第三章
第21話 丸井と綾瀬①
「何か買ってきましょうか?」
クラスメイトの丸井春樹がそんなことを言う姿を見て、綾瀬絵梨花は複雑そうな顔をする。
彼をパシリとして起用したのは二学期が始まってからのこと。別にそんなつもりはなかったが、シカトされたことに腹が立ち、飲み物を買いに行かせたのがきっかけだ。
抵抗することもなく、嫌な顔一つ見せないので、その後も何となくパシリとして使っていた。
友人である五十嵐萌、宮村沙苗も同じようにパシリを頼んでいたので何とも思っていなかったのだが。
「……」
絵梨花はちらと沙苗を見る。
「あたしはいいよ。喉乾いてないし」
遠慮がちに沙苗は言う。
そして、萌を見る。
「私もいーかなー」
スマホに視線を落としながら萌も断りを入れている。
近頃、二人がパシリを頼まない。
そのことにより、引き続きパシリとして彼を使っている自分が何となく悪役な気がしてならないのだ。
別に丸井のことが嫌いなわけではない。地味でオタクで、クラスでも若干浮いているがマイナスな印象は抱いていない。
どころか、良いやつなんだろうな、と思ってさえいる。
だからか、自分以外の二人は丸井との距離感が変わってきている。
沙苗はもともとパシリを良くないと思っていた。でも空気を読んで頼んでいたのだろう。
しかし、文化祭で丸井と何かあってから確実に彼に向ける気持ちに変化が生じている。
萌は好奇心旺盛で、しかしその矢印が中々向かない女子だ。そんな彼女がアニメや漫画に興味を抱いた。
きっかけは丸井。なので彼との距離は確実に近づいている。とはいえ、沙苗が抱く感情とは全くの別物だろうが。
「じゃあ、綾瀬さんのだけ買ってきますね?」
「ちょっと待て。なんであーしのを買いに行くのは確定なわけ?」
自分は頼むだろうと思われていることが何となく腹立たしかった。普段の行いからそういうイメージを持たれているのは仕方ないが。
「え、いらないんですか?」
「……」
どうしてそんなに悲しい顔をするのか。
パシリをしなくていいのだから、それは喜ぶべきことだろうに。この男はいつからかパシられることに自分の存在意義を見出してしまったのかもしれない。
「……じゃあ、お願い」
「はい!」
めちゃくちゃ元気のいい返事をした丸井は教室を出ていく。残された絵梨花ははあと溜息をついた。
「まるっちのあれは、もうMの域を超えてるよね。ドMだよドM」
萌がスマホを見たままおかしそうに言う。
この関係を作り出してしまったのは自分だ。面倒ではあるが、少なからず責任がある。
「ちょっとトイレ」
「はーい」
「あたしも行こっか?」
「いや、一人でいいわ」
ついてこようとした沙苗を止めて、絵梨花は一人で教室を出た。
* * *
自販機の前でガシャンガシャンとジュースを買っている丸井を見つける。いらないと言われたのに、沙苗と萌の分も買っているのだ。
「おい、マルオ」
「綾瀬さん? どうかしたんですか? あ、もしかしてオーダーチェンジですか?」
「ちげえよ」
そんなことのためにわざわざこんなとこまで来ない。
なら、どうして来たのか。
これからのことを考えると、この関係は終わりにしておいた方がいい。
彼のためにも、彼女たちのためにも。
「もうパシリはいいわ」
どう切り出していいか考えてみたけど、いい言葉が思い浮かばなかったので単刀直入に切り出す。
「え」
すると、丸井はシリアスな顔をして驚く。ベタに手に持っていたジュースを地面に落とした。
仕事をクビにされたようなリアクションをしているが、そんな顔をするシチュエーションでは全然ない。
「な、なんでですか? 僕、なにかしましたか?」
「そんなんじゃない。ただ、もういいって思っただけだよ。あんたもせいせいするでしょ」
「いや、そんなことないです」
即答だった。
彼は本当にパシリをやめることを本当に嫌がっているようだったが、絵梨花はそのことがどうにも理解できなかった。
「……なんでそんな嫌がんのさ?」
訊くと、丸井は言いづらそうに顔を伏せる。
どんな理由があるのか、絵梨花は普段使わない頭を回して考えてみた。
最近、沙苗と萌と仲がいい。彼らの関係は確実に変わりつつある。互いが心を開き、歩み寄った結果だろう。
もしかして、この男はそのどちらかのことを好きになったのではないか?
だから、パシリという立場でなくなれば自分達との関わりがなくなってしまうと思っているのかも。
「心配しないでも、パシリじゃなくなってもあの二人はあんたと話してくれるよ」
「へ?」
まるで言い当てられたような驚き方をしている。やはりそうだったか、と絵梨花は内心で笑う。
「どっちかのことが好きなんでしょ?」
「へ?」
からかうように言うと、さっきとまったく同じリアクションを見せた。やはり当たっていたか、と絵梨花は自分の名推理ぶりを喜ぶ。
しかし。
「いやいやいやいや! そんなんじゃないですよ!」
全力の否定があった。
この地味な男にここまで否定される二人が可哀想に思えてくる。
「別に言いやしないから認めなよ」
「本当に、そんなんじゃないんです。もちろん良い人だとは思いますけど……僕みたいな奴があのお二人を好きだなんておこがましいにもほどがあります」
その言葉は自分では使わないだろうに。何となく思っていたが、この男は自己評価が圧倒的に低い。
この性格だと無理もないのかもしれないが。
「じゃあなんなのさ。パシリをやめたくない理由」
「……」
もう一度訊く。
考えてみたが思いついたのはさっきの理由くらいだ。そうでないならお手上げで、しかし気になるので知らないままは帰れない。
少しの沈黙のあと、丸井は渋々といった調子で口を開いた。
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