第14話「禁煙をする」の巻

 祭林は浮かない顔していた。所在無い目で書類を眺めながら、タバコの煙をため息で吐き出した。そんな様子を目ざとくみつけて、庶務課長がやってきた。

「流星課長。どうしたんだ」

「人間ドックで医者にさんざんに言われたよ」

「いったいどこが悪いんだ」

「脳に血栓、胃に潰瘍、肺は真っ黒、肝臓真っ白、心の臓には不整脈、尻には痔ろうのおまけつき」

「見事なものだ。そんな体でよく生きてるな」

「他人事だと思って」

「いや、そうでもないさ。俺もタバコをやめないと死ぬぞと脅された」

「お前もヘビーだからな。それで禁煙するのかい」

「ああ。俺はお前みたいに、三途の渡しで船頭までやって帰って来るほど執念深くないからなあ」

「まあ、勝手にしろ。俺は吸うぞ」

祭林はタバコに火を点けた。庶務課長はそのタバコをハサミで切り落とし、灰皿で受けた。

「何をしやがる!」と祭林は立ち上がった。

「あれを見ろ!」と庶務課長が指差す先には「社内禁煙」の貼り紙。

「お前、自分が禁煙するために、会社全体を巻き込む気か! 卑怯千万じゃないか」

「私は、社員の健康にも気を配る庶務課長。皆に気持ちよく働いてもらいたい。わが社の喫煙率は二十%。八割の社員は迷惑していたというわけさ。それに、今どき、デスクでの喫煙を許す会社なんて世間の信用を得られない。銀行の融資にも差し支える。吸いたければ、外に出て吸え! さらに喫煙時間は仕事をしていないんだから、その分給料から引かせてもらう」

「お前も迷惑をかけていた側なのに。横暴だ! 職権濫用だ!」

「何とでも言え。これは重役会議で決まったことだ」

祭林は忌々しい思いを奥歯で噛み潰し、タバコの箱と百円ライターをポケットにねじ込み、階段を駆け下り、社屋裏の駐車場に出た。どこかいい場所はないかとキョロキョロしていると、社用車の陰から「祭林課長、こっちこっち」と喫煙者数人が手招きをしている。駐車場のコンクリートの地面に置かれた灰皿を囲み、しゃがみこんでタバコを吸っていた。

「えらいことになりましたね」

「きっとリストラの対象ですよ」

「俺、タバコやめようかな」

「早くも裏切り者が現れたな」

「普通、喫煙室とか喫煙コーナーとかありますよね」

「あるある」

 祭林は、そのような会話を聞きながら考えた。

「タバコをやめられる者はやめなさい。それはその方がいい。ただ、タバコをやめないからといって会社をやめさせられるようなことがあれば、わしは断じて許さん! 安心しなさい。ここに喫煙コーナーを作ろう。そして、ここで仕事もできるようにしよう。仕事をしていないからといって給料を減らすようなことも、絶対にさせない!」

「さすが、流星課長。僕も一緒に戦います」

僕も俺もと、その場の喫煙者は結束し、あっという間に全社的な喫煙者同盟ができた。

 自動車二台分のスペース。大工の心得のある祭林を頭目として、土日の間にちょっとした喫煙小屋が築かれた。デスクだけでなく、電話、パソコン、テレビ、エアコンまで持ち込まれた。


 月曜日、庶務課長はこの喫煙室に怒鳴り込んで来た。

「いったい、何を考えているんだ!」

「非喫煙者の健康と会社の発展ですよ」と若い社員が言った。

「何が会社の発展だ。こんな勝手なことが会社のためになるわけないだろう。まあ、これでお前らをクビにできるという意味では会社のためと言えるがな。人事部長を喜ばせるのがいやなら、即刻この小屋を撤去して職場に復帰しなさい」

「祭林課長。庶務課長があんなこと言ってますよ」

煙の中から忍者のように祭林が現れた。

「庶務課長。人事部長に伝えてくれ。一週間様子を見てくれと」

「一週間で何をする」

「こいつらの力を見せてやるさ」

「悪巧みか」

「お前、二十年前の梁山泊事件の一員だったよな」

しばらく黙って、「勝手にしろ」と庶務課長は消えた。

「祭林課長。大丈夫でしょうか。俺、今、会社辞めるわけにはいきません」

「心配するな。しかし、さっきわしは君たちの力を見せてやると言ってしまった。またしかし、わしは何も考えていない」

「祭林課長。何か秘策があるのだと思いました」

「何もない。とにかくがんばるしかない。営業部の者は出かけて仕事を取って来い! 管理部の者は職場に戻れ! ただし、一時間に一回ここに集まり十分で作戦会議だ。わしがここを守る!」

 営業系のメンバーは猛然と成績を上げた。管理系のメンバーは普段の仕事をこなしながら、祭林の出す課題の答えを持って集まり、そこにまた営業系のメンバーの意見が加わった。

 一週間後の月曜日、庶務課長がハンドマイクを持って小屋の外に現れた。

「梁山泊の諸君。これよりこの小屋を撤去する。おとなしく出てきなさい」

 祭林が白い裃を着て小屋から出て来た。

「切腹覚悟でござるが、その前に社長にお会いしたい」

「ふざけたことを申すな。お前のようなたわけ者に殿がお会いになるわけがない。切腹覚悟とは片腹痛い。打ち首獄門にしてくれるわ」

 そのとき、庶務課長の背後から社長が現れた。

「社長」

「祭林課長。よくもやってくれたのお」

「お恐れながら」

「黙れい。若い社員に百害あって一利もない喫煙を促し、そそのかして、再び梁山泊を作り上げ、会社転覆を企てたのであろう」

「お恐れながら」

「黙れと申したら、黙らぬか。……お前の功績は大きいわ」

「功績?」

「分かっておると申しておる。梁山泊に在る者の営業成績の向上、目を見張るものがある。また、改善計画の提案には今までにない斬新さがある」

「改善計画、お読みいただけましたか」

「縦割りで考えていてはできぬ案じゃ。セクションを越えて交流する梁山泊、つまりタバコ小屋ならではの発案じゃ」

「お分かりいただけましたか」

「分かっておると申しておるであろうが、たわけ! 褒美として、社長室横に喫煙交流室の設置を認める」

「ありがたき幸せ」

「これにて一件落着」

 社長は去った。

 喫煙社員たちは手を叩き合って喜び、祭林を胴上げした。

 その後、祭林は庶務課長のところへ行き、深々と頭を下げた。

「悪役にして悪かったな」

「お前と一緒に禁煙しようと思っただけさ。こんなんなら、俺もタバコ吸うよ。喫煙交流室に行かなきゃならないからな」

「お前が社内を取りなしてくれたことはわかっている。でないと一週間も野放しにされているわけがない」

「俺が二十年前の梁山泊の一員であったことを覚えてくれてたことがうれしかったのさ」

「懐かしいな」

「若かったな」

「まだ若いさ」

「心だけはな」

「心が若けりゃいいさ」

二人はお互いのタバコに火を点けあって、微笑んだ。

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