07. 男爵家の食卓

 いい湯だったぁ~。

 あんなお風呂なら毎日でも入りたい。


「サキ様の髪、ツヤツヤで羨ましいです」

「そう?」

「そうです」

「あ。あまり強く引っ張らないで」


 脱衣所で服を着たあと、私とルーラはお互いに濡れた髪を布で拭っていた。

 布がほんわり暖かいのは、火の魔法で温めたのだという。

 おかげで湿った髪の毛もすぐに乾いていく。

 魔法とはなんと便利なものなのか。


「魔法は誰でも使えるようになるものなの?」

「どうでしょう。魔法の素質がある者なら、何年か勉強すれば使えるようになるでしょうけど」

「やはり修練は必要か」

「私も魔法を学んではいるのですが……」

「本当? ぜひ見てみたいな」

「と、とてもお見せできるほどでは……。日常生活で使えるレベルにも達していませんからっ」


 屋敷に来る前、魔法使い達が指先などに火を灯していたが、あのくらいの域まで達するのにどのくらい掛かるのだろう。

 今まで剣の道一筋だったが、正直なところ魔法には興味を引かれている。

 火を自在に扱えるようになれば、野宿も便利だし、野生の動物も追い払える。

 機会があればぜひとも学んでみたい。


「サキ様。そろそろ食堂に参りましょう」

「食堂?」

「父も母も姉も、みんな待っていますわ」


 そういえばこの後、私は夕餉ゆうげでルーラのお父上と顔合わせするんだった。

 彼女のお父上は男爵なる地位を持つ貴族だったな。

 騎士とも言っていたが、聞けば騎士とは武功を成した者に与えられる誉れ高い称号のことらしい。

 武家に類するお立場なのだろうが、どんな人物か楽しみだ。





 ◇





 食堂に入ると、なにやらかぐわしい匂いが鼻をついた。

 前世では嗅いだことのない匂いだが――


「おおっ」


 ――机に置かれている食べ物を見て、私は目を見張った。


 奥行きのある机の上には、平べったい銀色の器がいくつも並んでいる。

 小さな器には、味噌汁のような液体や何尾もの焼き魚が。

 大きな器には、鶏のような小動物の丸焼きが。

 他にも見たことのない料理が器に盛りつけられている。

 不意に、私のお腹がぐぅと鳴ってしまった。


「お待たせしました。お父様、お母様、リーナ姉様」


 ……腹の虫の音は聞かれなかったようだ。


「こちらが、わたくしの命を救っていただいた恩人――サキ様です」

「お待ちしていた、サキ殿!」


 ルーラから紹介されて早々、机の最奥に座っていた壮年の男性が立ち上がった。

 口元に立派な髭を蓄えた壮観な顔立ち。

 ルーラと同じ金色の髪。

 しかも、その身長はゆうに六尺(約180cm)を超えている。


「わたしはラーサー・ライト・ド・ブラキウムだ。この度は娘の命を救っていただき、感謝の言葉もない」


 うわぁ。また覚えにくい名前。

 ラーサーが名前で間違っていないよな……?


「こちらこそお招きいただき光栄です、ラーサー殿。この国に来てまだ日が浅いゆえ、失礼があればどうかお許しを」

「よいよい! 今日は大事な使命から娘が無事に帰ってきた祝いの宴だ! 恩人であるサキ殿にもぜひとも同席してもらいたい!」


 ラーサー殿が腰を下ろした後、ルーラに促されて私は空席へと腰かけた。

 ルーラは私の隣の席へと座る。


「……」


 目の前には料理の盛られた器の他、匙、刃が厚めの小刀、三叉のついた棒が置かれている。

 匙はわかるが他のふたつはどうやって使うんだ?

 というか、やっぱり箸はないんだな……。


「女神ウェヌスの加護のもと、今宵も晩餐にあずかる幸福に感謝を」

「「「感謝を」」」


 私以外の四人が、両の手のひらを握りながら口元に添えた。

 これは一体……?


