第四十四章 賢い豚



 判らなければ、場所を変えればいい。

 エイル達が街を出たのは、そう安直のように解決策を見つけた理由とは、一切関係がなかった。


 現にだ。獣道でエイルの先を往く大柄の背は、今日の用事に急でこしらえた服を着ていたのだから。


「……、ほっほら! サイズもぴったりです。動きにくいという事もなさそうだし、私はとても……とても」


 口が痺れ、言葉が続くどころかエイルは笑顔まで引き攣らせた。場の空気の温度を凍り付かせた自覚はあれ、それ以上に表情がガチガチであった。


 ギルドで依頼を受ける前にイタメリの提案で、彼女が棲み付いている酒場に立ち寄り、服は事情を聴いて同情した女主人に渡されたものである。


 肩幅の広さに目が留まったエイルの見立てでは、ヨトゥン=ハイと同格の体躯を持つ屈強な像が服と重なったが。


 一式の半分と女主人が意気揚々と出してきたズボンに、エイルのイメージの崩壊が始まって、再構築されれば原形と百八十度変貌を遂げ、堪らず気が途切れそうになった寸でのところでシノに身体を支えてもらった。


 正直なところ、判断がまるでつかなかった。本当に人間用の服か。

 胴は人間で、下半身、厳密に限定するなら、両足が象なのか。


 輪廻転生の果てでしか行き着けないような、ここは異世界だ。そういう魔物がいるのかもしれない。


 だが、女主人の話に魔物という単語は一つも登場しなかった。


 そもそも、上でも疑問なのに一体なぜ上下一式揃っているのかというエイルが思った根本的な謎の説明から。


 男の素性は冒険者の討伐した魔物の内臓などの部位を別の冒険者に横流しする、いわゆる死体漁りの元締め。だがこれは酔った本人が自慢気に語る女引きの常套らしく、女主人自身も信じていなかった。しつこく関係を迫られたトラウマから今だに立ち直れていないのだから無理もない。


 だが、ある日店にやってきた男達が自称元締めに暴力の限りを尽くし、踏み潰されぐちゃぐちゃに崩れた男の泣き顔に、これまでの報酬を払えと迫った。


 今は酒代分しか手持ちがないと泣いて詫びた男の、風船のような腹を剣で裂き、逃げないよう腱を足ごと斧で落とした。


 そこまでされた人間の服が、なぜ綺麗なのかとエイルが訊くと。

 服は再起不能に男達が『加工』する前に女主人が手に入れた。酒代はまだしも、店も荒らされたとあっては原因にケジメを取らせる。


 だが最終的に、修繕費は自腹となり、この街ではテーブル一つ買い替えるのに法外な値段を請求されるため、しばらくは食い物や酒の質で客からは文句を吐かれ、食器を壊され出費がかさもうとも通常営業するしかなかった。


 身体は売らなかったらしい。顔馴染みで安くしてやっていると言った修理業者は、初めから女主人に決断を強制させる計画で娼館ともグルになっている。


「『も気を付けない』? ……ふん。あの女め、このわたしが、エイルのそばにいるのが見えないのか。酒の匂いに当てられながら雄どもに囲まれた後遺症が出ているな」


 エイルの手を引くシノの力は変わらない、どこであっても。

 酒場に寄ると決断したエイルに気を遣った我慢がここで噴き出した。


「シノちゃん、せっかく心配してくれたんだよ。本人のいない場所だからって、調子に乗るのは、どうかと友達としては思うなぁ……」

「エイル!? わたしが付いていて、エイルが猿の食い物にされると。エイルも、そう」

「ああ、えっと……勘違いしないでください……!」


 エイルの事となると沸点が低くなるシノの涙腺を鎮められるただ一人は、笑顔で手を握り返す。


「シノちゃん、私の手、どう……どんな感じ?」

「どう、って言われても。やわらかくて、気持ちよくて、一生……できれば手以外もわたしを隅々に至るまで握ってほしいとしか」


『しか』の内にシュークリームの中身より甘く生々しい欲望がぎっしり。

 強い。それだけが聴ければエイルには十分だったのに。


 エイルの事ばかりで、シノは自分が用心する事にはとことん疎かった。


「置いて行かれる。わたしにしっかり付いてきてくれ」

「いいな、シノちゃんは。私を守れて」

「――ああ、エイルを守るのはわたしの使命だからな! こんなに楽しい事はないぞ!」


 声を煌めかせたシノの後ろを、エイルは付いて行く。

 付いて行くだけで精いっぱいの力しか持てないエイル。


 彼女自身、自分一人ではシノを守り切れない、そんなこと判り切って、それが悔しくても心に思った事を隠し噴き出さようにするために、少ない力を振り絞った。


「わたしは、シノちゃんと……ヨトゥン=ハイさん、三人でいる方が楽しいかな」


 シノとの関係を壊したくない。


 この世界で誰がシノをまともに守れるか、それは言わぬが花と躊躇ったエイルにシノの正直な心が咲いた。


「わたしは楽しくない。見ろ奴を、豚の服を着ているんだぞ」


 薮が擦れ合う音を真似るように頬の筋肉を端に張る、そんなシノの放った冗句を本物の草花を斧で掻き分け消すヨトゥン=ハイ。


 いつもああして、エイル達が前に出てこないよう、先頭に陣取っている。

 波を受ける防波堤でいようとするのが彼の日常であるからこそ、エイルはその背中から、今、そしてこれから彼がなにを思おうとしているか読み取る特技が自然と身に付いた。


 それも今日は、服を着ているせいだろう――彼の『表情』は普段より読む難易度が高かった。

 

