第108話 甘いおまじない①



「しまった、生理だ」

 水曜日、朝、起きぬけに友里は憂鬱な日々を思う。

(だから日曜日辺り、興奮冷めやらなかったのかあ…しといてよかったな~…)

 日曜日の夜の優を思い出してドキドキしてしまうと同時に、下品なことを思う友里は、優におはようのあいさつメッセージを送って、一応、生理がきたことを告げる。優は【あたたかくしてね】と返事してくれた。


「おかーさん、わたし生理」

「オッケーじゃあ、カイロもっていきな」


 階段を下りていくと、階段下の収納庫から、友里の母が一緒に暖かい手袋と靴下と、腹巻まで用意してくれた。受け取ると装着した。暖かくてホッとする。

「今日もバイトなので、よろしくです」

「はいよ、お気をつけて」

「おかあさん、あのおまじないして」


 ちょっとだけ甘えた声で、母に告げる。友里の母は、友里の大好きな甘い香水をハンカチにかけて、友里に「香り、きつくない?」と声をかけてから渡した。友里は溶けるように、気持ちが落ち着く香りを充分に吸った。

「はあ~いい香り!行ってきます」

「行ってらっしゃい!気を付けて」


 :::::::::::


 昼、一日分のビタミンがとれるらしい紙パックジュースを購入して教室へ戻ると、村瀬詠美が友里の椅子に座って、女子3人と話をしていた。

 萌果と後楽も、「?」という顔で友里を見る。

「友里さん!おかえりなさ~い!」

 村瀬詠美は、髪をかき上げて美形を晒すと、友里の席で頬杖をついた。

「……わたしの席なんだけど」

 思っているよりも低音で、友里が言うと、村瀬の周りにいた3人の女子が「わ!」と立ち上がって、友里を囲んで話しかけてきた。いつも友里を遠巻きに見ているクラスの女子だった。高岡が言うように、みんな胸が大きい。

「荒川、詠美と仲良しなの?バイト先も一緒なんだって!」

「いいなあ、いつの間に?詠美ちゃんっていい子だよね」

 カースト上位の妖艶さで、友里にきゃっきゃと軽快な声だが、探りを入れてくる。

「駒井くんのこと、飽きちゃったの?」

 ひとりの女子に失礼な事を言われて、友里はかぁと頬が紅潮した。ジャケットのポケットのハンカチを握りしめる。

「友里さん驚いてるじゃない、ダメだよ」

 村瀬が、友里の背面に回って、そっと友里の肩を抱いた。

「友里さん、席勝手に座ってごめんね……」

 耳元で村瀬にささやかれて、友里は、ぞわりと背筋になにかが走って、萌果の後ろへ走って逃げた。

「あたしらが、案内して、座ってみたらって言ったの」

「わ~って喜んでてギャップえぐ!」

「……はあ」

 友里は相槌を打てず、曖昧な態度で声を出してしまう。勝手に座らせないでほしい。

「こんなかんじで、まだね、仲良くしてほしい!って思っている時なの。悲しいけど、友里さんに私の愛が届かないんだよねえ」

「!」

 友里はなんと言ったらいいのか、まったく思いつかないが、とにかく大きな声で否定の言葉を並べたかったが、3人の女子に、あっという間に囲まれてしまう。

「そうなの?荒井。普通に可愛がってあげなよ~」

「先輩なんだから!」

「かっこいいのが好きなんでしょ」


 背中に冷や汗が落ちる気がした。


「かわいいのが好きなんだよ、友里は!」

 後楽が、「散れ散れ!!」と購買で買ったパンみっつで、女子と村瀬を追い払うと、友里の前の自分の席へドカリと座った。

「友里!ごはんたべよう」

 そう言って、固まっている友里を呼ぶと、萌果が友里を押し出すようにして、席につかせてくれる。


「…怒りました?」

 3人の女子がなにかワーワーと言っている中、村瀬が友里にそっと近づいてきて、問いかけてきた。友里は、村瀬のほうへ向くことができない。

「ただ顔を見に来たかっただけなんです」

 萌果が、動けずにいる友里の紙パックのジュースにストローを刺して、友里に持たせて、自分の分のサンドイッチを開いてぱくつくと、口を開いた。


「あのさー、仲良くしたいなら一対一のほうがいいんじゃない?」

「え」

「女の子はべらせて、友里になかよくしてくださーい!ってそりゃ、入りづらいでしょ、縄跳びと一緒よ。大縄跳びわかる?練習もしてない子を、全員で飛んでるとこに、最後のひとりとして入れたりしないでしょ」


「はあ、ちょっとわかりづらいですけど」


 村瀬に言われて、萌果はムッとしたが、村瀬がジャンパースカートの上に着ている黒のパーカーの紐をクルクルとしながら、「お嬢さん、お入んなさい♪ですっけ?」と1本の短い縄をひとりが持ち、向かい合ってふたりで跳ぶ、ふたりとびの歌を美しい声で歌ったので、「それそれ」と指をさす。


