第11話「三顧の礼を尽くす」の巻

 いつものように「クコチラーメン」の片隅の座敷で、三人はビールを飲んでいた。この日は特に議題がなかった。少し、酔いが回ったところで、福本が唐突に言いだした。

 「ここは私たちの梁山泊ですね」

 「ほほお、福本さんは、水滸伝がお好きですか」と加藤。

 「いやあ、一度も読んだことはありませんよ。ただ、梁山泊という言葉を知っていただけです」

 「私、大好きなんです。でも、梁山泊には百八人の強者が集いますが、我々は三人だ」と加藤。

 「もっと、仲間を増やしますか」と福本。

 「私も、水滸伝の壮大なストーリーは好きです。ただ…」。黙っていた祭林が口を開いた。

 「梁山泊という言葉に嫌な思い出があるんです。…会社で仲間と会議室に籠もって悪巧みをしていたら『ここは梁山泊か』と言われて、解散させられたことがあるんです。正当な組合活動だったのに」

 「それ、解散させたのは、私じゃないですか」。ビールを持って来たラーメン屋の亭主、菊池が言った。三人はかつて菊池が祭林の上司だったことを思い出した。祭林は解散命令を出した本人が、目の前にいたことに気づき、気まずく思った。

 「あたっ。そうだったかしら。なんせ、成績の悪いヤツらばかりが集まっていたので、仕方なかったっすよね」と祭林。

 「冗談ですよ。気にしないでください。あの嫌みな部長は死んだんですから」と言って、笑いながら厨房に戻った。

 「冷や汗かきました」と祭林。気を取り直したように続ける。

 「言いたいのは、そういうことではなくて、加藤さんが言ったように、我々が三人であるということ。水滸伝より三国志の方がいいのではないかと提案したかったんです」

 「三国志も大好きです。吉川英治の本は何度も読みました」と加藤。

 「それは僕も知っています。NHKで人形劇やってましたよね」と福本。

 「差し詰め、祭林さんが劉備、福本さんが張飛、私が関羽といったところでしょうか」と加藤。

 「なんで僕が張飛なんですか。人形劇では馬鹿っぽい男でしたよ」と福本。

 「いやいや、張飛は誰よりも正義感が強く、勇猛果敢な男です。福本さんにピッタリだ。…しかし、加藤さんと私は入れ代わった方がいい。加藤さんには王家の血を引いたような風格がある」と祭林。

 「とかなんとか言って、優柔不断な感じの劉備がいやなんでしょ。関羽は強くて頭もいいし。ダメダメ、誰がどう考えても、うちの頭目は祭林さんです」と加藤。

 「僕も、かしらは祭林さんだと思う」と福本。

 「何か序列を付けるみたいで、いやになってきました」と祭林。

 「決して序列ではない。彼らは兄弟の契りを結んだんだから」と加藤。

 福本が「そうだ! 僕は、諸葛孔明がいい! 三国志の中で一番かっこいい役じゃないですか」と言い、ほかの二人ににらまれた。

 「しかし、私たちにも孔明のような人物は必要かもしれないですな」と加藤。

 祭林は目を閉じた。

 「孔明を探し始めたようですよ。ほら、この考える姿は、悩める劉備にピッタリでしょ」と加藤。

 祭林は目を開けた。そこへ菊池がビールを持ってきた。

 祭林が「クコチのおやじさん。諸葛孔明になりませんか」。加藤と福本はずっこけた。

 「今度は何の遊びですか」と菊池。加藤がここまでのことをかいつまんで話した。

 「私はそれより憎まれ役の魏の曹操ですね。いえいえ、いずれにしても、そんな器ではない。峠の茶屋のおやじで十分です。…孔明は占い師です。当たる占いというのは、霊感のようなものではなくて、統計とか数学みたいなものではないかと思うんです。今で考えるなら、例えば、コンピュータを使える人とか」と菊池。

 「なるほど」。祭林は再び目を閉じた。しばらくして、立ち上がり「さあ、行きますか」と祭林。「どこへ」と加藤。「おやじさん、タクシーを呼んでください」と祭林。タクシーが向かったのは、バーバー国元だった。

 「どうして、国元さんなんですか」と福本。

 「風貌が私の孔明のイメージに近かった」と祭林。確かに物静かで、そんな感じではある。ではあるが、加藤と福本にはピンとこなかった。

 「それだけですか」と福本。

 「よく分からないが、ひらめいたんだから、仕方ない」

 「劉備がひらめいたんなら、我々はついて行くしかない。それに、国元さんは理髪師だ。人の心を読んで、的確なアドバイスを与えてくれそうだ」と加藤。

 もう、午後十時である。店は閉まっていた。しかし、小さな灯がもれて、人影も見えた。ドアを叩くと、国元が出てきた。

 「やあ、どうされました。こんな時間におそろいで」と店内に三人を迎え入れた。待合のテーブルにはコンピュータが。三人は、菊池の言葉を思い出して、顔を見合わせた。

 「国元さん、コンピュータ使えるんです?」と加藤。

 「いえ、買ったばかりです。実は、おかげさまで、お客さんが戻り出して、少し余裕が出来たので、思い切って。お客さんのリストを作っていたんですよ。来店日とヘアスタイルと好きな話題などを入れています。いえ、昔から紙のカードはあったんですよ。これ、散髪屋の財産です」。

