第247話 父親


 早朝。友里は日課になっていた優とのランニングの為にセットしていたアラームによって起こされた。ベッドを見ると優は、もういなかった。


(優ちゃん……あれ?)


 駒井家の朝は早いので、誰かしらが起きている気がした。一応ランニングがすぐできる格好に着替え、1階に降りた。階段を降り切った所で、優から借りたままのスマートフォンを見ると、優からのメッセージが届いていた。


【友里ちゃん、居間に来ないで。友里ちゃんのお父さんたちが来ている】


 ドキリとした友里は、2階へ戻ろうとしたが、意を決して、居間の扉を開けた。駒井家の居間、朝5時。

 そこには、芙美花と智宏、優、友里の両親がいた。


「おかあさん」

「友里、おはよう。2階にいってなさい」

 親の声を聞きながら優をさがすと、こちらへ慌てて立ち上がっていた。友里を隠すように、抱き留めて、居間から出そうとする。

「メッセージ、読まなかった?」

「ごめん、今見た」

 そんな会話をしていると、後ろから友里の父親が声をかけた。


「大阪から慌てて飛んできたんだ、びっくりしたか友里、お誕生日おめでとう」


 芙美花が、友里の父親の言葉に額をおさえた。今日は5月31日で、友里の誕生日は25日なので、だいぶ遅れている。

 優が、友里に問いかける。

「友里ちゃん、ごめんね、こんなに早く来るとは思っても見なくて。──お父さんを、愛したいって思っている?欠片でも」

「……」

 友里は、答えを少しだけ悩んでから、こくりと首を縦に頷いた。

「じゃあ、一緒に。思ったことはすべていって。自分を傷つけること、以外だよ」

 優は、友里の背を軽く撫で、友里を父親から隠すように、前に立った。優は友里が作成したシャツにワイドパンツ姿で、いつか「勇気がもらえる」と言っていた話を思い出した。大人の男性のそばにいると、華奢で儚い。


「ごめんね、友里……誕生日は避けたんだけど」

「友里ちゃんのお母さんが、友里ちゃんの誕生日に帰ってこないのは、おかしいと思っていたけど。やっぱり、そういうことだったんですね」


 友里の両親が、優を避けるように、友里を見つめる。友里は、心臓がバクバクと鳴っていて、目を合わせられず優の背中に額を付けた。


「お父さんと家に帰ろう、そして、当たり前の幸せを築こう」

 友里は、ビクリとした。どうしても父親の前に出ると、いつもの自分になれない気がした。友里の父は、誰に説明するでもなく話し出す。

「実は支社からの通達で、もう少し広い家に引っ越しをすることになりまして、いい機会なので娘を迎えに来たのです。元々、おかしい話だったんですよ。友里に怪我をさせた子のために、うちの家族がバラバラだなんて」


 友里は、優に聞かせたくなくて、前に立つ優を一度見つめた。優は、笑顔を湛えていて、その瞳は繊細な輝きに満ちた観世音菩薩のようで、すこしだけゾクリとした。


「お父さん、わたしを想ってくれるのなら、せめて、東京に転勤とかできないかな」

「友里、簡単に言うけど、仕事というのは」

「自分で、大阪を選べたよね?」


 友里の父親は息をのんで、単純な反論すら出来ずに友里を見つめた。

 芙美花が「和文かずふみさん、まずは、全員落ち着いて、席に着こう」というと和文と呼ばれた友里の父親は少し笑った。友里は優の隣に座った。


「まずは、こちらの非礼をお詫びします。実子可愛さに、友里ちゃんを縛り付けるような行為、申し訳ありませんでした」

 駒井家両親に深々と頭を下げられて、和文は横を向いた。

「でもふたりが、愛し合うのは彼女たちの意思。それを否定するようなことは、やめましょう」

 智宏の言葉に、ぶつぶつと和文はなにか反論を述べているが、聞き取れない。優は、友里の肩を抱いていて、和文が「すこし離れていなさい」と命令をするが、その命令には従わなかった。


「もしも本社へ、異動となったら、受けますか?」

 優の質問に、和文は眉をしかめた。

「質問を変えましょう。この7年で、3回も本社勤務を打診されてすべて断っていますね、なぜですか」

「なにを……高校生が、そんなこと、調べられるわけがない。友里、騙されてはいけないよ。この子はそう言って、私への不信感を煽ってるんだ」

「そんなことを、するまでもないんですが」


 和文のみが疑っているが、友里は、尾花家が調べつくした内情を読んで知っていたので、父親の言葉には騙されなかった。友里は優の腕を抱きしめた。


「友里、おかしいだろ?お前を傷つけた人間と、お父さん、どっちを信じる?親のほうが、無条件にお前を愛すだろう。その子の傍にいても、また死ぬような目にあったら、手を離すぞ」

