ぐうたら美人OLなお隣さんに餌付けするサーモンチャーハン

雨宮いろり・浅木伊都

1

 ゾンビがうめいているような声で目を覚ました。


「あー……。そか、今日土曜日か」


 あの声で曜日を悟るというのも我ながら悲しいが、毎週の恒例行事になってしまっているので、仕方がない。

 俺はベッドからのそのそと起き上がると、目をしばたたかせながらベランダに出た。

 ぼろアパートのベランダはよく言えば解放感があって、悪く言えば防犯意識が低い。ゆえに、少し身を乗り出せば、すぐにお隣のベランダが見渡せてしまう。

 俺はいつものようにベランダから身を乗り出し、左隣のお隣さんに声をかけた。


「おはよーございます、水無瀬さん」

「おはよお、一杉くん……」


 どんより、といった効果音をまとわりつかせ、挨拶を返したのはお隣の水無瀬さんだ。

 キャミソールにスウェット、ヘアバンドという部屋着を極めた格好に加え、目をしょぼつかせていても、顔立ちが整っていることが分かる。美人ってすごいな。いつどこで見ても綺麗なんだもんな。


「また酒盛りしたんすか、昨日」

「だって花金だよ! 社会人にとって花金が年に何回あると思ってんの。これが飲まずにはいられるかいっ」

「そんで毎週潰れて土曜日に二日酔いでうめいてちゃ世話ないっすよ」

「違うの、これは二日酔いじゃなくって」


 水無瀬さんは、酒臭い溜息をついた。


「昨日やらかしちゃったことへの羞恥心と罪悪感のせいなの~……」

「何やらかしたんです?」

「ツイッターで……なんかこう、人生とは!みたいな熱いこと呟いたり……動画アプリでこっぱずかしーダンスを投稿しちゃったり、とか……」


 あーそれは恥ずかしい。しかもそういうのって、自信満々に投稿したわりにはリアクションがなくて、翌日の自分の羞恥心を刺激するだけなんだよな。

 奇声を上げながらベランダの手すりにぐんにゃりと身をもたせかける水無瀬さん。その拍子に、彼女のお腹がぐううっと盛大に鳴った。


「……ぶっ」

「あー笑ったあ! しょうがないじゃん、昨日は〆のお茶漬けもラーメンもごはんも我慢したんだもん。おつまみだけじゃお腹空くよ!」

「へえ。おつまみ何食べたんです?」

「お刺身の盛り合わせとー、チーズとセロリスティック。でもお刺身、サーモンだけ残っちゃった」

「サーモン、か」


 俺は冷蔵庫の中身を思い浮かべながら、いつものように提案した。


「朝ごはん、作りましょーか?」




 *




「上がって―。その辺のごみは踏んでもいいやつだからね」

「うっす。冷蔵庫開けてもいいっすか」

「もっちろーん。何でも使っていいよ」


 水無瀬さんの家は、廊下部分を除けば片付いている。朝に弱いのか、よくゴミを出し損ねるらしく、廊下部分は悲惨なありさまだ。ビールの空き缶がみっちり詰まったゴミ袋とか、先週も見た気がするぞ。


 ――そう。金曜日にしこたま家飲みをしたせいで、翌朝二日酔いもしくは空腹で目を覚ます水無瀬さんに朝ごはんを作るというのは、定番化してしまっているのである。

 水無瀬さんはお隣に住むOLだ。二十五歳とか言ってたな。

 大学四年生で就職も決まり、どことなく暇を持て余していた俺は、ある朝ベランダでぐぬぬとうめいている水無瀬さんに出くわした。

 二日酔いに苦しんでいる様子の水無瀬さんを見かねて、うちでちょうど作っていたしじみの味噌汁を差し入れしたのだが……。それからどうも水無瀬さんは、俺に懐くようになった。野良猫に餌付けした気分だ。


 けれど、土曜日に水無瀬さんと朝ごはんを食べるのは、俺の数少ない楽しみになっていた。

 俺は水無瀬さん家の小さな冷蔵庫を開ける。相変わらず食料らしい食料は少ないが、昨日の食べ残しと思しきサーモンの刺身が四切れ、ラップをかけられた状態で眠っていた。

 刺身パックに入っていがちな、大根のツマも結構な分量が残っている。俺はメニューを考えながら、キッチンに手早く材料を並べた。


「何かお手伝いすることある?」

「んー、そしたらこの冷凍枝豆の豆をこの皿に出してくれますか。まだ凍ってるかもですけど、気にせずやっちゃって下さい」

「了解っ」


 パーカーを羽織り、ヘアバンドではなくポニーテールにイメチェンした水無瀬さんが、俺の横に並ぶ。ネイルの施された綺麗な指先が、ぎこちなく冷凍枝豆をむにゅっとやっている。

 その間に俺は、サーモンの刺身を薄く細かく切った。

 それからフライパンを取り出し、火をつけ、温まったところでごま油を入れる。


「枝豆、むけたよ」

「ありがとうございます。あ、あとこの鍋に水はって、沸かしといてくれますか。味噌汁に使うんで」

「あいよっ」


 温まったフライパンに、切ったサーモンの刺身を投入。火が通って、サーモンが桃色に変わってゆくのを観察しつつ、チンして熱々になったご飯と、枝豆の豆を豪快に入れて混ぜる。

 味付けは面倒くさいので、市販のチャーハンの素を使う。水無瀬さん家の冷凍庫に入っていた、賞味期限がいつか分からない冷凍ねぎをどさっと入れ、味を見ながら最後に塩と醤油を足した。


