桃子と五節句
川木
第1話 桃の節句
「昔さ、ひな人形を3月3日以降も片づけないと、行き遅れるって言われてたよね」
ひな祭りは五節句の一つだ。子供のお祭りと扱われがちだけど、元々は邪気を払うことが目的であり、年齢は関係ない。と言いはって折り紙でひな人形をつくり、ひなあられをつまみにモモのお酒を飲んでいた桃子(とうこ)はふと思い出してそう言った。
「え? 私それ知らない」
「ほんと? えー、地方性のある話だったのかな。まあとにかくね、だから早く片づけろってよく言われてたの。でも七段でしょ? めんどくさくていつも一週間は放置してたよね」
隣に座って一緒に飲んでいた菊花(きくか)は大した興味もなさそうにしている。普通に思い出したので軽く話題を振っただけだけど、菊花には通じない話題だったようだ。
「ふーん。でもそれ、本当なのかもね」
「ん?」
「だって、桃子には一生婚期はこないじゃない」
にっと、まるでいたずら小僧みたいな笑みを浮かべて言われた。一瞬意味が分からなくてきょとんとする。
桃子と菊花は肉体関係がある。現在の法律において同性は結婚できない。つまり、そう言う意味、なのだろうか?
「……それ、プロポーズ?」
「ふは。受ける。プロポーズ、されたいんだ? ははは」
恐る恐る尋ねると、予想外の反応だったようで笑われた。噴き出してお腹を押さえて爆笑だ。
かーっと体温があがる。だって、そうだと思うでしょ? 一生婚期がないと言うことは、一生結婚しないということで、つまり、結婚できない二人の関係が一生続くと言う意味ではないのか。
「じゃあ、どういう意味で言ったのよ!」
「ふふ。あー、おかしい。そんなの普通に、同性愛者だからでしょ」
今まで、結婚なんて考えたことがなかった。別に期待していたわけではない。この気まぐれな猫のような女が、一生なんて容易く誓ってくれるわけないし、強制しようなんて思っていない。
だけど笑って、湧き出た涙までぬぐいながら言う菊花を見ていると自分でも笑ってしまいそうになるほど、桃子は菊花が好きで一生傍にいたいと思っていたんだと思い知らされてしまった。
でもそんなの、言えるわけない。きっとそう言っても菊花は困ったりしないだろう。そんなに大好きなんだ。へー。なんて人ごとみたいにどうでもよさそうに相槌をうつんだ。
だけどそれはそれとして、同性愛者だから結婚できないと言うのは偏見なので訂正しておかないといけない。
「菊花、最近は女同士でもパートナー制度とかってできてるんだから、同性愛者だから結婚できないってのはおかしいでしょ」
「ふーん。なに、私とそれしたいの?」
「いや、そうじゃなくて、菊花とじゃなくても、女同士でも結婚できるって話で」
「は? 他の誰かと結婚するつもりなの?」
結婚したいと言ったって取り合わずににやにやするだけの癖に、ちょっとそんなニュアンスも読み取れなくない、くらいのレベルで菊花は急に眉を逆立てた。
菊花のそんな独占欲の強いところが好きで、胸にぐっとこみ上げる思いを抑えながらなんとか宥めようとそっと菊花の背中をなでる。
「そ、そんなこと言ってないでしょ。そうじゃなくて、あー……はいはい、一生結婚しません。これでいい?」
「ええ、いいわ。桃子は私のものなんだから、ずっと私の恋人でいるのよ」
「……」
ずっと、と言われた。いつも気まぐれで、約束事を嫌う気まぐれな桃子が、自分からずっとと言った。
その場のノリの口約束にすらならない冗談だ。わかっていて、それでも未来を感じさせるその物言いに、どうしようもなく嬉しくなる。
桃子と菊花が出会ったのは大学だった。たまたま授業で同じグループになったのをきっかけに知り合い、桃子が菊花を好きになった。中学時代に自覚してからずっと女の子しか好きにならなかったけど、応えてくれたのは菊花が初めてだった。
それから4年の付き合いだ。菊花は連絡もマメではなく、数カ月連絡が付かないこともあった。昨年社会人になってからはさらにすれ違って、さすがにもう無理なのかと泣いたこともあった。それでもその度、菊花は戻ってきてくれた。
かなうことなら、本当にずっと一緒にいたい。この関係をずっと続けたい。
「ちょっと、返事は?」
「ん、はいはい。わかったわかったから」
感動ですぐに返事ができなかった。でもきっと些細な気持ちで言っているだろうから、大げさに反応したらまたからかわれてしまう。
桃子はできるだけそっけなく、仕方ないなと言う態度で頷いて、菊花の髪をぽんぽんと撫でながら答えた。そんな桃子に菊花はにっこりと花が咲くように微笑んだ。
「よろしい。でも、ちょうどよかったわ。桃子の気持ちも確認できて。私もそろそろ言わないとって思っていたの」
