...
「空欄でだしちゃったの? 進路調査」
……、え?
思わず目を見開く。
いま、そのはなしですか?
ぼくは、天さんの…、
小山先生はかまわずつづける。
「井上先生が困ってたよ」
「あ、えーと…」
「大学進学でしょう? もしかして、うちじゃ大学進学は無理だとか、思っちゃった?」
「……、」
ぼくは大学進学すら結局、消して白紙で提出していた。未定、ではなく、白紙で。
「あ、…ただ…思いつかない、だけで…」
「思いつかない、から、」
口元は優しく笑んでいる、柔和に。
けれど決して、甘くは、ない。
捉えたものを離さない目が、ぼくを見据える。
「だから、卒業して薬が手元に戻ったら、消えてしまおう、て?」
「……っ、」
思わず肩が跳ねて、お茶を溢しそうになる。
温かいお茶を手にしているのに、指先から冷えてゆく。
そうです、なんていえないけど、違いますとは、いえない。
あの日、入寮したあの日、小山先生はやっぱり気づいていた。
卒業の先なんて、もうなかった。
将来なんて、もういらなかった。
消えてしまいたい。
消えてしまうしかない。
愛のない、ぼくなんて。
そう、この学校へ来た。
長引いたのは薬を管理されてしまったのと、
ネコのもみじ饅頭のせいだ。
あの手に引かれていると、おかしな夢を見てしまう。
いまこの時間がきっとずっとあって。あした目が覚めたらまたデニッシュを頬張って。ひまわりみたいに笑うネコと波にのって。
ずっと、ずっとそうしていたいって…
そこで、ハタ、と、思考がまわれ右をする。
将来…?
ぼくの将来なんてどうでもいい。そもそも消えるつもりでここへ来たのだ。卒業したら海の藻屑にでもなればいい。けれども、
「あの、ネコは、」
「ネコ?」
「ネコ…、ネコは、卒業したらどうするんですか?」
母親は消えてしまった。たぶん、塀の向こう。消したのは小山先生。
ネコが病院に搬送されたあの夜、実直な井上先生に油断して現れた母親を下田駅で迎えたのは、きっと、小山先生だったんだろう。たぶん、平井巡査と。
ネコはいま、神奈川の児童相談所が帰る場所だ。けれどそれは十八歳まで。卒業したらそこに帰ることはできない。
「児童相談所にはもう、」
「ねぇ、浩太くん、」
小山先生が遮ってくるのに戸惑う。余計なことを、訊いてしまっただろうか。ぼくになにができるわけでもないのに。
「決めた通り、進めば、いいよ」
「……、は、」
「やりたいことが、あったんだよね?」
たしかに、あった。
けれど、
「なんで? て、顔だね」
そうゆう小山先生の向こうで、ククッ、と、カイトさんが小さく喉を鳴らす。
「天くんのことも、じぶんのことも、ネコの将来のことも、浩太くんは、」
小山先生も、柔和な丸い目を僅かに細めて、笑う。
波を捉えた、愉快そうな目で。
まだない波を水平線の向こうに見る、
波乗りの、目で。
「もう、わかってるんだよ?」
その日の夜。
ぼくはネコを取り戻すべく天さんの部屋に侵入すると、天さんのお腹に脚を投げだして大の字になっているネコを腕の中に眠ることにした。
「はぁ〜、あ、はは、」
あくび混じりに笑う声がして、天さんの太い腕がネコとぼくとふたりを抱き込む。
天さんはきちんと布団を三組、敷いてくれていた。
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