異世界ぼっちENG
横山記央(きおう)
第1話 異世界召喚_1
「ぼっち様、おかわりはいかがでしょう」
「ぼっちではなく、暮槌(くれつち)です」
「申し訳ありません、ぼっちの暮槌様」
何度訂正しても悪びれない態度に、暮槌英司(くれつち えいじ)は、うんざりとため息をはいた。
英司の視線を浴びても、ポニーテールにしたマリアリアの青い髪の毛は、一筋も揺れない。申し訳ないとは、微塵も思っていないのだろう。それどころか「ぼっち」と、わざと口にしているように思えた。
ぼっちの意味を理解しているのだろうか。
「おかわりをお願いします」
「かしこまりました」
マリアリアは、英司の世話をするためにリグニール王国が用意したメイドだ。ぼっちの意味を知っている可能性はある。しかし、わざと口にする理由はなんだろうか。
カップを取り替えるすました横顔からは、何の感情も読み取れなかった。
英司がリグニール王国に召喚されてから、一時間が経っていた。
一人暮らしの部屋にいた英司は、眩しい光を感じた。次の瞬間、英司は別の場所にいた。石の壁に囲まれた広い空間だった。
「勇者の方々、ようこそ!」
戸惑う英司の耳に、張りのある男性の声が響いた。
「まずは落ち着いてください。それとご安心を。元の世界に戻ることはできます」
声の主は、あごひげを蓄えた四十前後の男だった。英司と同年代だ。背が高い。瞳は青く、髪は金色だ。彫りの深い顔立ちに笑顔を浮かべている。
「まさかの異世界召喚?」
「その通り。ご理解が早くてたすかります」
「マジか!」
横を向くと、興奮した様子の男子高校生がいた。見たことのある制服だ。
英司は、異世界召喚がどういうものか知っていた。もちろんフィクションとしてだ。そして、憧れてもいた。自分がもし、異世界転生や異世界召喚されたらと、妄想していた。
英司も一緒に騒ぎたかったが、我慢した。それは、その男子高校生の他に、二十代半ばくらいの男性と女性が一人ずついたからだ。
二人とも落ち着いた様子で周囲を確認している。どちらもスーツ姿だ。異世界召喚が何か知っているようには見えないが、騒ぎ立てたり、うろたえたりしていない。
それなのに、二人よりも年上の自分が騒ぎ立てるのは、かっこ悪いと思った。
「詳しいことは、このあとご説明いたします。申し遅れました、私は勇者召喚総括事務官の、ゼオルグと申します」
ゼオルグが頭を下げた。
「私は全体責任者となります。勇者として活動するなかで発生する個々の事案については、それぞれの担当者が対応いたします。そちらは順を追って説明と紹介をさせて頂きます。まだ状況が掴み切れていないため、疑問質問が多々あると思いますが、この後のチュートリアルを受けて頂く過程で、そのほとんどが解決できると考えています」
ゼオルグが英司たちをゆっくりと見渡す。
ゼオルグが発しているのは、明らかに異国語だった。しかし、英司には日本語として認識できていた。言語理解のスキルか特典があるのだろう。勇者召喚ものの定番通りだった。
「では、最初に、それぞれのお名前とジョブの確認を行います。確認は、こちらの女性、ケイエルが担当いたします」
ゼオルグの横に控えていた女性が前に歩み出た。
「皆様はじめまして。ケイエルと申します。勇者の皆様の事務手続きを担当いたします。それでは、『ステータス』と唱えてください」
ケイエルが説明し出すと、ゼオルグは部屋を出て行った。
部屋に残されたのは、ケイエルと、壁際に立つ数人の兵士たち。兵士はみな、剣と皮鎧を身につけている。
英司たちが召喚されたのは、四角錐の形をした部屋だった。天井はない。内側に傾斜した壁が頭上で合わさっている。それぞれの壁には、複雑な模様が描かれていた。
「おお、ステータスが出た!」
「笠寺我門(かさでら がもん)さん、17歳、爆炎の勇者様ですね」
ケイエルが我門のステータスを確認し、手元の用紙に書き込んでいく。
「棚橋琢磨(たなはし たくま)さん、25歳、聖樹の勇者様ですね」
「浜岡波音(はまおか はのん)さん、22歳、空滅の勇者様ですね」
社会人二人についても同様だった。
三人の前には、空中投影されたプロジェクトマッピングのような半透明の板が、空中に浮かび上がっていた。
ライトノベルの世界そのものの様子に、英司は自分のステータスを表示させることも忘れ、興奮して見入っていた。
「申し訳ありません。ステータス表示をお願いできますか」
「ステータス」
ケイエルに言われ、英司は慌てて唱えた。目の前にステータスウインドウが現れた。
「暮槌英司さん、42歳、……一流のぼっちENG? これは……」
ケイエルが困惑の表情を浮かべる。
英司のステータスのジョブ欄に表示されていたのは『一流ぼっちENG』だった。文字は異世界のものだが、何と書いてあるのかは理解できた。