「なに? どうかした?」
そしていつになくしおらしい物言いをする。ここまでの流れが流れだ。なにか、重要なことを言うのだろうか。だけどまさか、あれだけ否定されて結婚のお誘いを期待するほど馬鹿ではない。だけど何か、人生を左右するような大きなことである可能性はある。
手を下して姿勢を正して顔を正面から見て促す。菊花は少しだけ照れたようにはにかみながら言った。
「あのね、私、結婚しようと思っているの。今年中に式をする予定だから、出席してね」
「……え?」
笑顔でとんでもないことを言われた。だけど勘違いだってしようがない。友達として、菊花が誰か男と結婚する式に出席しろと、ついさっきずっと恋人でいろと言った口で言ったのだ。頭がついていかない。
「ちょ、ちょっと、待ってよ。え? わ、別れるってことなの?」
「何言ってるのよ、そんなこと言ってないでしょう?」
「だ、だって、え?」
ちょっと拗ねたように、自分の話がすぐ通じなかっただけで唇を尖らせる姿も、いつも通り愛らしくて大好きな菊花のままだ。だけど、何を言っているのかわからない。
「仕方ないでしょう? 桃子のことは好きだけど、結婚もできないし、子供もつくれないんだから。私、子供をつくりたいもの」
「……だから、それで別れるって言うなら、悲しいけど、わかるよ。でも、別れないって、それはどういうこと?」
「どうもこうも、そのままよ? 結婚はするけど、それはそれとして桃子は私のものだから、恋人でいてってこと」
「……不倫じゃん。同性でも不倫だし、法的にも違法なんだよ」
きょとんと、まるで童女のような無邪気さでとんでもないことを言う菊花に、今度ばかりはそうだね、その通りだね、と無条件で賛同してあげられない。
「大丈夫よ。相手は桃子って言う恋人がいることを知っているし、関係を続けていいって言っているもの」
「はぁ!? なに……本気で言ってるの?」
その後詳しく話を聞いても、菊花は百パーセント本気だった。菊花は同じ会社の先輩と結婚することになり、相手にちゃんと桃子と言う恋人がいてその関係を続けてもいいなら結婚してもいいと条件を付けたらしい。その相手は実は大学から同じで、ずっと好きだったしなんでも言うこと聞く。恋人も同性であるならば認める。と言ったらしい。
とんでもない話だ。確かに違法になるかどうかは、あくまででそのせいで結婚生活を続けられなくなるような不貞行為をしたかどうかだ。例えばそう言う性癖で夫婦二人ともが複数人と行為をしたとしても同意の上なのだから不貞行為とはならないだろう。
結婚相手が認めて、訴えないと言うなら恋人関係を続けることは不可能ではない。
だけどそれは、あまりにひどくないだろうか。菊花は結婚して子供を作って家庭を築いて誰にもはばかることなく幸せを享受するのに、桃子は誰にも言えず一人で孤独に暮らして恋人としてたまに会うだけの生活を送れと言うことだ。
菊花が結婚しなくても一緒に暮らさないなら同じ生活だったのかもしれない。だけど桃子が家に一人でいる時も、菊花は家族と過ごして、何よりそれは少なくとも菊花が他の男に抱かれていると言うことではないか。どうしてそこまで、みじめな思いをしないといけないんだ。
「あのね、菊花」
「子供ができたら、桃子に名前を付けてもらいたいの。それもいいって言ってもらっているから、安心してね。恋人の子供なら、あなたの子供も同然だけど、血はつながらないから、せめて名付け親にくらいなりたいでしょ?」
「……子供になんて説明する気なの」
さすがにそれはできないよ、と説明しようとしてもにこにこでさらにとんでもないことを言われてしまって、もう突っ込みが追いつかない。とりあえず、ありえないだろう。
両親納得の上だとして、愛人が子供の名前をつけるって。それはもう虐待に近い。
「別に、そこは普通に大親友だからってことでいいんじゃないかしら。もちろん育児も手伝ってね。お休みの日は毎日家にきてね」
「……」
めちゃくちゃだ。自分に都合のいいことばかり言っている。恋人じゃなくてもはや労働力あつかいで、都合のいい奴隷ではないか。さすがに夫も家にまで入ってこられるのは嫌だろう。
だけど、想像してしまった。菊花に似た可愛らしい子供を抱く菊花と、一緒にその世話をする自分を。子供なんて、自分が同性愛者だと気づいた時から諦めていた。
男に抱かれる自分なんて想像もできないから。だけど、好きな人が産んだ子供を抱くことはできるのだ。
「……さすがに、毎週は厳しいよ」
「何言ってるのよ。あなたの子でもあるんだから、週末くらいきて当たり前でしょうが」
どきっとした。子供。自分の子供? そんなありえない夢が、手に入る?
