第四十三話 異世界で生きるということ

「!?」


 振り返った瞬間、私は声が出せなかった。視界に広がる光景に、衝撃のあまり絶句してしまったのだ。


 深い、ロンジェグイダさんのいた森よりもさらに鬱蒼と茂った深い森。そんな場所に、マーケットで見たものとは比べ物にならないほど大きな屋敷。その日の中で、私の混乱は最高潮に達していた。


 だっておかしいじゃないか。私はマーケットにあるモンスターハウスに入って、全く同じ扉を通ってモンスターハウスを抜け出したはず。途中で道を曲がったり、別の扉に入ったりはしていない。それなのに、現在地が全く違う。


 いや待て。私は本当に同じ扉から出てきたか? あの扉は老朽化が進み過ぎて、カッツァトーレが開けた瞬間に崩れ落ちなかったか? そもそも、ドアノブは南京錠が付けられるような形状じゃなかった。なら、私がくぐった扉は一体……?


 ……! そういえば、カッツァトーレは? カッツァトーレはどこ!?

 あまりの衝撃に一瞬脳が混乱したけど、彼の姿がどこにも見当たらない。こんな森の中、私一人にさせられたら危険だ。それはもう、私個人どころかこの大陸が危険だ。


 ど、どうするべきなんだろう。少なくとも、ここに留まっているのは良くない。私の魔力を嗅ぎつけて、ドンドン魔獣たちが寄ってきてしまう。

 だけどじゃあ、何処に行くべきなの? カッツァトーレと合流するために、モンスターハウスに戻るべき!?


 正直、もうここにうずくまって泣き出したい。めちゃめちゃ怖いし、この世の理不尽さというものを痛感している。

 けど、そんなカッコ悪いことをしている暇は、今の私にはないんだ。こんな森の中で、泣いていて誰かが助けに来てくれるなんてありえない。


「悩んで嘆いてる時間なんてない。私は、私に出来ることをしなくちゃだよね。せっかくエコノレ君と歩んできた人生、こんな一番面白くないところでやめられない!」


 そうだ、これからやっと楽しくなってきた所じゃないか。まだ本店も開店してないし、エコノレ君の故郷に店舗を構える算段も立ってない。それなのに、私がくたばってちゃ彼に申し訳が立たない!


 吹っ切れたら、私の行動は早かった。気持ちが変わっても危険な状況であることは間違いないのだから、極力迅速な行動をするべきなのだ。

 しかし間違ってはいけないのが、早さと焦りを混同してはならないということ。焦らず、しかし迅速に行動する必要がある。


 まずはランジアちゃんからもらった隠密魔法を起動する。

 これは最初から魔力がこもっていて、スイッチを押すだけで私でも扱える魔法だ。こういう時のために、これを持たせてくれたランジアちゃんには感謝しないと。


 隠密魔法の効果は凄まじいもので、もちろん私の気配を消すこともできるし、漏れ出す魔力を魔獣に感知させないようにすることもできる。流石に直接見られたらおしまいだけど、これで向こうからこちらに近づいてくる危険性はかなり低くなった。


 それから私は、モンスターハウスから少し走って手ごろな気によじ登る。エコノレ君の身長と身体能力があれば、木登りくらいは簡単なのだ。


 モンスターハウスの近くにいると、あそこから魔獣が出てくる可能性がある。だから距離を取った。けれど、恐らくカッツァトーレと合流するのならあそこしかない。何か状況が進展するまで、とにかくここに潜伏して様子を窺うべきだ。


 大丈夫、カッツァトーレは森の精霊だ。その中でもトップクラスの戦闘力を持つ戦士のはずである。雑多な魔獣に負けるなんてことはありえないし、もしそんな事態になれば、今度はロンジェグイダさんが黙ってはいない。


 彼は絶対に生きている。そして私を見つけてくれるはずだ。

 私にできることは、何か行動を起こして問題を解決することではなく、とにかく自分の命を守ること。下手に動き回る必要はまったくないんだ。


 しばらく木の上から屋敷を眺めていると、大きな扉から不定形の魔獣が現れた。いや、魔獣というのもおこがましいくらい歪なナニか。およそ現実の生物とは思えない存在が、何かを探すように周囲に視線を巡らせていた。


 目がどこについているのかは分からない。耳や鼻も、これと言って見当たらない。しかし、身体ごと回して周囲に目を向け、無数の触手で木々をペタペタと触っている。身体を地面にこすりつけながら移動し、粘性のある体液を撒き散らしていた。


