第7話
「姉さま、最近すごく楽しそうね」
鼻歌を歌いながら生薬の根から土を払っていたら、珍しく妹のアンジェラが顔を覗かせました。
「ええ、ここはおもしろいものがいっぱいで、本当に飽きないですわ。ずっといたいくらいよ」
「えっ? ここにいるんじゃないの? 姉さまとオズワルド兄さまが結婚するって聞いたよ」
わたくしは思わず生薬を取り落としそうになりました。
「なな、なんですって!? どうしてそんな話に?」
「みんなそう言ってるよ? 『エヴァンジェリンさまと坊ちゃまの結婚式が楽しみですね』って」
思わずわたくしは顔を覆いました。
実は、そう言われるだろうことはうすうすわかっていたんです。
だって居心地が良すぎて、あと一週間、もう一週間と滞在する日付を伸ばしているうちに、気付けば二か月も経っていたんですもの……。我ながらなんて図々しい……。
でも、そうよね。
このままだらだらと居座り続けるわけにもいかないわ。わたくしもそろそろ、きちんと返事をしなければ。
ぎゅっと手を握り、オズワルドさまの所へ向かっていたその時です。突如屋敷の中が騒然とし始めました。
「一体どうしたのです?」
「エヴァンジェリンさま……それが、どうやらダスティン王太子殿下がお越しのようで」
ダスティン王太子殿下。
かつての婚約者の名前に、わたくしは目を丸くしました。
◇
「――だから、さっさと薬を渡してくれればいいと言っているだろ!」
ソファにふんぞり返った殿下が、イライラしたようにオズワルドさまに言いました。
一方のオズワルドさまと言えば、殿下の言葉に顔色ひとつ変えることなく、優雅にお茶を飲んでおられます。ちなみにわたくしはなぜかその隣に座らせてもらっています。
「聞いているのか!? オズワルド!」
「ええ、聞いていますよ殿下。でも意外ですね。あなたが胃痛だなんて」
「こ、ここのところ少し食べ過ぎたんだ。……その、ごはんがおいしかったからだぞ! 決して他意はないぞ!」
そう言われて、わたくしはピンときました。
マチルダさまに振られて、やけ食いなさったのね。そういえば心なしか以前より頬がふっくらしているような……。
「なんだその目は! エヴァンジェリン、お前いま僕をあわれんでいただろう!」
「いえ、決してそんなことは」
「くそっ……満ち足りた顔をしやがって……! エヴァンジェリンだって、オズワルドの本性を知ったらまた胃が痛くなるに決まってる!」
えっ? 本性? ……ってなんのことですの?
わたくしがきょとんとしていると、オズワルドさまが今まで聞いたことがないぐらい低い声を出しました。
「殿下」
その声にビクッとダスティン殿下が震えます。
「な、なんだ! 別に僕は怖くないぞ! いいかエヴァンジェリン、この男はずっとお前を騙していたんだ! 本当は誰よりも腹黒くてずるいやつなんだぞ!」
えっ? 腹黒い? ずるい? どういうことですの?
わたくしがおろおろと二人を見ると、オズワルドさまがはぁーっと大きなため息をつきました。
それから、青い瞳がきらりと光ります。
「……全く。ダスティン殿下には遠慮というものがひとつもありませんね。そんなんだからマチルダ嬢にも振られるんですよ」
「うぐぅっ!!!」
オズワルドさまの容赦ない言葉に、ダスティン殿下が胸を押さえました。
「お……お……お前……! そのことには触れてくれるなとあれだけ……!」
「でしたら、言葉遣いにはお気を付けください。どんな相手にも敬意を持って話すようにと、散々注意したではありませんか。マチルダ嬢も、あなたのそういうところが嫌なのでしょう」
「おうふっ……」
手厳しすぎるオズワルドさまの愛の鞭に、ダスティン殿下はもう撃沈寸前。
……というか目の前の殿方は本当にオズワルドさまなのでしょうか?
今までの穏やかさは嘘のように消え、まるで知らない人のようですわ。わたくしがしぱしぱと目をまばたかせていると、オズワルドさまが嫌そうに言いました。
「そもそも、薬をもらうためだけに、わざわざここまでやってきたんですか?」
「どれだけ呼んでもお前が戻ってこないからだろう! 前は用事もないのに現れていたくせに……!」
「そりゃそうですよ。殿下の隣にはエヴァンジェリンがいましたからね」
えっ? そうなんですの? 新情報の連続にわたくしが戸惑っていると、ダスティン殿下がまたぷりぷりと怒り出します。
「それよりも薬だ。エヴァンジェリンが飲んでるやつは、抜群に効くんだろう!?」
「殿下……あれはエヴァンジェリンのために処方した薬で彼女だから効くのです。あなたとは性質が全く違う。それにあなたは王太子。許可のない薬を飲ませられるわけないじゃないですか」
「う、うぐぐ……」
「あの……殿下。他のお薬じゃダメなんです?」
わたくしは尋ねました。
殿下の一過性の胃痛ぐらい、宮廷医師たちがいくらでも直せそうなものなのに。
「そ、それは……」
そこで殿下はなぜか言いよどみました。オズワルドさまが、はぁーっとため息をつきます。
「全く殿下も素直じゃないですね。私やエヴァンジェリンに会いたいのなら、素直にそう言えばいいでしょう」
「バッ!!! バッカお前そんなんじゃ……!」
あら? あらあら? そういう?
思ってもみなかった言葉にわたくしは目を丸くしたのですが、不思議なことに殿下は顔を赤くしていらっしゃいます。
「殿下はわたくしを嫌っているんじゃなかったんですの? だって婚約破棄されましたし」
問いかけると、彼はバツの悪そうな顔で言いました。
「……別にそういうわけじゃない。ただ、その、マチルダにちょっといいところ見せようと思って調子に……」
「まあ、あれで
「ふぐぅっ」
あ、しまった。つい勢いでとどめを刺してしまいましたわ。
そこへ、厳しい声音でオズワルドさまが続けます。
「それで、殿下は謝らないのですか? わざわざ皆を巻き込んでエヴァンジェリンを婚約破棄したことは、決して許されることではありませんよ」
その言葉にダスティン殿下がギクリとしました。
「そ、それは……その……。……確かに色々間違ったと思っている。……ごめん、エヴァンジェリン」
小さな子どものように、ダスティン殿下がしゅんと背中を丸めました。わたくしはにっこりと微笑みます。
「大丈夫ですわ。わたくし
むしろ大喜びだったなんて、言えませんわね。
「そっ! それより! 薬はもらえるのか? もらえないのか?」
照れを打ち払うように殿下が声をあげ、オズワルドさまが答えます。
「先ほども言った通り、王太子であるあなたに、むやみやたらに薬を飲ませるわけにはいかないのですよ。……それこそ薬師組合で認められれば、いくらでもおわたしできるのですが」
「なんだ、薬師組合を説得すればいいのか? それならすぐにできる」
えっ? そんな安請け合いして大丈夫ですの!?
わたくしの動揺とは裏腹に、オズワルドさまはにっこりと微笑みました。
「ならば、先行して少しだけお薬を渡しましょう。残りは組合を丸め込んだ後で。……せっかくだからエヴァンジェリン、君が見立ててあげるといい」
「は、はいっ」
言われて、わたくしはダスティン殿下をじっと見つめました。
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