幸せに死ねばいいんだ

@terinakashi

私の死生観

 腐肉を抉る様な生、というイメージがある。それは最早、ジン生とは呼べないものかもしれない。どうしようも無い悔いを感じながら、自分で自分が泣いているのか分からない程の混乱の中で、腐肉を抉る様な生だ。正常な思考も出来ない。脳は電波に犯され、蛆が湧いている。しかしそのこと自体は明確に意識できている。かと言って、正常という言葉の中身は知らない。硬い殻だけが肉に馴染まないで、異物としてめり込んでいて、中身は蟲に食われている。だからこそ、悔いを感じるのだ。現実は非情であり、ヒトを刹那に、永遠の彼方に置き去っていく。かつてあり得た、健全な生を、ジン生を、何かしらの不正により諦めなくてはならなくなった様にしか思えないからだ。咽せる様な焦燥の中で、拭えない悔いを感じながら、ひたすらに腐肉を抉る。

 大きく、真っ赤な太陽の微笑みは滲んでこない。この生は、薄弱な蛍光灯に照らされている。それで、そのことを救いだとすら思わなくてはならない。惨状すらもすがりつく対象となる。終わるという予感は、この身体の向く方が正面だと疑わないことで、そのまま、ただ飢えた息づかいを持った、世界の終焉を知らせる笛の音になる。

 軽薄な照明に照らされて、周囲の闇に戦慄する。打つ手は無い。闇は、光が届いていないのでは無いのだ。光の弱さに由来するのではないのだ。光で闇を照らそうとするのは、人類という概念の行方を見失った世界で、老齢の異人の介護をする様なことだ。目の前にあるソレは己れの理解を超えてはいるが、己れ以下でも、己れ以上とも思われない。完全な外物として有る。そして人類という概念が、彼方の海辺で錆び付いているのを見つけて、顔面を虚無に食い尽くされる。人工物は、人工物でしかない。存在同士の摩擦のなさに介入することが出来ないでいる、ヒトの手遊びに過ぎない。闇はただ闇として有る。欠落でも、欠乏でも、不完全さでもない。やがて、自分の向光性に気づき、上がった息の落ち着かない内に、枯れて汗臭い手で自分の脇腹を破り、虚無に血を飲ませる。腐った血をぶちまけるだけだ。

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