第5話 優の朝
「優ちゃんにきかなきゃいけないことがあるの」
いつもの放課後、15分だけの逢瀬。誰もいない教室に二人きり、後ろ手にぴしゃりとドアを閉める友里に、優の心臓は大きく高鳴った。
「なに?言って、友里ちゃん」
「あのね…」
「うん」
「優ちゃんをかわいいって言うの、いやだったらいままでごめんなさい!!!」
友里が必死の決意でそういった。優は「いやじゃないよ!」と叫んだ。誰かからそう言われたの?なんで?と理由を問いただしたかったけれど、友里を責めても仕方がない、と思い友里の答えを待った。
「そう?……そうだよね!!優ちゃんは誰よりもかわいいもんね!?!?よかったあ、ホッとした!!!」
いつもの笑顔で、友里がホッとした!という言葉通りの顔をした。うそを付けない友里のことが、優は大好きだと再度思った。そして、意を決して言った。
「でもね、いつも、いつでも思ってる。わたしからみて、一番かわいいのは、友里ちゃんだよ」
「友里ちゃん、わたし、いつも思っていたんだ。二人とも相手のことを、かわいいと思っているのは…それは、──恋じゃないかな」
優は、友里の傍へ近寄り、ドアを背にした友里を抱きしめて頬を撫でた。カタリ、と友里が体を預けていた引戸が揺れる。友里も一歩前に出て、優に抱き着いてきた。二人の距離がゼロになる。隙間が全くないぐらい抱きしめ合って、布の音、体温が重なる。
優は友里の柔らかな髪をなで、その小さな顎に人差し指を回し、下唇を親指でそっと上げる。チュ、と口角が鳴り、友里の唇が開いて口中が微かに見えた。
「優ちゃん?」
友里はふしぎそうに、優を見上げる。子犬のように優に撫でまわされて、くったりとした友里は、普段は幼く見えるアーモンドの形をした瞳がうるんで濡れていた。睫が震えて産毛が夕日に光っている。優は、ゴクリと喉を鳴らした。
「口づけをしたら、怒る?」
問いかけると、友里は困ったような顔をしたが、真っ赤になりながら「怒らないよ」と言って目を閉じた────
ジリリリリリリリリリリ───
スマホが鳴り響く。
なぜ夢は、こうも良い所で終わってしまうのだろう。そして、なんてベタな、目覚めだろう…。
駒井優は、白いシーツの中でうなだれた。なるほど、(自分は友里とキスをしたいけど友里の承諾を得なければしたくないし、夢判断をしなくても欲求不満とわかる夢だ!)全部忘れてしまいたいと思った。
しかしその夢は多少シチュエーションを変えつつ高校に進学した頃から、何度も何度も見てしまっているのだ……。紙パックのジュースに──だけれど、実際の友里のキスを見たせいで、よりリアルになっている気がする。夢の中でくらい、本当にキスしてもいいのに、絶対に先に進まない。
スヌーズが上にスライドしても止まらないことにイラつきながら、電源を落とした。もしかしたら横にスライドだったかもしれない、まあいいやと思う程いらついていたので、そのままスマホを、いつもの優からは考えられないほど、少しだけ乱暴に棚に置いた。すぐに反省する。
今回の夢にこんなシチュエーションが選ばれたのは多分、昨日、スマホに入っていた友里からの連絡のせいだった。
【放課後15分、今日はお休みします。9連勤バイトリーダーが風邪で倒れたから応援に行く!】
【あのね、一つだけ、聞きたいんだけど、かわいい、って言うの、迷惑かな?】
なにか、ムキムキのマッチョな物体が身体中から水分を流しながらゴメンネといろんな角度で言っている"ごめんスタンプ"がたくさん送られていた。優はそれに対し、
【それは心配だ、友里ちゃんも無理しないでね、良かったら終わるころ迎えに行くから連絡をください】
【どうしたの?友里ちゃんにかわいいって言われるの嬉しいよ】
と返したのだけど、それから友里の返信はなかった。気のきいたスタンプは思いつかないので送らなかった。多分、バイトに行ったのだろう。優は自分の部活にでてから、水泳クラブへいき、0時を回ったら返事が来るかなと思って待っていたけれど、友里からの返事はなかった。こっそりコンビニにも顔をだしたけれど、そこに友里の姿はなかった。
そうだ、もう返事が来ているかも?と思って先程切ったスマホの電源を入れようとスイッチを押したが、反応がない。充電が切れたのかもしれない、と思い、充電を差し込んだが、真っ暗闇のままなにも反応しなかった。
現在実家から研修医として地元の病院に勤務している二番目の兄に相談したところ「中の基盤の問題かもしれないから、ショップにきいてきてあげるよ」とスマホを預かってもらうことになった。
「……学校でも、そんなに会えないのにな」
友里とのつながりを奪われたような気持ちになって、優はしょんぼりしてしまった。二つ上の兄、
「友里ちゃんは学校にいるんでしょ?時間つくって、あいに行けば?」
母親がそういうけれど、なかなかそうも行かず優は頼りなく笑った。いつからだろうか、回りに気を遣って友里が近づかなくなったのは。
「優・淑女計画」と名前を付けて張り切っていたのに、優がなにも変わらないから、飽きてしまったのかな?
