第二話 あの日
ある小太りの男性は、うつむき加減にバスの一番うしろに座っていた。
ある女子高生は、体調不良のため学校から帰る途中だった。
ある母親とその息子は、定期検診のため病院に向かっていた。
あるOLは、営業に向かっていた。
ある初老は、ぼんやり休日を過ごしていた。
あるバス運転手は、彼らを乗せ運転をしていた。
突如、日常は崩される。
小太りの男が、バスの運行中に立ち上がる。男の一番近くにいた女子高生は、それをぼんやりと見上げた。小太りの男は、突如、女子高生の左手首を取り、ナイフで刺した。
女子高生は泣きわめきながら左手を右手で握りしめる。
何事か、と振り返ったOLも、左手を刺される。
初老の男が驚愕しながらも小太りの男に近づく。警察だ、動くな、という制止の言葉も聞かず、小太りの男は初老の男の左手も指した。
バス内の異常に気がついた母親が、息子を抱いて席から離れようとしたが、バスが急停止した所為で転んでしまう。母親、それに続いてその息子も左手を刺される。そして最後に、何事かと振り返ったバス運転手の左手を小太りの男が指した。
バス内が阿鼻叫喚に陥った。
小太りの男はバスの前方に向かい、振り返り、自分が指した乗客たちを見る。
「ありがとう!おめでとう!ありがとうありがとうありがとう!おめでとうおめでとうおめでとう!!!なんと良い日だ!なんとめでたい日だ!雲ひとつない快晴の空が呼んでいる!あぁ愛しき妻よ!愛しき我が子よ!神の手が見えるよ!左手から覗くこの世界は!!!!私達をいざなってくれる!!なんと喜ばしきことか!なんと晴れやかなことか!ありがとう!ありがとう!」
言いながら、小太りの男は己の左手も指した。
誰の目から見ても、男が狂っていることはわかった。左手を抑えながら、初老の男が小太りの男に飛びかかるが、男はそれをいともかんたんに薙ぎ払う。
男は左手の傷を見る。
「見える!!道が見える!あぁ、あっちか!そうかあっちか!待っていろ愛しの妻よ!愛しの我が子よ!皆を連れて今からそちらに行くよ!」
言って、小太りの男はバスの運転席に座った。そしてアクセルを踏む。バスは右往左往に激しく揺れ、乗客たちは体を至るところにぶつけた。
やめて!助けてくれ!なんとかして!痛い!やだ!
いろんな声が重なる。
バスは、高層ビルに突っ込み、エンジンオイルが漏れ出し、火に引火し、大爆発を起こした。
母親は、ハッと目を開けた。
「ここはどこ…結人…結人はどこ!?」
バスの中でずっと抱きしめていた息子の姿が見えない。
ここはどこなのだろう?あのあとどうなったのか?助かったのか?息子はどこなのか?
ふわりと、彼女の背になにかがかぶさる。
「なんと哀れな人の子…」
振り返ると、優しそうな女性が立っていた。
「あなたは…」
「人が女神と呼ぶものです。もっとも、神と呼ばれるほどの力はありませんが」
「女神…嘘でしょ?」
「残念ながら、あなたは命を落とし、私のもとに魂が帰ったのです」
母親はその場に膝をついた。
「そんな、死んだの…私も、息子も…」
「はい、息子さんも、先程こちらに」
母親はうずくまり、泣き出した。
「まだ6歳なのよ…もうすぐランドセル買ってあげる予定だったのに…どうして、なんでこんなことになったの…!」
「人の生死について、私にお答えすることはできません。しかし、新しい人生を授ける事はできます」
「そんな…息子を失った私が、新しい人生なんて」
「あなたの息子さんは、新しい人生を選びました」
母親が顔を上げる。
「本当に!?新しい人生って…息子はどこかに生まれ変わったってこと!?」
「はい、あなたもその世界に導きましょう」
母親は立ち上がり、女神の手を取る。
「お願い!私にはあの子だけなの!あの子にもう一度合わせて!」
「わかりました」
握られた女神の手が光る。
「惨酷な終焉を迎えたあなた方7人に新たな世界を」
終焉を迎えた…7人。
母親は思い返す。あの場のいた人を…。
自分・息子・運転手・初老の男・女子高生・OLそして…殺人犯。
「ちょっとまって!7人って、あの犯人も含まれてるの!」
「はい」
「あの殺人犯も、息子と同じ世界に!?」
「はい、私が導けるのは、その世界唯一です」
「そんな…まって!やめて!生まれ変われなくていい!私と息子を天国へ行かせて!」
「もう契約はなされました」
女神は母親に優しく言う。
「安心なさい、あなた達には、次の世界で強く生きるため、特別な力を授けました。どうか良い人生をお送りください。それでは」
女神に母親の声は届かない。
気がつくと、エッグニクト王国の王子、マティスとして産声を上げた。
自分の知っている両親ではない。国ではない。食べ物も着る服も、歴史も違う。以前とは全く違う世界に産み落とされた。
