ヤランでいちばん、井戸のさかな亭

篠原 鈴音

砂漠シシの煮込み

「井戸のさかな亭」はスーリオ領の海側、港町ヤランにある。

 ヤランはかなり立地のいい場所にあって、西は内海、北から東にかけては町を抱くように大きな森がある。森の中にも一応道はあるが、南側の平地から北上してくるのが一般的だ。

 だから食材は海も山も、少し南下すれば畑のものだって手に入る。海を越えてきた香辛料まで取り揃えられるヤランは、国の中でも有数の飲食店激戦地だった。


 ヤランは他国との玄関口ということもあって多くの宿や料理店がひしめき合っているが、その中でも「井戸のさかな亭」がいちばんだ、とカウルスは思っている。

 価格は普通だが味が抜群にいいとくれば、そりゃあ誰でも一度は来てみよう、という気になるものだ。まして実際に食して、その味のとりこになったなら尚更で。


「今日はまたずいぶんと混んでんなァ」


「あっ、いらっしゃいカウルスさん!」


 カウルスが「井戸のさかな亭」におとなうのは、いつもお昼の時間よりも前だ。

 扉をくぐれば、少し色あせたオレンジ色の布を頭に巻いた少女がぱっと笑顔を浮かべる。


「よう、リッタ。席はあるか?」


「だいじょぶです、そろそろだろうと思ってとっといてありますから!

 アマネさーん!」


「さすが、気が利くねえ」


 カウルスがくっくと喉で笑う。

 アマネと呼ばれた、リッタよりももう少し年上の女性が、人混みを上手にすり抜けてカウルスのもとへとやってきた。

 彼女は雇われの給仕だ。人的な金銭負担が発生しない家族経営がほとんどの中、雇わなければ経営が回らないほどの人気店だ、という証でもある。


 ……いつ見ても、アマネの細腕で何枚も皿を重ねて運ぶ業は見事だ。力はあるがあまり器用でないカウルスならば、皿を何枚も割っていることだろう。


「アマネさん、カウルスさん案内お願いします!

 わたし厨房に入りますから!」


「やだ、もうそんな時間? 急いで準備しなくちゃ……

 あっごめんなさいカウルスさん! すぐお席までご案内するわね!」


 アマネに先導されて、カウルスは人混みを進んでいく。

 彼女はすらりと細いから人混みだって難なく泳いで行けるのだろうけれど、あいにくカウルスは結構ごつい。迷宮の中では自慢の筋肉だって、こんな時ばかりは少しだけ邪魔に思えた。