不満を抱いている、それは今のエイルでもさすがに。読むまでもなく全身の動きにそれは表現されていた。

 

 シノに馬鹿にされる前から調子は良くも悪くもなくああだった。

 彼が人に向ける感情は強い。シノなどよりずっと。その点では意見が一致しようとも、やはり二人はわかり合えない相違点だとエイルはそれを距離を縮めるきっかけにはしない。


 ヨトゥン=ハイは神経質な性格だ。特に鼻は彼の鋭い感覚を司っている。


「また曲がったぞ。あ! ――なんなんだ、右に左にと」


 二本に分かれて生える木の中点を越えたヨトゥン=ハイ、それが右の木を軸に、そして斧で切り開いてきた道を割るように新しい経路を開拓し始めた。


「私ですよね。私が無理やり服を着せたせいで」

「あいつの裸の、どこが……そんなにいとエイルは言うんだ!」


 道には迷っても最悪いい。森で食べられるものとそうではないものは山育ちのシノには見分けられるし、誰にも邪魔されずエイルと二人っきりで過ごせる。森は暗くなるのが早い。


 挑戦できるジャンルは街より――想像だけで爆死できそうだった。


「なのに……話が違うじゃない!?」


 邪魔な一匹はその辺に埋めれば。一週間も入っていれば森の栄養に変換される。でかいだだけで壁くらいしか取り柄のなかった奴もさぞ己の本望を誇れる。


 それで、その身体で森をさ迷っている奴にエイルの心は迷わされた。今日こそ、今こそ、生えたばかりの菜蕗フキのような自分の身体をシノは呪った事はない。 


 懐に飛び込むのに、大きいより小さい方が有利でも、飛び込む場所がいない。


「シノちゃん」

「いいんだ、わたしが不甲斐ない、それだけの話だったんだ。奴隷だったわたしの身体は、確かに貧相だろ? これから死ぬ気で栄養を付ける、栄養を付けて、エイルの魅力を勝ち取れる肉体が手に入るなら……死んだってわたしは構わない!」