 友里は、ドキリとした。手をつないだままにこだわっていた理由を父親に「これが不安なんだろう」と突き付けられた気がして、感情から目をそらしたくなくて、そのまま父親を睨んだ。

「ちがう、あの川で、手を離したのは、わたし。優ちゃんが無事で、本当に良かったって今も思ってる!!優ちゃんが、わたしのことを思って、ようやく手を離しても良いって思ってくれたんだよ。わたしを、大切に思ってくれる、好きな人を悪く言わないで」

「……そちらが先に!」


「わたしは……友里ちゃんが家族の愛情を深めることに、賛成をしていました」

「なら、そのまま友里を素直に手放せばいいじゃないか」

「でも、高校生の子どもを、ひとり放置して、生活の自由を奪ったり、誕生日にも、顔を出さないなんてと思って、ふと疑問に思ったんです。本当に、大事だから、呼ぼうとしているのか?」

「……」

「本当は、誕生日すら忘れて、子の存在も尊厳も守れないのに、親としての自覚のみがあって、自分をないがしろにされたまま、子が幸せになるのが、許せないのでは?自分の知らない場所で、朗らかに育った娘を、受け入れられないのでは、と」


 優はため息をついた。和文が、言葉を探すようにきょろきょろとした。

「誕生日忘れてても、全然良いよ!」

 友里が言うと、和文はホッとしたように口を開いた。

「怪我をさせた負い目からやさしくしてくるような相手を好いても、友里が幸せになれるわけがない。離れても好きだの愛だの言えるのなら、試してみなさいと言ったんだよ」


 和文はへらっと笑って、蜂蜜色の瞳を潤ませた。

 友里が、優にしがみ付いて、自分に似ている父親を、恐れるように見た。

「わたしがずっと、離れたら気持ちが消えちゃうって不安だったのに、離れても、築いた感情は、消えないんだって、優ちゃんが教えてくれたの。お父さんは、消えちゃうってわかってるから、そう言ってるの?それって、もうわたしたちへの、気持ちがないって、自分で言っているようなものだよ」

 それでも、父親として、なにかの記憶があるかと、探る。


「そうだ、お父さん、グラタン食べに行ったの、覚えてる?あのお店、まだあるんだって。こっちに戻ってくれば、またいけるよ。ほら、わたし、忘れない──」

「あ……?ああ」

 和弘が、友里の質問に首をかしげた。友里は、唯一と言っていい和弘からの愛情を大事にしていたので、それを覚えていてくれるのならと、ほんの少しの賭けをしたようだった。優もそれに気づき、様子を見守った。

「いや、そんなのは行ってない」

 和弘の言葉に、友里は、うつむいた。まだ友里は、父親から愛されていたかもしれないという記憶に縋っているように見えて、優は友里の肩を抱いた。


「友里ちゃんが、お父さんとの思い出を、大事にしているのは、何回か聞きました。でも、少なすぎる。小学5年生まで一緒に生活していたはずなのに、4歳からやっているバレエスクールの、たまに迎えに来て、グラタンを食べに行った思い出しかないのは、やはりおかしいです」

「それは、仕事が忙しくて、家族といられないのは、当たり前で」

 優は父の智宏を見る。いつも忙しいが、家族団らんを大事にする自分の父親と比べてしまって、苦笑した。

「個人の力量や裁量の差は、仕方ないかもしれませんが」

「な、失礼じゃないかな?さっきから。もう友里、戻ろう。家族の記憶がないのなら、今からやり直そう」

 立ち上がって、友里に近づいてきた和文を、芙美花と智宏、そしてマコが抑えた。


「友里ちゃんは、愛情豊かで、愛されたらそれだけ返さないといけないと思うような子だ。愛してもらえないとしても、お父さんを愛したいと、思っている。しかし他人だと思うと、友里ちゃんを愛しているとは、到底思えません。そんな方に、大事な友里ちゃんを渡そうとしていたと思うと、虫唾が走る」


 優がそう言うと、友里を抱きしめた。

 芙美花が言った『愛されたようにしか愛せない』という言葉が、くるくると回る。 友里は、優の胴体に抱き着いて、3人の親に抑えられている父親から目をそらした。優に抱き着いて、心音を聞く。愛していると言う音がして、まるで、川へ落ちていく友里を、優が抱き留めてくれたかのようで、こんな時なのにホッとしていた。


