番外編② 二者面談:駒井優

 駒井優が教室のドアを、ノックした。

「はいよ、どーぞ」

「失礼します。」

 駒井優はお辞儀をして、ドアを閉めると林先生に促されて椅子に腰を掛けた。所作が美しく、林先生はいつものように「うちの日本舞踊のサークルに入らない?学区外だけど」と言った。

「毎日忙しくて、そちらにお伺いできる日がありませんよ」と駒井優はいつものように断った。確かに、高校で一番忙しい文化部である吹奏楽部のリーダー的存在で、企業の水泳クラブにも入ってる。開いている日は本屋でのアルバイトをしているのだろう、きちんと申請も出ている。学業は優秀、「いつねてるの?」と冗談交じりに言うと、ふわりとほほ笑まれて、林先生は(うわ~魔性~~~~!何年かに一度現れるのよ、中性的な美人な子ってこれだから!)と少しだけ困ったような気持ちで銀縁眼鏡の位置を合わせた。


「進学、でいいんだよね。医学部はうちの県にも優秀な所があるし、そのまま就職も親元を離れなくてできるけど、東京でいいの?」

「父と兄達が卒業した大学なので……いま、2つ上の兄も通ってます、うまくいけば在学が被りますから、住む場所も一緒に出来るので……」


「そっか、お兄様は三人いらっしゃるんだっけ?お友達と離れることになると、寂しいわね」

「そうですね、兄達ともその辺りの相談をよくします。一番上の兄はいつも「大丈夫だ、友達は何年離れてようと逢えば昨日別れた姿のままだ」と言いますけど、二番目は「一週間あわなければ他人」と言いますし、三番目に至っては「友達はいないと思え」と言いますから、その辺は少し心配してしまいます」

「そっかそっか」

(3人目の兄になにがあったのよ)と林先生は思った。

 駒井優にとっては、このままの頑張りで充分合格圏内だろう、受験の日によほどのなにかが起こらない限り、このまま希望通り医者になっていくと思った。女性な所がネックになるぐらいで、吹奏楽部の顧問から聞いている通り、体力はありそうだし、家族で決定していることに本人もキチンと結果を出している。一教師である自分が、何か言えることは他にないな、と思った林先生は、「それではそちらの方向でサポートしていきますね」とこれから受験前に、必ず受けなければいけないテストの日程などをまとめた資料や学部案内や、先に進路相談表に書いてあったため取りそろえることができた論文や、取れる奨学金の種類などをまとめたものを封筒に入れて、優に手渡した。

「じゃあ他に困ってることとか、質問はありますか?」

 15分の持ち時間の中、まだ10分あまっていたので、いつも通り聞いてみた。普通科の二年生なら、まだまだ受験の意識のない5月、「ないです」と言われて次の子の資料のホチキス止めなどをする時間に当てることが多い。が、進路相談表にびっしりと必要書類を書き加えてきた駒井優から、どんな質問が飛んでくるのか予想が出来ないこともあり、少しだけ身構えていた。


「かわいくなりたいんですが、今のままで可愛いと言ってくれる人がいて、どうしたらいいかな、って思います」


 思っていたのと違う方向からの球が飛んできて、林先生はカキンと固まった。

 まさかの恋愛相談……!

 そういうのは放課後、保健の先生が受けるものだと思っていたので、数学担当の林先生は、緊張で身じろぐこともできなかった。スウと息を吸う。ようやく動かせた体を、駒井優の方へ向けた。古文も苦手で恋の歌の意味が分からず「直接好きか嫌いか聞いてダメなら次でよくね??」と言っては丸暗記で100点を取っていたギャル時代を恨んだ。いや、今も日舞の唄に同じことを思っているので古文やっておけばよかったな~と毎週思うのだけれど。いっそ男踊りに替えるか、と思っていた。

「いや~…今のままでいいって言ってくれるなら、無理に変えなくてよくないかなあ、駒井の思う「かわいい」が相手の思う「かわいい」じゃなかったら、困るでしょう?」


 当たり障りのない発言、だと思う。つまりは「恋愛で自分を変える必要ないじゃん!」という意味なのだが、駒井が聞きたいのはそういうコトではないかもしれない、と背中にツツと汗が走った。しかしこのような中性的な美人でも、恋に悩むのか、相手は誰だろうと好奇心があることは事実だった。