次期国王になるための教育を受けながら、マティスは父親から『傷の戦士』の話を聞いた。そしてすぐ理解する。マティスと同日に産まれ、左手に傷を持った子供たち
…。彼らは『傷の戦士』ではなく、自分と同じ、あの日死んだ転生者なのだと。そしてその中に、自分と息子を殺した犯人がいるのだと…。
父親に確認すると、7人のうち、マティスを除いて2人『傷の戦士』の存在が確認されているらしい。
マティスが8歳になったころ、そのうちの一人と対面することになる。
「初めてお目にかかります、ユーリィと申します」
公爵令嬢、ユーリィ。城の応接間にて二人きり。子供には大きすぎるソファに、二人は腰かけている。
8歳にしては豪華すぎるドレスを身にまとい、バカみたいに盛られた髪は非常に重たそうだ。しかしそれをものともせず、目を輝かせ、背を伸ばし、胸を張り、彼女は威風堂々とマティスの前に座っている。育ちの良さが目に見える。そしてその傲慢さも…。
「話は聞いている。キハネ公爵の令嬢だったな」
「はい、父は『お前こそマティス様の正妃にふさわしい』と何度も言われました」
言いながら、左手を胸元に持ってくる。手の甲には、大きな傷跡がある。
「マティス様と同じ日に産まれた『傷の戦士』。私は必ずや、心身ともにマティス様のお役に立てるはず」
今日、こうして対面しているのは、彼女を正妃候補として城に迎え入れるためだ。もちろん候補は他にもいるが、彼女は、自分が絶対選ばれると信じて疑っていない様子だ。当たり前だ。その美貌に加えて『傷の戦士』である。
マティスは前かがみになった。
「わかった、お前を正妃として認めよう」
彼女の目がパァっと輝いた。
「その前に聞きたいことがある」
「なんでしょう?」
「お前に前世の記憶はあるか?」
「…はい?」
マティスは立ち上がり、彼女の左手を取った。
「いたっ」
ユーリィは手を取られた弾みでソファから落ちた。苦痛に顔を歪め、地面に伏している。
「この傷跡が、どうして出来たか知っているかと聞いている」
「いや、やめて、触らないで…いたい…」
ユーリィは右手で頭を抱え、小刻みに震えている。
「か弱い娘のつもりか?余計なことはしなくていい。質問に答えろ。お前に、前世の記憶はあるか?」
マティスはもう一度聞くと、彼女の震えが止まった。そして、ゆっくりと顔を上げた。
「思い出した…私は…殺されたんだ」
「思い出した?今思い出したのか?」
「はい、私は、OLで…営業に行くためにバスに乗ってて…」
ユーリィはすべて思い出し、吐き気に見舞われ、口元を抑えた。
どういうことだとマティスは混乱する。『傷の戦士』は、自分のように皆、前世の記憶があるわけじゃないのか?もしかして、こうして『傷の戦士』同氏が触れ合うことで記憶が戻るのか…?それとも記憶があるもの、ないものがいるのか…。
マティスはユーリィの手を放す。彼女の手は力なく、だらんと床に落ちた。
「私はあの日、私と息子を殺したあの殺人犯を絶対に許さない。この国でつるし上げて、苦しめて苦しめて殺してやると誓っている」
マティスはユーリィの前にしゃがむ。
「お前は今自分がOLだったと言ったが、それを証明することは出来るか?」
「そんなっ」
彼女は頬を涙で濡らしながら顔を上げた。
「証明できないならお前も殺す」
「なにを…私があなたの息子だという可能性もあるんですよ」
「それなら問題ない。会えばわかる。自分の子供くらい、見分けがつく。お前じゃないのは確かだ」
「そんな…」
こうして尋問はしているが、マティスはユーリィが犯人である可能性は低いと思っている。これだけ混乱している状態で、嘘をつくのは難しい。最初に彼女が言った「OL」だったのだろう。
マティスは彼女の襟首をつかみ上げる。
「もう一度言うが、お前を正妃に迎え入れる。俺のそばにいろ。俺に従え。そしてあの犯人を見つけ、自分が違うことを証明しろ」
彼女は小さく頷いた。
二人はソファに座りなおし、話を続ける。
「お前も女神に会ったのか?」
「はい、あなたも?」
「会った。お前も“特別な力”とやらを授かったのか?」
マティスはずっと気になっていた。女神が言った“特別な力”とはなんなのか?8年生きてきたが、そのような力を発揮した記憶はない。
ユーリィはうつむきながら、小さな声で答えた。
「私は、物心つくころから【嘘を見破る】力があることを自覚しました。たぶん、それだと思います」
「嘘を見破る?」
「はい、人が嘘をつくと、なんというか…その人から赤いオーラが見えるのです」
「なるほど、それが本当か確認したい。今から俺が言うことが、嘘か本当か答えろ」
「わかりました」
ユーリィは、恐る恐る顔を上げる。
「前世の俺は28歳だった」
「嘘です」
「前世の俺の名前は海だった」
「本当です」
そうしたいくつかの質問で、彼女のスキルが本物であることをマティスは確認する。