 人の海を何とかかき分けて、カウンターへたどり着く。


「ところで、どうしたんだ今日は。いやに混んでるじゃねえか」


「それが、南からの荷が滞ってたのよ。大きな砂漠シシが平地に紛れ込んできてたの。

 討伐できたのがほんとうにちょっと前だから、荷を止められていたいくつかの店は、開店準備に大忙しってわけ」


 砂漠シシは、文字通り砂漠に住むシシだ。森や平地に住むような通常のシシよりも大柄で、皮も硬いためやわな剣では傷一つ付けられない。

 おまけに牙も生えていて、そんな奴がまっすぐ猛進してくるのだから、しっかりと対処できる者でなければ結構怖い魔物である。

 ちなみに皮革は軽い割に硬く、軽防具を求めるものには人気の素材だ。


「お昼の時間帯で店を開けられないところもあるかもしれないわね」


「へえ……そういや俺たちの間じゃ皮は有名だが、食材としての話は聞いたことねぇな」


「砂漠の人達はあまり食べないらしいわ。というか、そもそもあまり肉自体を食べないらしいけど。

 ところで今日のおすすめ、砂漠シシの煮込みよ」


「作ってんのは?」


「リッタ。勧めてるのは店長よ。

 ご一緒にパンとエールはいかが?」


「じゃ、パンもセットで」


「ええ。リッタ、砂漠煮込みセットひとつ!」


「はーい! すぐ出せるわ、ちょっと待ってて!」


 オレンジ色の元気な少女の名を出され、即決する。


 ここでいう“店長”とはリッタの父親のことで、カウンターの向こうの厨房で忙しなく動き回っている男のことだ。

 料理全般はいままでほとんど彼ひとりで作っていたが、最近になってリッタが手伝いに厨房に入るようになった、らしい。

 あいにくカウルスはリッタが厨房に入って以降しか知らないので。


 ちなみに母親は、注文の処理がおそろしく上手い。

 その様たるや、今も忙殺されかねないほどの数の客を見事にさばき切っていることからも見て取れる。


「お待たせしましたー! 砂漠シシの煮込み、おひとつでーす!」


 元気な声とともにパン、エール、それに煮込みの深皿が出される。


 濃い目の茶色は、さかな亭特製の煮込み用ソースか。

 ソースの海の中のあちこちで、四角く大きめに切られた砂漠シシの肉が、いくつも顔をのぞかせている。

 いろどりのためか、端にちょこんと乗せられたオレンジと緑が目にもあざやかだ。


「相変わらずどれ頼んでも美味そうだな。んじゃ、食ってみるか」


 ソースとシシ肉を、すくってひと口。養殖場のものと違い独特な癖のあるシシ肉が、甘めのソースとよく合っていた。

 肉はやわらかいのに噛み応えがあるという不思議な食感で、これには腹にたまる食べ物が好みなカウルスもにっこり。


「砂漠のシシってすっごい硬かったのよ。筋をぜーんぶ切ってもまだ硬くって!

 だから私イラっとして、シシ肉を煮込んでた鍋の中をぎゅうっとしたの。そしたらそんな不思議な食感になって!」


 リッタの話を聞きながら、甘さに飽きた口の中に緑色とエールを放り込む。

 野菜とエールの苦味が口の中をさっぱりと洗い流してくれて、これならいくらでも食べられてしまいそうだ。

 今度はパンにソースと肉を乗せながら、カウルスは問う。


「そりゃなんだ、また魔法でも使ったのか?」


「そうよ。風があるでしょ? それをこう……ぎゅうっと。

 教えてくれた人は、何て言ったかな……くうかん魔法、って言ってたけど」


「そりゃ豪勢だな!」


 カウルスは大口を開けて笑った。


 魔法を使えない、という人はまずいない。

 が、爪の先に火をともす、そよ風を吹かせる、というのが大半だ。実用レベルで使える人間は案外少ない。

 そして、リッタはそのうちの一人だ。魔法を教える上級学校にも誘われたと聞く。

 が、学校で習う中に料理がない、と聞いて即座に勧誘を蹴ったらしい(この話を聞いたとき、大いに酔っぱらっていたのもあって、カウルスは涙が出るほど笑い転げた)。

 まともな魔法を使えるのは、ほとんどが血統の良い坊ちゃん嬢ちゃんたちなのだから、学校で料理を習えなくても当然ではある。だってそんな面倒なもの、雇った者にやらせればいいのだから。


「砂漠シシって臭みも強いし筋張ってるけど、手をかけてやればおいしくなるのね。

 どんな料理も最後には手間だわ、手間!」


「俺ァそんな手間、面倒だと思っちまうがね。

 こうして店に食いに来るほうが、確実にうまいもんも食えるし」


「そう、面倒で手間なの。それでもまた料理したいと思っちゃうの、不思議よね」


「そりゃ才能っていうんだ。

 リッタは料理の才能があるんだな」


 少女はおおきな目をぱちくり、と瞬かせる。


「才能? わたしの?

