未来問答

すでおに

未来問答

 帰宅した我が家のリビングでは、息子のひろしがテーブルの上に原稿用紙を広げていた。


「宿題か?」

 向かい合わせに座って訊ねた恭平きょうへいに、博は頬杖を突いたまま「そうだよ」と答えたものの原稿用紙はまっさら。浮かない顔はアイデアに苦心しているせいか。


「作文か。テーマは?」

 小学生時代は何度も書いたはずの作文も内容はすっかり消え去っている。


「未来の自分」

 そういうと頬杖を解き腕組みをした。こまっしゃくれた息子の仕草にこみ上げた笑みを隠すようにネクタイを外して胸のポケットに仕舞った。


「将来なりたいものとか?」

 キッチンからカレーの匂いが流れてくる。夕飯にはもう少し時間がある。


「どうなってるかとか、どうなりたいかとかとか、とにかく未来について」


 そういえば、しばらく将来の話を聞いていなかった。幼い頃は電車の運転手になりたいと言っていた。小学5年になれば変化があったかもしれない。


「お父さんが子供の頃は、リニアモーターカーが『未来の乗り物』って持て囃されてたんだ。いまだに『未来の乗り物』のままだけどな」

 子供の頃に描いた未来というと真っ先にこれが浮かぶが、いまなお実用化されていない。ちょっとしたあるあるネタのつもりも息子にはウケなかった。


「お父さんは子供の頃なりたいものとかあった?」


「野球選手かなぁ」

 そう答えたものの、周りに合わせていただけで、強く思っていたわけではなかった。サラリーマンの現状に不満もない。

「博は何になりたいんだ?」


「まだ決めてない」と即答したのは、裏返しにも受け取れた。心にあっても父親に教えるのは恥ずかしい。そういう年頃だ。


「僕が大人になった頃には、タイムマシーンって出来てると思う?」

 リニアモーターカーが呼び水になったのか、息子に質問された。


 いま現在、影も形もないのだから10年20年でどうにかなるはずもないが、タイムマシーンは昔から変わらない夢の発明で、恭平も子供の頃は空想を楽しんだものだった。


「まあ難しいな。タイムマシーンは色々難問があるからな」


「やっぱそう思う?」

 子供なりに思うことがあるらしい。


「もし時間を移動する技術が発明されたとしても、そこから実用化にこぎつけるのはかなり厳しい。世界中巻き込んだ大論争になるだろうしな」


「どういうこと?」


「なんでもそうだけど、技術は一気に進化しないもんなんだ。人間が子供から大人になるみたいに、電車だって最初から今の形だったわけじゃない。SL知ってるだろう?初めは色々欠点があって、少しずつ改良していくんもんなんだよ」


「SLはトンネルに入る時、窓を開けたままだと煙のすすで顔が真っ黒になったんでしょ?」

 電車好きだけあってその手の知識がある。


「そういうのと同じで、タイムマシーンが発明されたとしてもたぶん最初から何百年も昔とか未来に行けるようにはならない。最初は数時間とか数日とかせいぜいそれぐらいからスタートするわけだ」


 納得した顔を見せた。理解できているようだ。


「だけどタイムマシーンには電車とか飛行機とかとは違う問題があるんだ。もし過去に行って悪戯をしたら未来が変わってしまうかもしれない。例えば博が過去に行って、お父さんとお母さんの結婚を邪魔したらどうなる?博は生まれてこなくなるかもしれない。そうしたらその瞬間博はどうなると思う?」

 そう言って振り返ると妻の背中が見えた。こっちの会話を気にしている様子はない。


「いなくなっちゃうんじゃないの?」


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どうなるか誰にも分からない。だけどおかしくなる可能性もある。邪馬台国の卑弥呼に会いに行ったら歴史が狂ってしまうかもしれない。タイムマシーンにはそういうおぼろげな部分があるんだ。だからきっとタイムマシーンの技術が発明された時点で世界中で議論が起こる。こういうことを野放しにしていいのかって。悪い奴が悪いことに使って世界をめちゃくちゃにしてしまうかもしれない。それでいいのかってな」


