ビーバーの巣
真花
第1話
秘密ってのは唯の一人にも漏らしちゃいけない。人間は喋りたい生き物だ。どんなに口が固くても、いや、口が固いからこそ、極上の蜜である他人の秘密を暴露する瞬間を探し求める。一度口から放たれた秘密はそうやって生まれた隘路を通過して、その後はその秘密の非道さ、下種さ、を推進力に拡散される。そこでは、「本当は自分もしたいのに」と言う果たされない欲望が追い風に、どうしてその人は出来て自分が出来ないのかと言う内省を一切跳躍して、責める立場を心地よく提供する。自分が責める番だと思い込んでいる間の人間は高揚するし、根拠のない使命感を纏うし、自らが情報に踊らされているだけの愚者であることを忘れることが出来る。そして秘密を持つ側には決してなれない。人間を二分するなら、秘密を持てる人間と、持てない人間だ。
寝静まった街、自転車を走らせる。壊れかけの街灯の下を通過して、交差点で止まる。息が白くて、手袋をしても手が悴む。
信号が変わる、漕ぎ出す。
久美という相手があることだから、もし彼女が同じように秘密を守ってくれなかったら、同じ結末になる。でも、彼女もそんな、別れると言う結末を望んでないから、共犯でいることが出来る。そもそも、彼女が秘密を持てない側だったら、稔はリスクを預けたりしない。
アパートから少し離れた場所に自転車を置いて、玄関の前まで行く。電話をかける。
「着いた?」
「真ん前」
鍵が開く音、中からボサボサの頭の久美が迎える。ドアの内側に入って、やっと息が出来る。ここまでの道中ずっと、視線を避けながら来た。弛緩したら、部屋の中の暖かさが流れ込んで、胸から腹にかけてジュワッと溶ける。「荷物ここでいい?」「いいよ」稔はベッドに腰かける。久美はやや太っている。お世辞にも美人ではない、ビーバーに似ている。部屋の中は物が散乱している。どうまかり間違っても、彼女と生活をするのは御免だ。絶対に結婚するつもりはないし、連れて歩きたくもない。
「タバコ吸っていい?」
「いいよ」
稔のために用意された灰皿。ゴツゴツして、場違いに高級感がある。火をつけて、煙を吐いて、もっと緩む感覚、ここ以外で緩むことが出来ない。どうしてここだけなんだろう。
「仕事でね」
彼女が横から話し始める。久美の仕事はアパレル店員。
「超売れた」
「マジか」
「記録更新。嬉しいな」
「よかったな」
それだけ言って彼女は黙る。緊張感のない黙り方、足をぶらぶらさせて、待っているのは分かる、稔はタバコの火を消す。それを合図にセックスをする。しながら、もう一人とするときはもっと教科書通りな感じなのに、どうして久美とは獣のようになるのか考えて、いつの間にか没頭して忘れた。
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