「何だか暗い顔してるわね、やっぱりショックだったの? 恋人のままでも」
「そりゃあ、そうでしょ。好きな相手が自分以外に抱かれるとか、耐えられないし。恋人を続けるのは無理だよ。でも、そうだね。子育ての協力くらいならいいよ」
都合よくつかわれるのだとしても、上っ面の関係なのだとしても、形だけでも自分が人の親として、好きな人の子供の親になれる。それは考えたこともないけれど、凄く魅力的に聞こえた。
今はまだ頭が混乱しているけど、菊花への思いもいつかは消化できるだろう。元々、どんなに好きでも一生関係を続けられないだろうと諦めの気持ちのある相手だったのだ。
好きな人の子供を自分の子供のように育てられると思えば、意外と、悪くないように思えた。その子の手が離れる様になってお役御免になってからまた恋をすればいい。
菊花のように自分勝手で自己中心的で我儘なことを当然の様に言う子が他にいるわけがないのだから、こんな機会はきっともう二度とない。だったら、いいのではないだろうか。
「もう、抱かれるとか、生々しいこと言わないでよ。一番好きなのはあなたなんだし。相手はあくまで子供を作って家庭をもつ相手であって、恋人は桃子しかいないわ。嫉妬しないの」
諦めてとても都合のいい存在として協力すると言っているのに、それでも不満なようで菊花は子供のように頬を膨らませる。そのかわいらしさに、こんな話をされても全然好きで、恋人でいられなくなると思うと胸が苦しかった。
それでもこれからも交友関係を続けて子供の世話をするなら、恋人でいることはできない。
「あのね、じゃあその夫さんが他の女性としたり、私が他の人としてもいいと思ってる?」
「もちろん、ありえないわ。桃子は私のものなんだから。付き合う時に言ったじゃない。私のものになるって」
「それは、そうだけど……」
告白した時、菊花の事だけを見て、菊花だけのものになるなら恋人になる。と返事をされたのだ。それからなんでも言うことを聞いてきた。どんな我儘も可愛いと思えたし、さすがに人生の岐路のような大事なところではちゃんと自重もしてくれたから、全部受け入れられた。
一方的に尽くす関係だったのは確かだ。それでも、思いは同じだと思っていたのに。
「そうだけど? 生意気に、口答えするつもり? いいわ、じゃあ、私と恋人をやめるだなんてこと言えないようにしてあげる。シャワーを浴びましょう。ちょっと久しぶりだものね」
「ちょっと、やめようって」
「駄目よ。だいたい、桃子が私を愛さないでいられるはずないでしょう? 恋人をやめてただの友人として、子供の親になれるわけないでしょう? 親になりたいなら、ちゃんと私を愛さないと駄目よ」
「……」
めちゃくちゃだ。好きな人の子育てに協力して、仮でも親の気分を味わえるなら、と菊花が結婚する現実を、別れないといけない悲しみを受け入れようとしているのに、その為に不倫関係として、いわば愛人でいろなんて。どういう脅し文句なのだ。
だけどわかっていた。とんでもないし、普通に嫌だと思っているけど、結局菊花には逆らえないことを。
とても単純な話だ。桃子は菊花が好きだから、逆らえないのだ。きっと夫のOKがないのだとして、こっそり付き合ってと言われていたのだとして、結局最後は同じだったのだろう。
大好きな菊花が言うなら、地獄であっても喜んで行くしかないのだ。
桃子は菊花に手を引かれるまま立ち上がった。言われたとおりにするために。
○
次回更新は五月五日です。
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