 あれが、カッツァトーレの言っていた魔獣なのだろうか。アレはカッツァトーレが警戒するほどの魔獣、ということなんだろうか。


 良くわからないけど、とにかくアレに見つかったらマズいというのは分かる。今までこの大陸で生活していて分かったけど、魔獣はどれほどお腹が空いていようと、どれほど眠かろうと、あらゆる感覚・感情を無視して私を襲ってくる。


 アレに見つかったら、私は殺されてしまうだろう。そしてそのまま体内の魔力が暴走し、あの魔獣もろともこの大陸を粉砕していしまう。明らかなバッドエンド。それは、誰も望むところではない。それこそ、あの魔獣だって望んではいないだろう。


 ランジアちゃんの魔道具を信じているけど、わたしは先程にも増して息を押し殺し、音を立てないよう努めた。今の私には、心臓の鼓動すらもうるさく感じる。多分、カッツァトーレから離れたことで、彼の鎮静作用が切れてしまったんだろう。


 緊張する。息を止めようとすればするほど呼吸は浅く、間隔は短くなっていった。気付けば、動悸もありえないくらい激しくなっている。手足が震えているのに、私は全く気が付かなかった。


 魔道具を握りしめる手に、思わず力が入る。これはあらゆる音や気配を遮断してくれるはず。だから、こんなに緊張する必要はないのだ。ただじっとしていれば、如何にも視力の悪そうなあの魔獣に、木の上にいる私が見つかるはずもない。


 分かっている。そう分かっているのに、どうしても落ち着くことは出来なかった。

 多分、怖いんだろう。死ももちろん怖いけど、何よりアレに襲われ、喰われ、殺されるということに、言葉に出来ない忌避感がある。


 木陰から顔を出して、奴が今どの辺にいるのか確認したい。けれど、私から奴が見えるということは、奴からも私が見えるということだ。私を隠しているこの枝葉を、抜け出すことなど絶対に出来ない。


 ズリズリ。パタパタ。ジリジリ。ガサガサ。ドサッ!


 森の中はとても静かなようで、極限状態の私にはとてもうるさく感じた。頭の混乱も、落ち着いたようで全然落ち着いていない。もう、どの音が奴の這いずる音なのかも分からなくなってしまった。森に響くあらゆる音に、私は怯えている。


 最悪の場合、さっきの場所で拾ったこの『めっちゃ硬そうなのに軽い石』でぶん殴って迎撃するしかない。アイツに通用するのか分からないけど、怯んで木から落下してくれれば御の字だ。


 ガサガサッ!!


 頭上から一際大きい音が聞こえ、直後目の前にナニかが落ちてくる。


「おらー喰らえ! 落ちて落ちて落ちてッ!」


「いてぇいてぇ! いきなり何しやがるこのバカ! 俺だよ俺、カッツァトーレだよ! お前を助けにここまで来たってのに、こんな仕打ちは流石にひでぇんじゃねーの!?」


 ……よくよく見てみると、私が石で殴っているのは、先程まで一緒にいたカッツァトーレその人であった。


「カッツァトーレ? 本当に? あの魔獣はどうしたの? っていうか、どうやってここまで来たわけ?」


「魔獣ならもう倒しておいたぞ。ホラあそこ見ろよ。……屋敷ん中が巨大な転移装置になっててな、扉をくぐる度にいろんな場所まで飛ばされちまうみたいなんだ。何十回も扉を出たり入ったりして、ようやくここまで来たんだからな」


 カッツァトーレの指さす先には、さっきの魔獣が倒れている。空間魔法で切断したのか、鋭利な刃物のような傷跡がくっきりと見えた。


 もう一度カッツァトーレの顔を見る。大丈夫、私の良く知っている野蛮人の顔だ。

 安全になったと思うと、急に力が抜けてしまった。私はその場にへたり込み、起き上げれなくなる。足の震えがまだ収まらないのだ。


 すると、カッツァトーレが私の頭に手を置いてくれた。彼の手は、不思議な温かさを持っている。恐らく、精霊の特性なのだろうな。


「まぁ、ちょっと怖い思いをさせちまったな。落ち着くまで手を貸してやるから」


「カッツァトーレ……。来るのが遅い!」


 もう一発ぶん殴っておいた。

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