だって自分が変わってしまったら、友里に「かわいい」と言われてなくなってしまうかもしれない。友里は、友達になにか言われて心が迷っているように思うし、二人の関係が、夢の中のように良いほうへ変わるならいいけれど、それは優だけの願望にすぎないのだから。
「優、そう言えばあなたが頼んでたもの、なにか届いてたわよ」
母親がのんきに小さな小包をとりだしてきた。優はハッとしてそれを受けとる。それは、優がいつも買ってるお店のジャージだった。開けると明らかに優の体より小さい女性ものが出てきた。全体的に白地に黒がオフショルダーラインにかかるように横に細く太くランダムに入ってる上はジップアップすると顎のあたりまで隠れてしまう少し大きめに着る様式。そして黒地に白の細いラインが三本横に入っていて、スラッとタイトに着こなせる下のセットアップ。友里にプレゼントする予定で購入したのだ。
バイト帰りの服装として荷物にしても軽いし、長いふわふわの髪をポニーテールにして、着てくれたらスポーティーな感じで可愛いな、と優は想像していた。
「5月25日は友里ちゃんの誕生日だもんね」
母親がそう言って、優はそうだねと微笑んでカレンダーを見た。来週に迫っていた。幼いころから誕生日だけは喜んで受け取ってくれるのもあって、友里がある程度興味はないけれど必要に駆られているもので、いくつあっても困らないもので、友里に相場は気付かれていないと思うけれど、わりと高額なもの──になっていってる。本屋の品出しのアルバイト一か月分ぐらいが相場だ。
友里のためにあれもしたいこれもしたいと思い悩むけれど、プレゼントするくらいで、いつも友里の幸せを願ってることを伝えられたらいいのに……、優はきれいにラッピングしながら想いをこめた。
「そろそろ支度を始めないと、朝練の時間じゃないか?」
今まで新聞を読んでいて会話に参加していなかった父親がタブレットから不意に顔をあげた。駒井家は全員早起きなので、時計はまだ六時を指している。しかし、7時台の電車に乗るので、優は慌ててプレゼントを綺麗にしまうと、朝食と昼食のお弁当作りへシフトチェンジした。
ピンポン。
チャイムがなった。
こんな朝早くに誰かしらと母親が対応してくれた。「あらー」と楽し気な声があがって、しばらく母親を守る態勢で待っていた家族全員の意識は、(知り合いだったのかな)と朝の支度に戻った。
「優ちゃん」
「えっ友里ちゃん?」
優は居間に上がってきたまさかの相手の声に、持っていたパン用包丁を床におとした。危ない。朝が苦手でいつも優とおなじ電車に乗りたいと言ってくれるのに、最高で7時40分の電車になってしまう優が。こんな早起きを。まずそこに驚いた。
「昨日、変なメールを送ってから、返事がなくて…その、凄い気になって夜も眠れなくて、バイトも行ったんだけど、みんな応援に入ってくれて人手は足りてて!でもミスばっかで普通に帰されちゃってさんざんだったよ…」
優は友里の言葉に「お迎え行かせてとか送ったんだよ」と小さい声で言った。すると、「とどいてないよ」と半分泣き声で友里が返してきた。
彗が、優のスマホに通話してみる。「お客様のご都合により、お掛けすることができません」と流れた。
「これ、基地局をとらえるチップが壊れてるっぽいな、特定のアプリの契約してる基地局の回線使う通話とメールがつかえないっぽいから。本体通話もダメ、本体メールとかも、とどいてない。たぶん昨日の夕方には、壊れてたんじゃないかな」
彗の言葉に、優は驚いてそんなことがあるのか?と思った。イヤなタイミングで壊れるものだ!
「友里ちゃん、わたし、友里ちゃんにかわいいって言って貰うの、すきだよ」
かわいい友里ちゃんに、かわいいと言って貰えることが好きだから。とは言えず、優は片言みたいに言った。友里はへにゃりと眉を下げて「よかったあー嫌われちゃったかと思ったんだよお」といった。
夢の中での二人は抱き締めあって、そのままキスをしかけたけれど、現実では抱き着くぐらいだろう。しかし、家族の前だということに気付いて、優は友里に手をのばしかけてハタと固まった。友里はお構いなしに優の胸に飛び込んだ。ごろごろと猫のように懐いている。
優は真っ赤になりながら、背中に手を回せずにいた。
父親はコーヒーを、彗はパンを、母は野菜スープをもくもくと食べている。
シュールな朝だったが優は幸せだった。友里と一緒にゆっくり登校がしたくて、朝練は遅刻した。
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