 静江は荷物を持ったまま、立ちつくしてしまった。


 目の前に立っている、日に焼けて真っ黒になった健康そうな少年は、本当に勇なのか自分の目を疑っている。


 腕や肘、膝、ホッペにもいたる所に生傷があり、それでいてツヤツヤした頬から白い歯を見せている。


 この少年がつい一カ月前、青白く頬がこけて暗い表情をしていた勇と同じなのであろうか。

 

 「おかえり、お母さん。」


 張りのある、幾分大人びた声になっていた。


 微笑んだ顔が夫にそっくりであった。


 「荷物、持つよ」


 じっと息子を見つめたままの母は、呆然とついていきトラックの助手席に座った。


 「いいよ、じっちゃん」


 勇の声に善造は車を発進させた。


 「元気に・・・なったろぉ?」


 前を見ながら優しく言う義父の声に、思わず我に帰った静江は大粒の涙を流した。


 トラックのエンジンの音がガタゴトと響いている。


 車が山道に入り込んでも、静江は声をころして泣いていた。


 善造は何も言わずに、車を走らせている。


 勇はトラックの荷台に寝転び、空に色々な顔を描いていた。

 

 夕食は、勇の独壇場であった。


 この一カ月におこった出来事を、おもしろおかしく母に聞かせていた。


 静江は腹をよじったり、驚いたり、涙ぐんだりした。


 こんな楽しい夕食は、夫が死んでから初めてであった。


 勇がこんなに感情豊かに話をするなんて、本当に驚いている。


 ふとんに二人並んで入った時、勇が言った。


 「僕、父さんに会ったよ」


 「えっ・・・?」


 静江が驚いて聞くと、神社での一件をゆっくりと話し出した。


 勇の話にハラハラしながらも、静江は自分も夫に会ったような気がした。


 「そうね、良かったわね。私はその木に登れないけど、何か一緒に登った気がしたわ・・・」 


 母の言葉に満足したのか、勇は小さな寝息をたてていった。


 虫の声が音楽のように心地よく、静江の心にしみていった。


 明日は二人で家に帰るのだ。


 勇をここにつれてきて、本当に良かったと思う静江であった。


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