「晩餐での作法です」


 ルーラが小声で私に言うのが聞こえた。

 どうやら今のは食事前の作法らしい。


「感謝を」


 そして、異世界の夕餉ゆうげが始まった。





 ◇





「家族揃って食事を共にするのは何年ぶりかな」

「ルーラが成人して以来ですわ、あなた」

「おお、そうだったな! あれから二年か……早いものだな」

「ええ。あんな小さかった子が、今では領主様からの使命を果たすほどに成長したなんて……感激のあまり涙がっ」

「はっはっは! 祝いの席、しかも客人の前で泣く奴があるかっ!」

「サキ様。娘を助けていただいたあなたには、感謝してもしたりないほどのご恩ができました。今生のうちに必ずお返ししますわね」


 滝のように涙を流す夫人が私に熱い視線を送ってくる。

 しかし、さすが母娘と言うべきか。

 夫人は金色の髪はもちろん、顔立ちもルーラにそっくりだ。


 一方、夫人の対面に座っている女性は落ち着いた態度を崩さず、時折にこりと私にほほ笑みかけてくる。

 夫人以上にルーラそっくり……この人が姉上か。

 歳は私やルーラよりも少し上くらい?


「サキ殿はミョウジョウの出身かね?」

「はい」

「なぜゆえ女の身ひとつで我が国に?」

「そ、それは――」


 ラーサー殿からの質問がよりによってそれとは……。

 お風呂を使わせてくれた上、一宿一飯も世話になる方々につまらない嘘をつくのは気が進まない。

 話して問題なさそうな部分だけかいつまんで話すほかないな。


「――実はわけあって故郷くにから出てきた身の上でして」

「ほう。それはどうして?」


 ……突っ込んでくるか。


「ゆ、友人を傷つけた者に少々手荒な報復を……」

「ほう。サイクロプスを真っ向倒す女剣士とは聞いていたが、なかなかに豪気な女傑のようだな!」

「はぁ」

「どのような報復をその者に!?」


 ……この人、もしかして察しの悪い人か?


「斬ろうとしたのですが、お上の邪魔にあって雪辱は果たせず……」

「なんと。それは無念であったろうな」

「そのとがで裁きを受け、故郷くにを追われた……ような感じで……」

「なるほどぉ~」


 その時に何十人も斬りまくったとか、結果として斬首刑になったとか、さすがにそこまでは話せないな。


「時にサキ殿。あなたはご自分の剣を持っていないそうだが」

「はい。剣は……故郷くにに置いてきてしまいまして」

「ならば、いつか帰国した時のために仇討ちの武器がいるだろう。わたしのお下がりではあるが、かつて戦場でモンスターを相手に獅子奮迅の活躍をした愛剣をお譲りしよう!」

「えっ! それは誠ですか!?」


 これは驚いた。

 いくら娘の恩人とはいえ、そんなものまで用立ててくれるのか!


「ライブラ侯より男爵位をたまわってからは剣を置いたが、いつまでも壁の飾り物にしておくのは勿体ないからな!」

「お心遣い感謝いたします!」

「よし! ならばさっそく我が愛剣をお譲りしよう!」

「え!?」


 ラーサー殿が意気揚々と立ち上がった。

 私、まだ食事に口をつけていないんだけれど……。


「剣は修練場に飾ってある。長らく壁の飾りとなっていたが、ついに別れを惜しむ時が来たようだ」

「あ、あの……」

「さぁついてきたまえ、我が剣の後継者よ! わっはっはっは!!」


 ラーサー殿は笑いながら食堂を出て行ってしまった。

 困惑した私は、隣の席に座るルーラへと助けを求めたが――


「お父様はちょっと人の話を聞かないところがありますの」


 ――彼女は眉を少々ひそめるだけで、両手で巧みに食器を操っている。

 ああ、なるほど。あれ・・それ・・はそうやって使うのか。


 ……って、そんなこと感心している場合じゃない!

 せっかくの異世界夕餉ゆうげを棒に振るのは嫌だ!


「申し訳ありませんサキ様。なんでも勝手に決めて勝手に始めてしまうのが夫の悪い癖なのです」

「なるほど……」

「ごめんなさいだけれど、夫の顔を立ててくださる?」

「も、もちろんです」


 夫人にまで言われたら断れない。


 初めての異世界料理。

 目の前にありながら、お預けを食うなんて……。

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