ケイエルの「一流のぼっち」の言葉に、三人が反応する。琢磨と波音は社会人らしく、気遣いを見せているが、我門は吹き出しそうになるのをこらえていた。
「ジョブスキルを見せて頂いてもいいでしょうか」
英司がケイエルに言われるままウインドウのジョブに触れると、スキルが三つ表示された。
モデリング。
マシニング。
アッセンブリ。
英司にはなじみのある言葉だった。ケイエルには何のことかわからないようだ。
「いったんステータスを閉じて下さい。申し訳ありません、少々お待ち下さい」
不測の事態なのだろう。ケイエルは動揺した様子で部屋を出て行った。その後、戻ってきたケイエルに、英司は別室で待つように言われた。
別室は、窓のない部屋だった。二人の兵士とともに待っていると、しばらくして、メイドが一人入ってきた。
「ぼっち様、マリアリアと申します。お待ち頂くあいだ、お茶でもいかがでしょうか」
「ぼっちではありません」
「これは失礼しました。一流のぼっち様」
マリアリアが丁寧に頭を下げた。マリアリアに、ふざけていたり、バカにしている様子はなかった。
英司はその苗字である暮槌が『ぼっち』と読めることから、学生時代のあだ名はぼっちだった。
「ぼっち」
「ぼっち君」
学校ではよくそう呼ばれていた。そのあだ名の強烈さから、苗字の本当の読み方が『くれつち』だと知らず、本当に『ぼっち』という苗字だと思っている人もいたと思う。
しかし、マリアリアは、知っていながら英司をぼっち呼びしている気がしてならなかった。この世界にもぼっちという言葉が存在しているのだろうか。
二杯目のおかわりになるお茶を飲み終えても、新たに部屋を訪れる者はいなかった。
英司は、自分が召喚に巻き込まれた一般人だと考えていた。
これもまた、勇者召喚の定番の一つだ。それに習うなら、このあと勇者認定されずに無能者として追放されるだろう。
その後、英司のスキルがチートスキルで、追放した国に対しざまあ無双して、ハーレムを築く展開になるといいなと妄想していた。
とくに、青髪メイドで連れない態度のマリアリアは、物語なら確実にハーレム要員だ。
と、ここまで妄想して、むなしくなった。
物語の主人公たちはみな若い。英司は今年で42歳。数えなら43歳後厄の年だ。いまさらハーレムなど、妄想の中でしか成立できない。せめてあと10歳若ければと、思った。
「たいへんお待たせして申し訳ございません」
ゼオルグとケイエルがやってきた。
勇者召喚総括事務官と事務手続きの担当者が揃ってやってきたということは、英司の処遇が決まったのだろう。
やはり追放だろうか。考えないようにしてきたが、最悪処刑もあり得る。
「残念ながら、暮槌様は、勇者ではありません。よって、私の管轄外となってしまいます。一方的に召喚しておいて、誠に心苦しいのですが、別の者に担当を引き継ぐことになりました」
ゼオルグが精一杯申し訳なさそうな顔で頭を下げた。隣のケイエルもそれに続く。
「引き継ぎにあたって、暮槌様のジョブ、ぼっちENGについて再度スキルの確認をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「……スキルの確認ですか。それは、勇者様ではない役立たずだから、追放、もしくは処刑するってことでしょうか」
英司の言葉に二人は顔を引きつらせた。
「いえいえいえ、違います! そのようなことはいたしません。誤解を与えてしまったようで、申し訳ありません。暮槌様の今後については、勇者様と違い、元の世界へ戻ることができないため、私どもリグニール王国でお世話させて頂きたいと考えております。ただ、そちらについては私が担当することができないのと、スキルの種類によって、どの部署が担当するのかが変わるものですから、確認させて頂ければと、いうことです」
「元の世界に戻れない……というか、勇者は戻れるんですか?」
「ええ、勇者様なら、ステータスの中にあるログアウトメニューで、いつでも帰ることができるのですが、勇者特典となっているため、暮槌様にはお使い頂くことができません。そのため、こちらの世界で暮らしていくことになります。たいへん申し訳ありません」
ゼオルグとケイエルは、不祥事を起こした会社の謝罪会見のように、再び深く頭を下げた。その慌てふためく様子は、嘘を言っているようには見えなかった。
改めて説明を求めると、勇者はログアウトできるが、それ以外のジョブは、できないとのことだった。念のため英司はステータスウインドウを開いた。右上のメニューを開くとログアウトの項目がある。しかし、それはグレー表示されていた。触っても何の反応もなかった。
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