「そっちは、ふたりでやるやつね、あれだって、仲良ししか一緒にしないでしょ。まずは一緒に縄跳びができる関係ってやつを作らないと」

「はあ、なるほど…皆さんは、友里さんと縄跳びができる関係ですか」

 後楽と萌果は、見合った後、友里を見つめる。

「まあ、やろーとは思わないけど」

「すげえ暇なら、してもいいかな……」

 ふたりに言われて、友里は思わず立ち上がってしまう。

「え!しようよ!!」

「あはは!友里なに焦ってんだ」

「はいはい、シテも良いけど、化粧が落ちない程度にね」


 アハハと笑い合っていると、予鈴が鳴った。あと10分で5時間目が始まってしまう。

「教室に戻らないと」

「村瀬~、あれなら、あたしらがいるときに、声かけろよ」

 面倒見のいい後楽にそう言われて、村瀬詠美はにこりとした。

「お言葉に甘えて、次はそうします」


 手を振って、村瀬は颯爽と2年生の教室から出て行く。通り掛けに女子に手を振っている。

「1年生がよく2年生の教室に来るよね、そこはほんとすごいわ」

 萌果が、詠美の後姿を見送りながら、呟いた。友里は、萌果があけてくれたジュースをようやく一口飲んで、ため息をつく。

「友里、なんで村瀬って子に急に懐かれてんの?」

「うーん、なんて言ったらいいのか…バイト先が一緒で、でも一緒に働いたことは一度しかなくて…」

 言い淀む友里を、後楽が3つ目のパンを食べながら奇異な目で見る。ポンポンと思っていることを言う友里の事が気に入ってるので、元気が無いように見えた。

「まあ、元気出せよ、困ってるなら、ちゃんとガードするし」

 棒付きの飴をひとつ、友里に渡す。遠慮もなく生活圏内に村瀬が入り込んでくることが、友里はすこし怖いと思った。しかし萌果と後楽に、告白された話をしたら、性的思考の話を、勝手にすることになってしまう。悩ましい。ジュースを飲み干す前に、5時間目の授業が始まった。



 ::::::::::::



 ”放課後15分”を過ごしながら、チクリと痛むお腹を、友里はさすった。ホッカイロのパワーが、薄れてきた気がして、新しいものを用意する。

「だいじょうぶ?」

 優が心配して、友里の腰をさする。

「うん、気持ちいい…」

 そのままお膝に座らされて、腰を軽くマッサージしてくれるので、友里はうっとりと優の胸に体を預けた。

「バイト休めないの?」

「うーん、金曜日休んだし!休まない!休んだら毎月休んじゃいそう」

「そっか、無理しないでね」

 優が、友里を後ろから、そっと抱きしめた。


「優ちゃん?」

「友里ちゃんて、本当にいい香りがする」

「あ、今日はお母さんの香水つけてるからかな」

「え?」

「ちいさいころにね、外が怖くて家から出られなかった時にね、おまじないねって、怖い時とかにハンカチに甘い香水をつけてくれるようになったの、不思議と怖くなくなって、良いことがいっぱい起こる気がするの」

「へえ、かわいい」


 香水をつけている話は初めて聞いた優だったが、いつも感じる香りと何も変わらなかったので、友里本人の香りだと思うのだけれど(変態っぽいかな)と思って黙った。


「今日は?」

「うん、お腹痛くなったらやだなと思ってつけてもらったんだけど、飴もらえちゃったし、優ちゃんと無事にこうして逢えたし!やっぱいいこと多いかも!これね、少しだけ優ちゃんの香りするんだ」

 村瀬の件はおいておいて、良かった件だけを友里は思い浮かべる。ポケットからハンカチを取り出すと、優にもふわりと甘い薔薇の薫りがほんのり漂った。

「えっわたし、こういう香りなの?」

 優はしきりに照れてしまう。好きな人の香りはいい香りと感じる遺伝子的な相性の良さを信じていた。優には少し甘すぎるその香りを、友里は心地よさそうに胸に抱く。

「もうちょい桃みたいな、柔軟剤みたいな香りが入るよ」

 本人がいるから良いけど!と言いながら、友里はハンカチをポケットにしまった。

 勇気をくれる香りをもらった理由は(村瀬さんの話を上手にできたらな…と思って)友里が、意を決して話そうとした時だった。


「じゃあ、わたしからも良いことがありますように…」

 首筋に、キスをされて友里はカカッと目の下あたりが熱くなるのを感じた。随分セクシーなおまじないだなと思って、うっとりしてしまうが、優がそっと胸を触るので、友里は震えて、痛みを訴えた。


「ごめん」

「優ちゃんは、生理中、胸が痛くならない?日曜日と比べて、熱くない?硬いし…」

 言いかけて、また優に触らせようとしたが、気付いて、真っ赤になって、友里は胸を守るように体を抱きしめた。

「ダメだよ!学校で…!!」

 自分で触らせようとしたのに、思わず言ってしまう。優は、行き場を失った両手をふわふわとさせ、「無意識で…」と淡い寝言のような甘い幼い声で、真っ赤になって言った。


「無意識で…?かわいい…」


 友里はもう、優ならなんでもいいのだろうか?優は笑ってしまうが、むやみに体に触ったことを謝った。


「わたしは胸が痛くなったことはないな…腰や頭は痛いし熱が出るけど」

「それはそれできついね。あとねキスとかも、お腹が痛くなっちゃう気がする」

「そうなんだ…知らなかった。気を付けるね」

 優が多少しょんぼりした声で言った。


「うん、でもおまじない嬉しい。終わったらいっぱい、して」


 優は友里の無邪気で上手なお誘いに、かあっと頬を赤くした。

 友里のポニーテールを含んだまま、背中に顔を付けて、ぐりぐりとした。

「ちょ、優ちゃん?!くすぐったい!背中は弱いんだって!!」

「友里ちゃんはほんと…無邪気に、わたしを弄ぶ…!」

「ええ?あははは!!もう!」

 きっとかわいい顔をしているので、友里は後ろにいる優の表情を見たくて、右左にうろうろきょろきょろした。


「優ちゃんお顔、みせて」

「だめ!」

 優は、友里の背中に顔をうずめて、後ろからぎゅっと抱きしめた。


「だから、お腹痛くなっちゃうって…!もう!可愛いな!?」


 存分にイチャイチャして、友里はバイトへ行き、優は自宅へ帰った。


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