殺し屋と、穏やかな昼ご飯

曇空 鈍縒

第1話

「やってるか?」

俺は食堂の古びたドアをガラガラと音を立てて開けると、カウンターで忙しそうに動いている店主にそう尋ねた。

「ああ。春夏冬中だよ。今日は早いね。仕事なかったのかい?」

『春夏冬中』これは『秋がない』つまり『秋ない中』『商い中』と言う寒い洒落だ。

「外寒かったのに寒い洒落言うなよ。あと、仕事がなかったように見えるか?」

「見えんな。コートぐらい着替えて来いよ」

店主は嫌そうな顔をした。それはそうだろう。俺は、コートの端に血のシミをつけたままこの店に入ったのだ。

「脱ぐからいいだろ。今日は仕事が早く終わったんだ」

俺はそう言いながら素早くロングコートを脱ぐと、鞄に入れた。

「ならいい。さっさと入ってこい。いつまでそこに立ってるつもりなんだ?冷えるぞ」

「お前が俺のことを心配するとは・・・」

「いや。店が冷える」

「そっちか。客を大切にしないと儲からないぞ」

「安心しろ。もしそうだとしたらとっくにこの店は潰れている」

店主はいけしゃあしゃあというと料理の仕込み作業に戻った。俺はガラガラと音を立ててドアを閉めると、古びた座席な並ぶカウンター席に座った。今日は外が寒い。外では初雪がはらはらと舞っている。

「体の温まる酒ないか?」

俺がそう聞くと、店主は少し考えこんで

「燗酒とかどうかい?ぬる燗で」

と、聞いてきた。俺は燗酒が結構好きだったので「それで頼む」と、返事をした。

店主は錫製の酒タンポに日本酒を注ぐと、それを熱いお湯の注がれた鍋に入れる。

こうすることで燗酒ができる。

「酒に合うつまみはないか?」

俺が聞くと、店主は

「ちょうどいい。たった今『鹿肉のトロトロ串焼き、濃厚たれ』の仕込みが終わったところなんだ。これなんかどうだい?」

鹿肉のトロトロ串焼き、濃厚たれは、この店の看板メニューだ。鹿肉のくせも強くなく、とても食べやすい味付けになっている。

この店に来ると、大抵それを頼む。俺のお気に入りだ。

「そうしようかな」

俺が言うと、店主はうなずいた。店主はどこからか取り出した丸めた新聞紙に火をつけると、それを炭が積まれたコンロに放り込んだ。炭火焼はこの店の特徴の一つだ。彼はやはり火をつけるのに慣れている。五分ほどで火が付いた。俺が自分の暗殺という仕事にプライドを持っているように、彼は自分の料理という仕事にプライドを持っている。

部屋中に炭火の温かさが満ちる頃にはすでに、俺の手元に暖かい燗酒があった。

燗酒は、ピリリと辛く、そして口の中でふんわりと熱を発する。どんな暖房で温めるよりも早く、俺の全身は柔らかい温度に包まれた。

店主がたれに付けた串焼きを網に乗せると、ジューと肉が焼けるおいしそうな音がした。

炭が燃える香ばしい匂いと、酒の独特な柔らかい匂いと、網から滴るたれの焦げる甘い香りが合わさって、食欲がそそられる。

「はい。お待ち」

店主はそう言うと、皿に盛り付けられた串焼きを俺の目の前に置いた。

俺は串を持つと、思いっきり肉にかじりつく。

表面のカリッとした層の下には、肉汁と旨味をたっぷり含んだ層がある。

口の中に、肉特有の甘みがジュワ~と広がる。

さらにその味に醤油や味噌でできた素朴な塩見と甘みのあるたれが混ざって、食欲をどんどん加速させる。

酒の辛みが残る舌には、とてもやさしい刺激になる。辛い燗酒にとても良く合うつまみだった。

結構な量があると思っていたが、意外とすんなり胃にはいった。これもこの店の特徴だ。ボリュームがある料理が多いが、安い、速い、美味いの三原則は絶対に崩さない。

酒もちょうど終わっていた。最後の一杯をグイっと呷るあおると俺は手を合わせて

「ごちそうさま」

と心から言った。

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