第二十六話 八百屋婆

 時刻は昼過ぎ。カッツァトーレの拠点で昼食を済ませた俺たちは、今度は野菜や魚の仕入れを目指して森を歩いていた。これから再び市場に向かい、直接交渉するのだ。

 作戦を立てるのはエコテラの仕事だが、交渉は俺の仕事である。


 カッツァトーレにも付いてきてもらう。プロテリアやランジアにも彼を紹介しなければいけないし、具体的な話をすり合わせる必要もある。森の中よりは、エコテラのメモが沢山あるコンマーレ宅の方が都合がいい。


 木こりの爺さんはと言うと、ラトレが家まで送ると言っていた。

 本来の彼らの仕事は人間と友好関係を築くことであり、むしろそちらが本業だろう。涙でも流すではないかというほど、爺さんは喜んでいた。これから家族に自慢するらしい。


 森のことを熟知しているカッツァトーレがいると、この場所を歩くのが非常にスムーズになる。俺のことを狙ってくる魔獣も簡単に撃退できるし、近道なども良く知っていた。やはり、この男を仲間に引き入れて正解だったと思う。


 アラレスタは町に近い場所に居を構えていて、彼ほど森を熟知していないのだという。戦闘能力も、俺を遥かに凌駕するが、本職のカッツァトーレには劣る。


 しかし人付き合いが良い。カッツァトーレには出来ないことだ。やはり人間目線だと、彼は野蛮という印象を受けるからな。その点、アラレスタは可憐だし、話し方も丁寧だ。誠実さもあり、誰からも好かれる美点を数多く持っている。


 精霊側はこれで大丈夫だろう。ロンジェグイダの協力もあり、森や山については心配がなくなった。市場では手に入らない山の幸も、これからドンドン流通していくはずだ。もちろん、俺の商店を中心にな。


 そうこうしていると、まだ昼過ぎだというのにもう森の境界線まで着いた。行きは二時間以上かかったというのに、帰りは一時間とかかっていない。気付かぬうちに、俺たちはかなりハイペースで森を進んでいたらしい。


「着いたぜ、マーケットに用があるんだろ? ここは俺たち精霊種とか、森に入って商材を集める連中が出入りするための道だ。マーケットの裏口、みたいなもんかな」


 森を抜けた瞬間、目の前にあったのは巨大な壁だった。俺二人分くらいの大きさの。

 そう、マーケットを囲む外壁である。いつ作られたものなのかは誰も知らず、そこにあるからという理由で皆利用している。何度見ても立派なものだ。


 マーケットの裏口、とカッツァトーレは言ったが、門は海側の方よりも大きい。この壁が作られた当初は、恐らくこっちがメインだったのだろう。森に入るための玄関口だ。


 俺はその門の中をくぐり、マーケットを練り歩く。まずは、以前に出会った八百屋の婆さんを探す。できれば彼女から魚屋を紹介してもらい、次はそっちを落とすのだ。


 俺は交渉役だが、長年研究所に引きこもっていた。全く付き合いのない人間から、いきなり契約を取り付けるなんて高等技術、残念ながら持ち合わせてはいない。

 だからまずは、一度でも良いから面識のある人を相手にする。


 場所はある程度覚えているが、何せ入口が違う。逆側からでは、見つけられなくて当然だ。結果として、俺はマーケットの中をうろうろすることになった。


 そして気付いた。異様に視線が多い。以前にコンマーレさんとここに来た時も多くの視線を感じたが、ここまでの数の人間に注目されてはいなかったはずだ。いったい、どうしたというのだろうか。


「すまねぇなエコノレ。俺が目立っちまってるんだ。アラレスタだけなら大丈夫だろうが、精霊種が二人も町に来ていることなんてそうそうない。特に、この町に直接面識のない俺がいることを、人間たちは珍しく思っているのさ。そのせいで注目を浴びちまう」