「あの、マティス様はどんな能力をお持ちなのですか?」
「余計なことを聞くな。それともお前が犯人で、情報をあぶりだそうとしているのか?」
「そんな…」
彼女は小さく首を左右に振る。そして、硬く口を閉ざした。
正妃として彼女を迎え入れる旨を両親に伝えると、大いに喜んでいた。
あんなに生き生きとしていたのに、部屋から出たユーリィがぐったりしていたため、皆心配していたが、今日は疲れたのだろうとマティスが適当なことを言う。そして彼女は自分の両親と共に、今日は自分の家へと帰っていった。
一人自室に戻ったマティスは、窓から夜空を見上げた。
ユーリィと会って得られた情報は多い。「転生者に必ずしも記憶があるとは限らない」「能力はあっても、その力に目覚めている者もいれば、いないものもいる」ということだ。
仮に、今すぐ勅令で『傷の戦士』を徴収しても、犯人を探し当てるのは難しいだろう。記憶がある場合、それをうまく隠そうとするだろうし、記憶ない場合はユーリィの【嘘を見破る】力を使って尋問しても意味がない。それに「記憶があり」「能力に目覚めている」場合、かなり危険な状態である。いつまた無差別に人を殺すかわからない。
しかし、マティスが生まれてから無差別殺人が起こったという話は聞いていない。単にまだ幼いため、そういった行為が出来ないのか…あるいはまだ前世の記憶がないのか…。
なんにしろ、まずは『傷の戦士』について、先に情報を得る必要があるだろう。向こうが動く前に、こちらが動かなくては…またあの悲惨な事件が、この国でも起こってしまうかもしれない。
…正直、そんなことはどうでもいい。この国の人間が何人犠牲になろうと構わない。マティスにとって、前世で自分が、そして息子の命が奪われたことがすべてなのだ。
ユーリィを城に迎え入れた。最初こそ、会うたびに怯えていたが、次第にそれもなくなり、マティスの指示に忠実に従う許嫁となった。
そうして2年を共にすごし、二人が10歳になったころ、とある兵士が二人の前に現れた。
「オキシオと申します」
同じ10歳には見えぬほど、体格に恵まれた男だった。
「私の父はマティス様の父君、現国王の護衛、そして相談役を務めております。私は、父と現国王様の推薦により、マティス様の護衛を仰せつかりました。もちろんまだ未熟者であります。しかしあなた様の傍に、早い段階で仕えることで、より多くのことが学べると父に仰せつかりました。他の護衛と共に、あなた様の傍にいることをお許しください」
いって、オキシオは左手の手甲を外し、傷を見せた。
「私も、マティス様と同じ日に産まれた『傷の戦士』でございます」
マティスは覚えていないが、1歳くらいのころ、一度顔を会わせたことがあるらしい。いつか二人で国を支えてほしいと、母親同士は笑顔を見せていたとか、オキシオはマティスと邂逅した時、理由もなく泣きわめいたとか…。何度か聞かされた話だ。
「話は聞いている。お前の父と同じく、武芸に長けた兵士であると」
「恐悦至極に存じます」
「護衛の件、了解した、命を賭して務めよ」
「はっ」
あまりにも申し入れがあっさり終わったことに、ユーリィは驚いた。
オキシオを退室させ、マティスとユーリィは二人きりになる。
「良いのですか?前世の話を聞かなくても?」
「お前にそれを聞いた時は無知すぎた。こちらが聞きすぎると、こちらの情報も知れてしまう。会話は最小限でいい。で、お前はあいつをどう見る?」
「あの会話中、嘘は一つもありませんでした。堅実な男性に見えました」
「俺にもそう見えた…記憶がない犯人か、もしくは前世の記憶があるが犯人ではないか…まぁ、やつの生い立ちについては調べるまでもない。重要なのは残り4人の情報だ」
「聞くところによると、兵士の中にもう一人『傷の戦士』がいるとか…」
「あぁ、一般国民だったらしいが、剣の腕前は相当な物らしい。俺に心酔しているとも聞いた。なら、近々そいつにも会えるだろう」
後3人については情報がない。おそらく、一般国民として生きているのだろう。傷を隠して…。
「ユーリィ、国外の山で死体が発見された話は聞いているか?」
「いえ…」
「どの領土にも属さない山で偶然発見された。顔が潰され、身元が特定できないらしい。この国にも貿易等で国外に出て行方不明になった人物はいるが、捜索願が提出されている人物である可能性は低いらしい」
「身元不明の死体…この国の国民に、そんな高度な殺人を行えるものなんて…」
ユーリィはハッと目を見開く。
「まるで前世のドラマや小説で見たような死体だと思わないか?」
「まさか…あの犯人が?」
「可能性は大いにある。やつはもう動き出している」
マティスの眼光が鋭くなる。
「絶対に、お前を許さない」
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