 エイルに抱き着く資格は今はない。だからシノは側にあった岩に張り付いては歯を突き立て続けた。


 森の中で長年を掛けて生成された岩石に含まれる栄養素、そして魔力も多分にある。


 型落ちとはいえ《鬼人オーガ》が岩を噛み砕けず隆々とした肉体など得られるか。


 ――それに。


「見かけに寄らずこの岩、食べやすいぞ!?」


 喰い込んだ牙の茎の間にチクチクと。妙な感触のする岩もあったものだ。


「シノちゃん、それ……岩じゃないよ……?」


 エイルの指差す、その先で四本の足で岩は立ち上がった。


「岩が、立っただって!?」


 逆さになった身体を元に戻しながらシノはこぶの盛り上がった頭をさする。


 ノミでも落とすようにシノを払ったその生き物。踏み締めた一歩こそ鎚で打ち付けられた柱、赤銅の針に覆われたかが如く毛で全身を武装していた。


 大砲のような鼻から、蒸気の柱が発射される。


 岩石に魂が宿ったかのようなその猪は、四肢銅山ブロンズ・フットと異世界で呼称されているD級の魔物だ。


「“これ”を、ランクDだって、言ったのか」


 忌々しさに渇いた喉に唾を注いだシノは、実物と手の依頼書を比較した。


 今回の依頼は〈岩削種ドワーフ〉の坑道の入口付近に度々現れるようになった害獣の駆除だった。掘削労働者の食べ物を荒し、力仕事が自慢の掘削労働者から怪我人を出した。


 平均サイズより元々上で、奪った食べ物で体重はさらに増しているだろう。

 ドワーフが書いた注意書きは、全くアテにならず、シノは丸めて口に押し込んだ。

洞窟作業に節穴になった目で見た状況を、頓珍漢に処理し、それにまんまと翻弄された怒りによる奇行だった。


猪の黄色い眼はそんなシノより、突飛な行動で注意を逸らそうとした彼女が後ろに隠したエイルに惹かれた。


「……おっきい、ですね」


 あくびが出そうな暢気な言葉が口に走った。それくらい、エイルに近付いてきた猪に依頼で聴いていたような敵意はなかったのだ。


 鼻息を目隠しに掛けてくる。


「エイル、なにをして! あぶな――」


 鼻を触ろうとしたエイルに肝を冷やしたシノも、自分から鼻先を差し出してきた魔物に言おうとした言葉を忘れてしまった。


 今にも、魔獣の方から話し掛けてきそうだった。

 そんな猪のせり出した牙に、飛んできた斧。エイルの首を落とす間合いにも関わらず正確な軌道を付いていた。


「エイルの方が動いていたら、間違って当たっていたぞ」


 戦域の外までエイルをシノが連れ出した。


「魔獣が陰になって、私にはどこから飛んできたか。きっとヨトゥン=ハイさんは、そこまで」


 偶然にも、魔獣が反対の方向に逃げてくれたそのお陰で、シノの動きに邪魔となるものは排除された。


 接触を図ってきた魔獣に対しエイルを襲おうとしたと認識したヨトゥン=ハイは半分我を失くしていた。木だろうが岩だろうが、障害となるものを斧一本で切り開き標的の間合いに入り続けた。


 魔獣はそれを冷静にあしらっているようだった。斬り倒された障壁を踏み台に斧の軌道を出し抜きながらヨトゥン=ハイとは一定の距離を保つ。


「完全に、遊ばれてるな」

「ヨトゥン=ハイさんが、あんなに苦戦するだなんて」


 苦笑したシノと同じ景色を見ながら、エイルの一言は彼女とは違う発音を取った。


 彼の感覚を阻害している、やはりあの服が。


 驚嘆を強制させる平均の凌駕、その頭蓋の発達に見合うだけ脳味噌も詰まって知恵も回るときた。

 いくら討伐を依頼された個体がそうだからといっても、本来がランクDに位置されている生き物だ。


 銀の毛を持つA級の上位種――|双潰銀主〈シルバー・ネイル〉ならまだしも。


 B級冒険者“相当”の実力を持つヨトゥン=ハイが、遅れを取るなんて事。だが現状は獲物に遅れを取るどころか、彼の方こそ駆られる側に回っていた。


 障害をもろともせず、布に針を通すような猪の方向転換。倒木を蹴る事で軌道を修正してみせ追撃に賭けたヨトゥン=ハイ。


 しかし斧の重量を身体は制御できていなかった。地面に突き刺さった斧を引き抜く簡単な動作。それさえ、身体は胃袋に鉄の塊でも飲み込んでいるよう。


 彼にとって、感覚を阻害する布は鉄よりも重く感じる。なおさら、あの服には酔っぱらって零したであろう葡萄ブドウ酒の染みがヨトゥン=ハイの汗で浮かび上がっていた。


「脱いで……脱いでください。もう脱いでいいから」


 破り捨ててもいい。酒場の主人には後で謝る。


 自分のせいで、弄ばれるヨトゥン=ハイをエイルはこれ以上見ていられなかった。


「エイルがこう言っているんだ、わたしならさっさと裸になるがな」


 強気な事を口ではうそぶいてみせたシノ。

 そんな本心は、彼女自身には非常に腹の立つことこの上ないが、ヨトゥン=ハイに同情する。


 好奇の目で見られてほしくない、エイルはその一心で彼にあれを贈った。


 ――世界で最も醜く、最も惨めな生き物と似た体臭を放つ事から、〈特異巨人ヨトゥン=ハイ〉と揶揄される。エイル自身は気にしなくても、そのせいで彼を街は虐げ、笑いながら唾を吐く。トロル臭いというだけで差別するには十分な理由だからこそ。


「いっそ、エイルにも憎んでくれた方が、彼にも楽だったろうに」


 どれだけ残忍な猛獣にも、弱点が存在する。エイルからの贈り物を、彼女の見ている前でヨトゥン=ハイに捨てられようか。


「どう し た ?」


 振り切っておきながら逃げるのを突然止めた猪に、斧を構えたままのヨトゥン=ハイだけでなくエイルとシノもその異様さに鳥肌が立った。


 森の奥に振り返って以降、猪の耳はなにかの音を、掬い上げようとしていた。

 そして、鼻をぴくびくとさせ、エイルの方をじっと見たまま固まる。


 それは考え込むように。


 誰かの指示を受けて。


 エイルに突進した猪。


「なんだこいついきなり!?」

「こっこないで――!」


 転がってくる岩石とは比較にならない迫力。シノを介して視えたのはあくまで客観的な光景でもエイルの手は自身の顔の上に跳ね上がった。


 前足の蹄で猪は減速し、横に並んだ襟首を咥えると、ぐるんと首を振ってエイルを背中に乗せた。


「えいる !?」

「どこに連れて行く気だ!」


 いやそもそも、そんな事が本当にあり得るのか。


 エイルを魔獣は木に牙を擦り付け、刺さっていた斧を取り除いた。


 その光景を最後にヨトゥン=ハイとシノもエイルを森で見失ってしまった。


 飛んできた斧を目の前で掴んだヨトゥン=ハイ。


 あそこで猪が地面の斧を、後ろ足で蹴り上げたのは、二人にとっては偶然ではなかった。


 ヨトゥン=ハイも、シノも、これ以上の屈辱はない。


 エイルをさらわれたばかりか、魔獣に、得物を返された。

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