おれは、コンタクト男子

【KAC1二刀流】

 人生には罠がいくつかあって。たとえば到底手の届かないところから糸が垂らされたりなんかもする。


 ほんとうに、ふいに。


「ねぇ、しないの?」


 などと、両の拳を頬に付け、隣席の他人、大前美咲は繰り返した。

 唇をつんと尖らせたまま、おれの目を見て続ける。


「うーん、うん。いいと思うんだよね。きっと。ね、やってみなよ。案外、良すぎてそれしか出来なくなって、病みつきになっちゃうかもしれないよ? 眼鏡」


 大前は一息にそう言い、ぱちぱちっと瞬きをした。水がたっぷり入っていそうな豊満な涙袋が、かすかに揺れる。付け足したような語尾の単語がなければ、聞く者に誤解されそうな言い方だった。


「あはは。いまの前半、あらぬ誤解を産むんじゃない? それともそっちの意味でとっていいとかなの?(語尾は少し意地悪く)」


 ……なんてチャラっとした返しが偽陽キャのおれに出来るわけもなく、頭のなかにテロップよろしく流れた文字を払うように、一度目を瞑った。


「いや、昔はずっと眼鏡だったんだよ」


 目を開けて側頭部をぽりぽりと掻く。

 オタクだったんです。いまは辛うじて陽キャグループにいるけれど、実は中学時代は空気よりも存在が薄かったんです。いわゆる高校デビューなんです。

 とまでは言えなかったが。


「ふぅん。昔はずっと……昔かぁ」


 大前が大きな胡桃型の目を見開く。まじまじと見たことがなかったが、本当にくっきりとしていてこれぞスクールカーストのトップ層といった容貌をしている。なんというか猫に似ているな。


 うーん、と下唇に白くて細い指先をあてがっていた大前は再び唇を尖らせていた。どうやら何か悩んでいるようだ。

 指先が離れる。

 意を決したように大前はポケットからスマホを取り出した。高速で画面をスクロールしたあと「ん」と言っておれにみせてくる。


 そこには、ひとりの少女が映っていた。


 すとんとしたストレートの黒髪に同じく黒い縁の眼鏡をかけている。眼鏡は流行りの大きくて太いものではなく、メタルのスクエアだった。何の変哲も特徴もない。が、写真の少女には不思議と似合っている。


 じっと見ていてその奥の目にどうにも見覚えがあることに気がついた。

 この、巷に溢れているアーモンド・アイではなくて、胡桃の形に近しくも大きなこの目は――。


「お、大前か? これ」


 びっくりして声が裏返った。スマホをおれの方に突き出していた大前が、またも唇を尖らせて「そう」と口笛でも吹きそうな顔をする。

 恥ずかしそうな、或いは――おれの勘違いでなければ――ほっとしたようにも見える、好意的な表情だった。


「はまちは昔なんだよね。あたしのねこれは、いまなんだ。休日の、あたし」


 普段から呼ばれている濱田の苗字からついたあだ名が、なんだか今日は妙にドキドキする。


「へぇ。いいじゃん。すごく似合ってる」


 我ながら、緊張が丸わかりの声だと思った。


「ほんと?!!」


 だが、大前はぱあっと目を見開いて、おれに最大限の笑顔を向けた。

 まるで胡桃がぱきりと割れたんじゃないかというほどに見たことがない表情だった。

 

 綺麗だと、真っ直ぐに思った。


「もし、はまちさえ良ければさ、今度の土曜に一緒に眼鏡見に行かない?」


 そこまで言うと大前は、おれの耳元にそっと唇を近づけた。


「眼鏡、見繕わせて? あたし得意なんだ」


 人生には罠がいくつかある。それは断言できる。だって今おれは、その罠に自ら嵌りにいこうとしているのだから。そして案外、罠に嵌るのは良すぎてそれしか出来なくなっちゃうかもしれない。


 なんて。


 大前美咲は隣席の他人だ。でもその関係の一歩先を行きたいと、はじめて思った相手でもある。


 おれはできるだけ自然に見えるように頷きつつ、土曜日までに、映える私服を買わねば。と考えていた。


【了】

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