「でも戦争で死んだ人を救うことができるかもしれないよ」


「戦争をなくしてしまったら、タイムマシーンの技術もできなかったかもしれないだろう。本当に何がどうなるか誰にも分からなんだよ」


「パンドラの箱っていうやつ?」


「よく知ってるな。そういうことだ。歴史がこんがらがってしまうかもしれない。タイムマシーンは危険なものでもあるんだよ」


「そっか」と漏らして博は空白の原稿用紙に視線を落とした。


 キッチンの炊飯器が鳴った。夕飯まであと10分ほど。


「でも未来は医学が進歩して、今の時代では助からない命を救えるようになるよね?」と言った口元にうっすらとひげが生えている。子供の成長は嬉しい反面寂しくもある。


「たしかに今は不治の病だけど、未来は助かる命はたくさんあるだろうな」


「あと何年か何十年かしたら、どんな病気も簡単に治せる薬ができるかな」


「それは難しいなぁ」


「昔は人間の寿命って50年ぐらいだったんでしょ。いまは100歳まで生きてる人もたくさんいる。医学は凄く進歩してるって聞いたよ」


「病気が治るのはいいけど、あんまり簡単に治っちゃうとそれはそれで困る人がいるんだよ」


「そんな人いる?」


「お医者さんだよ」


「お医者さん?」と顔に困惑を浮かべた。


「病気が簡単に治っちゃったら誰も病院に来なくなるだろう。そうしたらお医者さんの仕事がなくなっちゃう。せっかく一生懸命勉強して医者になったのに」


「でもそういう薬を開発しようとする人もいるんじゃないの?」


「薬をつくる会社だって簡単に病気が治ったら他の薬が売れなくなっちゃうだろう。世の中は色々とバランスをとるようにできてるんだよ」


「じゃあ虫歯がすぐに治る薬とかも?」


「世の中に出回る可能性は低いな」


 博は背もたれに身体を預けて頭の後ろで手を組んだ。その表情には落胆よりも思案の色が窺えた。


「じゃあどこでもドアは?発明されない?」

 次に息子の口を突いて出たのは、タイムマシーンと並ぶ定番の未来アイテムだった。


「ワープできるようになるかってことか?」


「そういう機械はできると思う?」


「それも厳しいな」

 と答えてやると口元に笑みが浮かんだ。夢を潰してしまわないか不安だったがむしろ未来問答を面白がっているようだ。

「どうして?」


「ワープできるようになったらクルマが売れなくなる。自動車メーカーは世界中で大きな影響力を持ってるんだ。だからもしそういうものがつくられたとしても実用化のハードルは高いな」


「じゃあ頭が良くなる薬は?飲んだら誰でも天才になれるような」


「それも無理だろうな」


「やっぱり」と声を上げた息子としばし笑いあった。「無理ばっかりじゃん」


「みんなの頭が良くなっちゃったら為政者が困るからな」


「イセイシャ?」


「政治家とか偉い人のことだよ。偉い人にとっては、頭の悪い人間が一番コントロールしやすいんだ。知恵のある人間ほど扱いにくいものなんだよ」


「そういうもんかな」


「例えば『私は絶対に詐欺には遭いません』という人と『もしかしたら詐欺に遭ってしまうかもしれない』という人、用心深いのはどっち?」


「遭ってしまうかもしれない方」


「そうだろう。無防備な人間は危険なんだ。『私はマスコミなんて信用していません』という人は自覚がないだけ。そういう人に限って懐疑心もろくに持たず、有名人のゴシップを鵜呑みにしている。自覚できないのが洗脳だから、自分は洗脳されていない、と思うより、洗脳されているかもしれない、何に洗脳されているのかな、と心に留めておいておいた方がいいんだよ。そうじゃないと誰かの都合のいいように利用されるだけだ」


 そこへ「できたわよ」と妻が盛りつけた皿を運んできた。


 博は畳んだ原稿用紙を汚さないよう足元に置いてカレーライスを頬張った。

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