 「祭林さんのひらめきはすごい。これですよ、孔明に求められる資質は」と加藤。

 「間違いない。我らの孔明は国元さんだ」と福本も手を打った。

 「孔明? 何の話です?」。怪訝そうな国元。加藤が説明した。

 「私も横山光輝のマンガを読破しましたが、孔明はおそれおおい。私などが、皆さんにアドバイスするような。そんな」と国元は断った。

 祭林は「そうですか」とドアを開けて、店を出た。加藤と福本は、国元に頭を下げながら、慌てて追いかけた。

 「祭林さん、どうしちゃったんですか。あんなにすぐにあきらめたら、何か失礼じゃないですか」と福本。

 「福本さん、違うんですよ。祭林さんは劉備になりきっているんですよ」と加藤。

 「どういう意味です?」

 「NHKの人形劇では『三顧の礼』という話はなかったですか」と加藤。

 「三個の例? どんな例ですか」と福本。

 「人形劇の張飛って、そういうとぼけたキャラクターだったんでしょうね」と加藤。

 「何か馬鹿にしてませんか。いいから、教えてくださいよ」

 「ごめんなさい。劉備、関羽、張飛の三人は孔明を軍師として招くのに、三回、孔明を訪ねたんです。いくら頭がいいからといっても在野の占い師に、漢王朝の血を引く劉備が三回も頭を下げるっていうのは、よほどのことなんです」と加藤。

 「見た見た見た。あった、そういう話。あれ、そういう意味だったんですか」と福本。その夜は、そこで分かれた。

 一週間ほど経って、また、夜の理髪店のドアを叩いた。

 「お仲間に入れていただくのはうれしい限りですが、皆さんの悪巧みの参謀役みたいなのは嫌です」と国元は少し不機嫌になった。

 祭林はまた、あっさりと引き下がった。

 「祭林さん。何かまずくないです。国元さん怒ってますよ。別に三国志ごっこにしなくてもいいんだから、四人目の仲間として普通にやっていけばいいんじゃないですか」と福本。

 「私もそう思いますよ。このままじゃ、祭林さん、散髪に行けなくなりますよ。今度、謝りに行きましょうよ。そして、普通に仲間として付き合ってもらいましょうよ」と加藤も言う。

 「次が最後だ。決めなくては」とつぶやく祭林。

 「まだ、言ってるよ、このおじさん。だいたい、酔っぱらって行くからいけないんですよ」とあきれる福本。

 「それは言えている。飲んで行くのはやめよう」と祭林が珍しく同意した。

 さらに一週間ほど経った休みの日、三人はそろって散髪に行った。国元は客として普通に扱ってくれた。福本と加藤は、他愛のない話をしながら、国元の機嫌をうかがっていた。

 そして、祭林の順番になった。

 「坊主にしてください」と祭林は怖い顔をして言った。

 「いい加減にしてください」。国元は鏡に向かって、悲しい顔をした。

 加藤と福本は「祭林さん!」と叫び、思わず立ち上がった。

 「じゃあ、剃ってください」と祭林。加藤と福本は、祭林をはがい締めにして、店から出ようとした。

 すると、国元が急に笑いだした。そして、国元とは思えない大きな声で言う。

 「いいですよ。やりましょうよ。その軍師殿を。祭林さんが頭丸めてまで、頼もうとしていることを、断ることはできませんよ」

 加藤と福本は、あっけにとられて、祭林から手を離した。祭林の表情は真剣である。そして言う。

 「国元さん。ありがとう。一回目は冗談だったが、二回目に来たとき、あなたと本当の友だちになりたいと思った。どうせ、ただの遊びなんだから『いいでしょう、一緒にやりましょう』と言えばいい。それなのにあなたは、この遊びに真剣に応えてくれた。『悪巧みの参謀などしたくない』と言って…」

 「祭林さんは、こないだのモール祭りの前後、しょげかえっている私を、言葉ではなく、行動で励ましてくれました。今回のことも含めて、私は思いました。祭林さんのようになりたい。そして、祭林さんのようになりたくない、と」

 「僕にはあの二人の言っている意味が分かりません」と福本が加藤につぶやく。

 「確かに、深い会話です。おそらく、国元さんは祭林さんとは違う形で、祭林さんのように輝きたいと言っているんだと思います」

 「なるほど、少し分かります。僕もそうだ」

 四人の目は潤んでいた。

 「国元さん。心配しないでください。悪巧みの参謀などはさせませんよ。なんせ、我らの名は…」と加藤が言えば…。「正義のおやじ同盟!」と福本が声を張る。

 「さあ、祭林さんの頭を剃りましょう」と福本。「そうだそうだ」と加藤。祭林はギクっとした。

 「本当にやるんですか」と国元。

 祭林は少し考えて「武士に二言はない」。

 祭林は翌日から、手術の三日月傷がかくれるまで、帽子をかぶって出勤することになった。

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