6-4

「さてと、いつまでもこの短剣を放置しておくわけにもいかないし……」


 見た目には、飾剣だ。


 実際に料理をしたり、人や魔物を捕まえようと言う意図を持って使うような、本格的な刃物には見えない。


 ただ、いざと言う時にコレで身を守ると妓楼の客に無言の主張をしたり、お座敷で剣舞をするための小道具としての短剣を持っている妓女は一定数おり、決して珍しい持ち物ではない。


 珠葵の店でも、柄や鞘に手の込んだ細工が施された短剣は時々持ち込まれるし、貸し出すことだってあった。


 そう。、そう珍しいモノでもなんでもないのだ。


「……そこまで触りたくない短剣モノなのか?」


 珠葵のあまりの眉のひそめっぷりに、高冲鋒も無言ではいられなくなったのかも知れない。


 悪いが自分は何も感じない。

 そう言いながらも、珠葵を気遣うように声をかけてきたのだった。


「人を斬った気配と魔物を狩った気配とが混じり合っているらしいですよ」

「らしい?」

「まだ、鞘から刀身を抜いて確かめたわけじゃないですから」


 珠葵は事実の半分だけを、ここでは答えた。


 本当は、珠葵はそう聞いただけで、抜いたところでその区別はつかないのだが、それを正直に告げるほど、まだ珠葵は高冲鋒を信用してはいない。


 今日初対面の人間をそこまで信用していたら、後々叱られること必定だ。


 だから、半分。

 呉羽が戻って来るまで頼れる者が他にいないのだから、言うなれば前向きな妥協。


 内心で何度もそう言い聞かせながら、珠葵はゆっくりと短剣を覆っていた布をめくった。


「とりあえず、倒れるとかおかしなことを口走るとかしたら、ここは放置一択で、呉羽探して下さい」


「いや、普通は放置じゃ……だが仕方がないのか……」


 ぐりぐりと己のこめかみをもみほぐしながら、高冲鋒が苦悩しているようだったが、そう、仕方がないのだ。


 ただの愚痴と、珠葵も取り合わないことにした。


「浄化は後、浄化は後……」


 うっかりすると、珠葵とていつものように〝浄化〟の力を行使しかねないので、ぶつぶつと自分にも言い聞かせながら、短剣に手をかざした。


「!?」


 どうやらさすがに、短剣から洩れ出た眩しい光は、何の力もないと自己申告している高冲鋒の視界にも入ったようだった。


 珠葵と同じように、眩しげに目を細めている。


 今後、自分が不審人物と思われないためにも、力を持っていない人間が何をどこまで感知しているのか、実験する機会があってもいいんじゃないかと、珠葵はふと思った。


 色々とカタが付いたら、鄭圭琪あたりと相談してみるのもいいかも知れない。


 一瞬だけ逸れた思考を慌てて元に戻しつつ、珠葵は慎重に短剣からまず「記憶」の気配を、紗を剥がすように剥がしていった。


「こ……れは……」

「高様にも何か見えます?」


 珠葵自身は、目の前の作業に手いっぱいで、洩れ出ている光がどういった状態であるのかを確認する余裕がない。


 口頭で高冲鋒に聞くのが精一杯だった。


「夢でも見ているかのような場面が見えるよ」


「夢」


「人がいて、背景があって、話していることまでは分からないが、口や手、足が紙芝居の如く場面を刻んで動いている。敢えて言うなら、思い出せない夢の一場面を切り取った感じとでも言おうか」


 詩人か、と言いたくなるほどの的確な高冲鋒の表現だ。


 さしずめさっき珠葵が他の小道具で見ていた景色が、もっと強烈に、色と形を持って高冲鋒の目にすら映ったと言うことなんだろう。


 その時点では彼の目には何も映らず、最後〝珠〟になった時点でそれをようやく視認することが出来ていたのだから、それだけ短剣が「色々なモノ」を呑み込んでいることの裏返しだと言えた。


「場面の状況って分かりますか?」


 いっそ記憶が〝珠〟になったところで、証言者の一人として高冲鋒も巻き込んでしまおうと、珠葵は開き直って踏み込んだ内容を尋ねてみた。


 御史中丞にまでなっているのだ。珠葵の思惑などとっくに見透かしているだろう。

 それでも、御史台全体が置かれている状況の危うさをも察して、彼はこの場に留まることを選んだに違いなかった。


 珠葵が剥がせる記憶も、あと少し。


 ダメでも仕方がないと思いながら、そのまま無言で手をかざし続けた。


「あくまで見たままを言うが……妓女と思しき女が誰かを訪ねているな。背景からすると薬屋か……?」


 高冲鋒の反応や表情は窺い知れないが、周囲の空気が、珠葵が頼んだ通りに状況を読み取ろうとしてくれているのは感じた。


「他は……ああ、そもそもこの短剣は贈り物のようだな。薬屋とは別の男が女に短剣を渡している。するとこの男が、妓女を贔屓にしていたと言う男か? 塩を扱う商会のようだが……だとすればある程度数は絞れるか……」


 魔物を狩る更夜部とは違い、官吏の監察、あるいは商いを営む店の監察も行うのが御史台の本店、つまりは表の仕事だ。


 高冲鋒にとっては本業の分野だとさえ言えるだろう。珠葵は思いがけない幸運に感謝せざるを得なかった。


 これが刑部や北衙禁軍の誰かがここにいたなら、見えている場面の確認に、もう一か所も二か所も間に挟まなくてはならなかったはずだ。


「うん……? これは時系列が段々と古くなっているのか? まだ飾り剣ですらない、刀職人が鍛冶屋で作業をしている時点で、何か動物を刺し殺しているな……」


「……っ!」


 高冲鋒の言葉に珠葵が息を吞むのと、短剣から最後の「記憶」を剥がしたのとが、ほぼ同時だった。


「お、おい、大丈夫か?」


 一瞬ぐらりと身体が傾いた珠葵に驚いたのか、高冲鋒が気遣うような声をかけた。


 幸い、かざしていた手を地面についただけで済んだので、小さく「だ、大丈夫です」と返事をする。


「私は高様がご覧になったその場面を見る余裕がなかったんですけど……そう言うことなら、この短剣は最初から呪具として製作されたって言うことなんだと思います」


「呪具? 呪具とはアレか、自分以外の誰かを貶めるために使用する、更夜部が見かける都度回収して〝浄化〟に回している、危険な小道具と言うことか」


 更夜部所属ではない高冲鋒の認識は、そのまま全ての王宮内官吏の認識とも一致する。


 そしてその認識には何の齟齬も過不足もなかったため、珠葵は頷くことでそれを肯定した。

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