 みんな、わたしの才能は魔法っていうけど」


「おまえが魔法が好きだってんなら、その魔法も贈り物ギフトだろうけどな。

 面倒なのにやれちまうのも、ずっと好きでい続けるのも、けっこう難しいもんだぜ。

 どんなことがあっても止めねェ、止められねェ、止めたくねェって気持ちは、まあ、分かるしな」


「カウルスさんの迷宮潜りみたいに?」


「おうともよ」


 迷宮の中は、実力と才能が顕著に現れる。それこそ無慈悲なほどに。


 カウルスは他所の町の出身だ。高名な冒険者を夢見てヤランを訪ねたが、一握りの冒険者にはなれなかった。

 それでも中堅どころとして町になくてはならない存在のパーティに在籍できているし、どんなに危険でも止められない、止めたくないと思う。

 だって、冒険は楽しいのだから!


「それに冒険者になってなきゃリッタの、「井戸のさかな亭」の料理を食えなかったんだ。

 この店だけでも、冒険者になった価値はあったぜ」


「え、ほんと! えっへへへへ……」


 少女は照れたように笑った。

 と、窓の外から鐘の音が聞こえる。鐘ひとつ、町の者なら昼休憩の開始だが、カウルスには真逆の合図。


「そろそろ行くかな」


「はーい! ルッタ、お会計ー!」


「はいはーい」


 眠たそうな三白眼の少年が、人混みを縫ってやってくる。にっこにこなリッタを見て、少年――ルッタはしっし、と手を振った。

 あまり似ていない姉弟だ、と思う。仲は良いようだが。


「姉ちゃんはよ厨房もどれ。腹ペコの人波が押し寄せてくるぞ。

 急がねーと料理待たせることになる」


「あっそうだった。じゃあカウルスさん、気を付けてね!」


 厨房に引っ込んだオレンジ色を見送って、財布を取り出す。少年が弾き出した金額に、カウルスは片眉を跳ね上げた。


「ちょっと安くねェか?」


 姉のリッタが料理と魔法に強いように、弟のルッタはとても頭が良い。特に数字に強いようで、精算を始め帳簿や在庫管理なども手伝っているらしい。

 そんなルッタが、数字を間違えるとは思えない。


 怪訝そうなカウルスに、ルッタは口の端を上げた。


「エール分オマケ。アンタの声ってよく通るから、俺んとこにも聞こえてきた」


「そりゃいい、毎回この店をおだてなきゃな!」


「そんなことしなくていいから。それより日を跨いで潜るんじゃなきゃ、夕飯もうちを選んでよ、常連さん。

 砂漠シシの煮込み、臭いって先入観が強いみたいでさ。夜まで余ってそうなんだ。

 あ、あと、他の客も連れてきてよ。エールは飲み切らないくらいたんまり在庫があるし」


 笑うルッタに、カウルスはごくりと喉を鳴らす。昼だから、このあとまた迷宮に潜るから控えめにしたが、砂漠シシの煮込みにエールはものすごく合うのだ。

 腹いっぱいのはずなのに、もう腹が減ってきた気がする。


「今日は浅い階層を潜るから、日は跨がねェよ。

 お、アマネ、ちょうどいいところに。鐘7つか8つくらいの頃に来るから、席を頼むぜ」


「えっ、あ、はい! 行ってらっしゃいませ、カウルスさん!」


「毎度ありぃ。今後ともごひいきに~」


 気の抜けるような調子の声に見送られて、カウルスは「井戸のさかな亭」を出る。

 まだまだ日差しの高い時間帯の外は、迷宮の中とは明度が大違いだ。


「夜は、オルヴォと……コリーも連れてくるか。あいつらは勧めりゃ食うだろ」


 先入観を捨ててシシを食べてくれそうな幾人かを思い出しながら、カウルスの足は人混みの流れに逆らってパーティメンバーとの待ち合わせ場所へ向かう。

 足取りは少しだけ軽い。


 「井戸のさかな亭」。ヤランでいちばん美味い料理店。

 砂漠シシの安定供給は難しいだろうが、うまくいけば新たなメニューがあの店の定番に加わるかもしれない。

 その日を楽しみにしつつ、カウルスは町を歩いていった。

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ヤランでいちばん、井戸のさかな亭 篠原 鈴音 @rinbell_grassfield

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