「お湯沸いたよ」

「水無瀬さんちの味噌はー……だし入ってないやつか。んじゃそこに顆粒だし入れといてください。皿勝手に出しますね」


 水無瀬さんが顆粒だしを入れている横で、俺はしそ四枚を細かく刻む。そして最後の仕上げに、フライパンの中に入れた。


「わー、良い香り!」

「もうできますから、水無瀬さんは座っててください」

「ありがと! お茶用意するね」


 味噌汁の方も仕上げ、適当な皿にどかっと盛って、リビングの方へ運んだ。

 水無瀬さんには計画性というものがないらしく、俺と同じくらいの大きさの部屋なのに、なぜかクイーンサイズのベッドを置いている。

 だから部屋のほとんどをベッドに占領されており、食事するようなスペースはほんのわずかだ。

 水無瀬さんはベッドとローテーブルの隙間に体を押し込むようにして座っていて、にこにこと俺を見上げた。

 その顔が、まるで餌を待つ雛のように無邪気で、俺は思わず吹き出してしまう。


「あー、また笑った。一杉くんってほんと意地悪だよねえ」

「おっと、今朝ごはんの生殺与奪の権を握ってるのは俺っすよ」


 そう言いながらも皿をテーブルに置くと、水無瀬さんが目を輝かせて歓声を上げた。


「わあ、サーモンチャーハンだ! 美味しそう!」

「どーぞ、召し上がれ」


 大きなスプーンを握り締め、サーモンチャーハンを口に運ぶ水無瀬さん。その顔がうっとりと笑顔を浮かべる。


「美味しい! ごま油の香りとサーモンのこってり感が良い感じ~! それを枝豆とシソが中和してくれていくらでも食べられそう!」

「やっぱチャーハンの素使うと、味が濃くてうまいっすね。マヨかけよっかな」

「感想が男子大学生って感じだなあ。枝豆とシソとサーモンの組み合わせって鉄板だけど、チャーハンでも美味しいんだねえ。てか普通にサーモンのピンクと枝豆の緑で、彩が綺麗」


 味噌汁の椀を見た水無瀬さんが、えっと声を上げた。


「このお味噌汁の具、もしかして……」

「ああ、刺身のツマですね」

「うーん、見た目は寄生虫が泳いでるのかな? って感じだけど、味は普通に大根のお味噌汁だ」

「俺の実家でよく出てたんすよ。まあツマ単体で食うよりはいいでしょ」

「でもさあ……色気ってもんがさあ……」

「かっぴかぴの米粒ついたスウェット着てる人に、色気とか言われたくないな」


 そう言ってやると、水無瀬さんはむうっと頬を膨らませた。

 かぴかぴの米粒がついていても、すっぴんでも、寝起きでも二日酔いでも、隙がなくかわいくてすごい。我ながら頭の悪い感想だが。

 皿にこびりついたシソまでしっかり平らげて、水無瀬さんは満足げな溜息をついた。


「あー美味しかった! 炭水化物と脂はやっぱり幸せの味だねえ。あっそだ、デザートに苺食べようよ」


 そう言って水無瀬さんはキッチンに立つ。

 俺は食器をまとめてシンクに置いた。洗い物をしようとすると、水無瀬さんは自分がやると言ってくれたが、俺は構わずスポンジを手に取った。

 開け放った窓から、爽やかな風が吹き込んでくる。土曜の日差しはうららかで、シャツ一枚で出かけられそうだ。


 同じことを水無瀬さんも思ったのだろう、風に翻るカーテンを見つめ、ぽつりとつぶやく。


「ね、近くの公園の側にさ、コーヒー屋さんができたの知ってる? サードウェーブっていうのかな、なんかこう、おっしゃれーな天井が高い感じのお店」

「天井が高いとおっしゃれーなんすか」

「えっおしゃれじゃない? まあとにかくさ、そこのカフェラテが美味しいんだって」

「へえ」


 食器の泡を流して、コマーシャルみたいにキュキュッと鳴らす。水仕事が苦ではない季節になってきたな。

 そんなことを考えていると、苺のヘタを切り落としていた水無瀬さんが、むっとした顔で俺を見上げた。


「へえ、じゃなくってさ」

「なんすか」

「そこは、一緒に行きますか、って言うところでしょ」

「話振ってきたのはそっちでしょ。それに水無瀬さんのが年上だし、そっちから誘うのが筋じゃないすか」

「まー憎たらしい。ちょっと料理が上手いからって調子に乗って。苺はあげませんからね」

「はいはい。じゃあ水無瀬さん、苺食い終わったら、一緒にコーヒー飲みに行きませんか」


 食器を拭くふきんを探しながら言うと、水無瀬さんがちょいちょいと俺の裾を引っ張る。


「何」

「そういうのは、顔見て言うもんでしょ!」

「注文多すぎじゃね? 行くの、行かないの」

「行く! 行きますけど! 年長者として言ってあげますけどね、そういう誘い方じゃ彼女なんてできませんよ」

「どーせ俺には彼女いませんよ」

「え、ほんとにいないんだ。ふうん。へー……」


 そう言いながら苺を皿に盛る水無瀬さんは、何が嬉しいんだかニコニコとしている。鼻歌まで歌いだして、さっきまでのゾンビみたいな様子とは大違いだ。

 水無瀬さんはよく分からない人だ、と思う。

 毎週末俺みたいな隣人を家に入れるのもそうだし、綺麗な人なのに金曜日の夜はいつも一人で飲んでるのも謎だ。

 だけど、まあ。


「……面白いから、いっか」


 俺は皿を綺麗に拭き終えると、上機嫌に苺をほおばる水無瀬さんの横に座った。

 彼女と飲むカフェラテは、いったいどんな味がするんだろう。そんなことを思いながら。

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ぐうたら美人OLなお隣さんに餌付けするサーモンチャーハン 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M

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