「わたしが思うかわいい、は ちいさくて、ふわふわしてて…手にすっぽりと収まるような、それでいて芯が強くて、明るくて…はきはきとしている感じなんです。わたしはこのとおり、暗くて……思っている事……長文?が話せないんですよ、かわいいには程遠いです」


「国語の成績は、悪くないのにね」

「そうですね」


 くすりと、駒井優が笑ってくれて会話のキャッチボールは出来てるかなと、ひとごころつく。

 林先生は、駒井による”かわいい”の描写が具体的だったので、相手は駒井優よりも小さい相手なのだろうなと仮定した。(ふんふん、いいじゃんかわいいね、これは。相手は小型犬みたいなかんじなのかな~)林先生は猫派だ。

「駒井は犬派っぽいね、名前も狛犬っぽいし」

「動物は、なんでも好きですよ」

「……ごめん、忘れて」

 犬派猫派で盛り上がりそうになる三十路の悪い癖が出た、と顔を赤くした。

 こほんと咳払いをする。

「そうだね、でも、駒井の事わたしも、かわいい!って思ったよ」

「え」

「今の、好きな人の話してるところとか、すごい可愛い。普段冷静でキリッとしてるから余計に、恋してる!って感じがして。相手もそういうの敏感に感じて、かわいいって言ってくれるんじゃない?」


 駒井優は一度、言葉の意味をかみしめるようにうつむいて、それから、一瞬で顔が耳や首筋まで真っ赤になった。

「わたしの感情、相手に漏れ出てる…ってことでしょうか…恥ずかしい」

「しまった!片思いだった!?ごめん!」


 もう付き合ってる前提で(だってこんな美人が独り身なんて)話していた林先生は、心底謝った。片思いの相手に「かわいいかわいい」と言われるなんて、それは林先生なら(自分の事好きってことでしょ、ラクショー!)と恋人になってしまう状況だと思った。でもそれができずに片思いを募らせている人がいることも理解しているので、誠心誠意謝った。

「ごめん、ゆるして」

「……大丈夫です、落ち着きます……」

「お恥ずかしい」と言いながら大きな手で顔を仰ぐ姿は、恋する少女という雰囲気がして、なるほど、古来から唄に詩に詠まれるわけだわと思った。恋する人は美しく、その心は貴重で、心にとどめておきたい風景なんだろう……。


「告ればすぐだと思うから、本格的に受験シーズンになる前にお付き合いしておけばいいのに」

「すぐって……無理ですよ…、何年こじらせてるか、もうわからないのに……」

 いつもは色白で凛としている駒井優が、真っ赤な顔をして喘ぐ姿は何とも、魔性というか、こどもには全くときめかない林先生もうっかりしてしまう程の妖艶な空気に包まれていたのだが、

「ん?」


 駒井優には、仲良くしている幼馴染が一人いる、と同僚の松原先生がおっしゃってた。わりと暴走機関車で、吹奏楽部を相手取り孤軍奮闘、駒井優のクラスメイトとフレグランス合戦でドンパチ、なんて話をお酒の席でほんのり聞いていた。確か、商業科の荒井友里。

(つまり、相手はその幼馴染なのかな…)

 いや、高校生にとって10分が1時間である通り、年単位で片思いしていればそういうワードが出てきてもおかしくはない、駒井優は文武両道で、自身もある程度の自信があるだろうけど、思慮深い面がある、つまりは引っ込み思案なので、高校に入ってから出会った人の可能性だってあるけれど…でも、そうか、駒井の相手は──。


 ノックの音がした。

「せんせいー俺バイトあるから、困るんですけど~~」


 その声に、時計をみると、次の生徒の時間を少しだけ過ぎていた。「ごめんごめん」と大きな音を出して椅子から立ち上がった。

「わたしもすみません、失礼します」と駒井も慌ただしく、受け取った資料やカバンと一緒に出ていく。林先生は、去り際に駒井に何か声をかけたかったけれど、ぺこりと頭を下げて出ていく姿に片手で対応だけした。


(面談期間が終わったら松原先生と飲みに行きたいなあ)


 林先生は次の生徒のまだ真っ白で何も決まっていない進路表を見つめた後、笑顔で「一緒に迷っていこうな!」と声をだしながら、一人で抱えるのは面白すぎるから付き添いを作ろう、そうしよう、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る