「ごめんね友里、大丈夫だから」

 友里の母親が、父親を引き取って、帰ろうとした。

「マコさんが犠牲になることない」

 慌てた芙美花が、マコの手を取り、和文だけを帰らせようとする。

「芙美花さん、でも」

「マコまで、奪うつもりなのか!?」


 和文が激昂して、芙美花を殴ろうとしたので、優と友里が慌てて前に飛び出た。

 和文は、優を面倒くさそうに振り払おうとして、優によけられたことに腹を立てたのか、駒井家の居間にある辺りのモノをやたらに投げつけてきた。そして、観葉植物を持ち上げて、中央に置かれたガラステーブルの上に降ろした。


 ガシャンと音を立てて、ガラステーブルが弾け、破片が優の額に当たった。


「優ちゃん!」


 友里が叫んで、慌ててポケットの中に入っていたハンカチで、優の額をおさえた。どくどくと血が溢れてきて、友里は「やだあ」と泣いた。

「ごめんなさいっ」

「平気だよ、頭は血が出やすいだけだから」

 優はそう言って、横になると、友里を慰めるが、友里の涙は止まらない。外科の優の父が、優の様子を見る。毒気を抜かれたように項垂れている和文の前で、応急処置がなされて、優は、何重にもガーゼが付いた、大きな絆創膏を、額に貼った。


「アロンで止めたけど、一緒に出勤しよう、優」

「だいじょうぶ」

「優ちゃん、傷が残ったらどうするの!?」

 額から右目にかけて、大きくガーゼを貼っている優が、片眼でじっと友里を見つめた。黒い瞳が、くるりと光って友里はドキリとする。


「傷があるわたしは、きらい?」

「かわいい……」

 しゃくりを上げて泣きながらも、友里が、恋に落ちたような顔をするので、優は苦笑した。

「傷なんて、本人の魅力に、なにも関係ないんだから」

 優は、友里の涙の痕を、指先で撫でた。こんな時ですら友里を口説いてきて、友里は、赤い顔で優の腕にしがみ付いた。優がふらりとするので、友里が慌てて抱き留める。


「友里ちゃんのお父さん」

 優は友里の支えに助けられながら、飛び散った血の跡を見つめて、茫然としている和文に向きなおる。

「友里ちゃんは、いろんな人の小さな愛情を見抜いて、人の心を助けられる、とても良い子です。それは……きっと、お父さんの愛情を探しているうちに身についた……悲しいけれど、すごい才能なんだと思います」

 和文はハッとして、友里を見た。友里は、父親と初めて目が合った気がして、グッと体に力を入れたが、パタパタと涙が零れ落ちてしまう。


「……みんなが、幸せになるために、いつも考えてくれるような子よ」

 芙美花が言葉を添えて、和文は息をのんだ。

「わたしは頼りなくて、友里ちゃんの支えがないと、立っていられないような、弱虫ですが、彼女が、幸せを望むのであれば、わたしがどんなことをしても、一緒に幸せを探していきたい。彼女が、大事で、愛おしい、かけがえのない存在なんです。だから、笑顔を奪わないでください」


 泣きじゃくる友里を見つめ、和文は自分のしでかした現状に、今ようやく気付いたかの様子で、辺りを見回し、「幸せとはなんだ」と小さくつぶやいた。

「あなたが、手離したものだと、思います」

 優の声に、和文はハッとして顔を上げた。

「手離したのは、私か」

「友里ちゃんのお父さんとお母さんが、必死で友里ちゃんをこの世界に生み出してくれたことは、心の底から、感謝しています。ありがとうございます」


 優がペコリと頭を下げた。和文は、横に首をふった。まるで、生まれたばかりの友里を見た時のような顔で、目を細めた。目に涙をためて、諦めたように小さな声で、「私が育てなくて……本当に良かったんだな」と言うと、優に頭を下げた。


「友里を……よろしくお願いします」


「お父さん」

 友里が父親を呼ぶと、蜂蜜色をした瞳を細めて、和文は力なく笑った。

「ごめんな、友里……。お父さんは、間違っていたみたいだ」

 マコにも向きなおって、和文は頭を下げた。


 :::::::::::


 芙美花が、あとは大人同士で話し合うと言って、一度優と友里を2階へ送った。階段を上ると、彗が「よ」と優に手を上げる。

「今日は学校、お休みだな。熱出るぞ優」

「振替休日だよ、彗にい」

 彗は、優の言葉にすこしだけ違和感を感じつつも、頷いた。

「優まさか、この日を狙った?」

「いや、それはさすがに……」

 優は苦笑して、兄の自分への買いかぶりぶりに首を横に振る。


「その姿で学校に行ったら、優ちゃんのファンが、阿鼻叫喚だよ」

 友里がまだ泣きながら言うと、優がパチリと瞬きをした。

「嫌われちゃうかな」

「それだけはないよ!」

 友里がしゃくりを上げて、優のファンを見くびらないでと怒ったように言うので、優は苦笑した。


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