 なるほど、そういうことだったか。アラレスタは頻繁にこの町に来ているが、カッツァトーレはそうでもない。だから人間たちは何事かと警戒しているんだ。

 あれほどの力を持つ精霊種、人間たちが怖がって当然である。


「大丈夫ですよ、人間さんたちは別にカッツァトーレが怖くて見てるわけじゃないんです。むしろその逆、カッツァトーレのことをカッコいいとか思ってるはずですよ。嬉しいことに、ここ数年で精霊種は人間に受け入れられていますから。人気も高いです」


 なんと、町の人々はこの野蛮人のことをカッコいいとか思ってしまうのか。

 思えば、木こりの爺さんだって精霊種に出会えたこと、涙を流して喜んでいたではないか。カッツァトーレが町で受け入れられないはずがなかった。


 ならば安心だ。元引きこもりの俺には少々きついが、好意的な視線ならば堂々と受け止めよう。そして名を売るのだ。新たな経済の中心人物、エコノレここにありと。


 多くの視線を受け止めながら、俺たち一行はマーケットの中を進んでいく。

 前回調査していなかった米の相場を盗み見たり、魚の鮮度と価格を確認したりといった本業も忘れてはいない。


 そうこうしていると、海側の入口付近に辿り着いた。こっち方面も外に出れば森しかなく、その森を抜けるとコンマーレの邸宅だ。マーケットで商売をしている町人たちは、また別の入口からやってくる。


 ここまでくれば、流石に八百屋婆さんの露店もすぐに分かる。今日は露店を出していない可能性もあるが、まあきっと大丈夫だろう。俺の勘が今日は露店を出しているはずだと言っている。


「ところでエコノレさん。仕入れの件ですけど、お金はどうするんですか? そんなにお金持ってましたっけ」


「問題ない、そこはコンマーレさんに話を通してある。金庫の金を好きに持ち出していいそうだ。あの人も太っ腹だよな。ちょっと協力を要請したら、アホみたいに資金援助してくれる。本当に助かっているよ」


 正直、何か裏があるのではないかと思っている。プロテリアとコストーデは俺に何か隠している様子だし、ランジアも俺を避けている。俺に良く懐いているミノは多分、何も知らされていないのだろう。


 だが、俺の目的を果たすためならばその程度の罠、踏み抜く覚悟は出来ている。

 例えコンマーレさんに利用されるのだとしても、それでも構わないのだ。どうせ短い人生、好きに使わないでどうする。


 本当は、掛けという手法を使おうと思っていた。商品を仕入れ、これを売ったり、別口から金を手に入れてから、代金を払うというものだ。

 現代の日本では一般的らしい。直接の現金取引は少ないくらいだ。


 しかしこの国にそんな文化は根づいていない。当然ながら、二つ返事でそれを引き受けさせるほどの信頼も、今の俺にはない。だからコンマーレさんの金を使うしかないんだ。全ては商店を起ち上げ、信用を得てからの話になる。


 そうこうしていると、目的の場所に辿り着いた。どうやら今日も問題なく露店を開いていたらしいな。良かった良かった。


「やあ婆さん、久し振りだな。この間はどうも」


「おや、この間のイケメン。それとそちらは……やや! 精霊様がお二人も。それも片方はとてつもない別嬪。……まさかアンタの嫁か?」


「いや違うから。この人とはそういう関係じゃない」


 婆さん、余計な勘違いをしている。これはすぐに正しておかなければならない。俺とアラレスタは全然そういう関係ではないのだ。確かに上半身裸の姿を見られたりはしたが。


「そうさね、当然さ。そっちのマッチョと付き合ってるんだろう?」


「違います! こいつとなんか!」「ちげぇよ婆さん、誰がこんな奴!」


 息ピッタリじゃないか。お二人、精霊種だし、マジでそういう関係にしか見えない。そしてディリト少年が二人の息子。おっと、これ以上は喧嘩になりそうだ。


「話を逸らさないでくれ婆さん、今日は大切な用があって来たんだ」


 早く本題を始めさせてほしい。こっちも暇じゃないんだ。今日中に終わらせないと、明日が俺の番とは限らないんだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る