第14話 バグ対応
その日は、少しだけ早く出社した。
大した理由は無い。
なんとなく、あるいは少しだけ早く目が覚めたから、というようなどうでもいい理由。
単なる〝気分転換〟みたいなものだ。
朝の空気は冷たく、素肌を撫でる風は冬の訪れを告げている。
それでも服の効果か、身体の芯から冷えるようなことはない。
毎年この時期は厚着をして、出掛けていたのを思い出して、少し懐かしくなった。
「あ、雨宮くんおはよー。今日早いね、どしたの?」
「いや、特に理由は無いですよ。昨日は大分早く寝ちゃったので」
神祇部に着くと、既にアスカが居た。
他にはまだ、出社している同僚はいない。
彼女はデスクに向かい、今日の仕事の振り分けを考えていたようだ。
「たまにあるんですよ、早く起きちゃって寝れなくなること」
「あー、分かるー。睡眠時間短いのに目冴えちゃって寝れない奴。昼間眠くなるから困るよね」
たわいも無い雑談をしながら、自分もデスクに向かい、ぐっと背を伸ばす。
そんな時――
「あぁぁぁぁぁ!! ヤバいっス! ヤバいっス!! 助けて欲しいっスぅぅぅ!」
まるで扉をぶち破るばかりの勢いで、彼女は訪れた。
―――――― ◆ ◇ ◆ ――――――
「メイちゃん!? どしたの、そんな――」
「うわぁぁぁぁぁん! アスカちゃん! 雨宮さぁぁぁん!」
突然、扉が開かれ駆け込んできたのは、創造部のメイだった。
普段はあっけらかんとした雰囲気の人、だったはずなのだが。
黒いタンクトップと、半分脱いだツナギという、少し目のやり場に困る服装は変わらずに、今日は鼻水を垂らし、アスカに抱きついてわんわんと泣きわめいている。
「と、とりあえず落ち着こ? あ、雨宮くん、冷蔵庫からお茶出して」
「は、はい」
抱きかかえられて動けないアスカに言われ、冷蔵庫で冷やされているお茶を取り出して。
大きめのマグカップになみなみと注いで持って行くと、メイは一気にそれを飲み干した。
「……っぷはー、落ち着いたっス」
先ほどまでとは一転して、メイの感情は落ち着いたようだった。
……まだ鼻水は垂れているが。
アスカが彼女を、ひとまず空いた席に座らせて向き直り、ハンカチでその顔を拭き回している。
とりあえず自分も、椅子を近くに引きずって、話を聞く体制を取った。
名指しで呼ばれちゃったし、横で素知らぬ振りをするというのも、気まずいし。
「とりあえず、何があったか教えて? またアホみたいな発注来たの?」
「いや、そんなじゃ無いっス。……〝バグ〟っス、リコール案件っス」
「〝バグ〟?」
――バグ。
不具合、想定された仕様とは乖離した挙動をする何か。
発生要件は様々あるが、大概はヒューマンエラーか仕様設計段階で起こるエラー。
聞き慣れた言葉に、少し苦々しい気持ちになった。割と苦労させられてきた、その象徴たる言葉だ。
「こないだ発注が来た剣なんスけど……ちょーっと調整ミスって……」
「……何も斬れない〝なまくら〟になったっス、ほんとに紙1枚斬れないぼんくらのなまくらっス!」
「これじゃ〝斬鉄剣〟じゃなくって〝残念剣〟っス!!」
残念剣って。まあ確かに効果は残念の一言だが。
メイの仕事は、概念の創造と付与。本来なら〝この剣に斬れぬものはない〟等と付けるつもりだったのだろう。
それをどう間違えたのか〝この剣で斬れるものはない〟なんて付けてしまったと見える。
つまるところ、彼女はパラメータ調整を間違えたらしい。
「そりゃヤバいわ。……うーん、最近あった剣の発注っていうと……」
アスカが、キャビネットにしまってある書類ケースから、最近の発注依頼の写しを取りだして調べ始めた。
そういえば、自分も2~3日前に剣の発注依頼を通した覚えがある。
あれは確か――
ダンジョンマスターの神々から、ダンジョン来訪目的の追加という合同依頼。
本数が結構多く、量産担当の3課に回す必要がある為、急ぎの案件ってことでお願いしたような。
――そうなると、この状況における、最悪の事態……それは。
「ふーむ、なるほど。急ぎのダンジョン設置用の武器ってこと……は、もしかして――」
「仰る通り、3課への量産指示も通して、もうラインも動いてるっス! ウチは仕事が早いのがウリっス!」
アスカの予想と、こちらの想定はあっていた。
この事態が最悪かどうかを分けるのはただ1点、それが量産体制に乗ってしまっているかということ。
その、最悪の想定は、何処か自慢げにその大きな胸を叩くメイに、肯定されてしまった。
「……そりゃヤバいわ。ほんとにヤバい。残念の大安売りが出来るよ……」
げぇ。
アスカも同じように、うわぁ……という顔になる。
試作段階で分かったならまだどうにかなったが、もう製造ラインに乗っかってしまっているとなると、ラインを止めるしか方法はない。
3課の量産体制がどうなっているかについて詳しくは無いが、ラインが動いてしまってる場合、止めるにも相当な労力を必要とするはずだ。わんわん泣きながら走ってきたメイが、そこまでの労力を割いておけるとも思えない。
故に、対応を検討している今もなお……その不良品が量産され続けていることになる。
本来の発注品とは、全く違う、不良品こと〝残念剣〟が、今、この時も生まれ続けているのだ。
――これは、ヤバい。
廃棄するにせよ、再利用するにせよ、不良品の山を始末しなければならないという事態には変わりが無い。
「だからヤバいんっス! うわぁぁぁぁん! もうこの世の終わりっスぅぅぅ!!」
メイがまた泣き出してしまった。その気持ちは分かる。
彼女を慰めるように抱きかかえるアスカも、それとなく頭を抱えている。彼女にとっても、これは難問と言えるらしい。
それもそうだろう。納期が迫っている中での、大規模なバグは……対応策がなかなか見つからないものだ。
こういう時は一度、状況を観察し直すべきだ、という思考が働く。
〝かつて読んだ探偵物の小説〟……その主人公のように両手の指先をあわせ思考する。
改めて状況を観察。
第一に、今回の発注目的はダンジョンマスター達による、ダンジョンへ訪れる目的を増やすための物ということ。
第二に、仮定名〝残念剣〟なるバグアイテムが、無駄に量産されていること。これは現在進行中の状況だ。
第三に、本来のアイテム、仮定名〝斬鉄剣〟が量産体制に乗っていない、ということ。
以上が、現在判明している状況だ。
次に、展望を思考。
このまま放置していれば、外れアイテムの〝残念剣〟が規定本数に達するまで量産される。
加えて、当たりアイテムの〝斬鉄剣〟を当初の目的の本数まで量産するのに、時間が掛かる。
帰結としては、もう発注元に頭を下げ待って貰うしかない……、いや?
――あれ。もしかして、これは。
〝当たりアイテムと外れアイテムのどちらかを得られる
「……あの」
唐突な思いつきに過ぎない発想だが、言ってみる価値はあるだろう。
そっと手を上げ、口を開く。
「あ、雨宮くん。どうかした?」
「ひとつ、もしかしたら役に立たないかもしれないですけど……思いついたことがあって」
「な、何かあるっスか!?」
メイの瞳が、救いの主を求めるかのようにすがりついてきた。
そこまで、大した思いつきではない。
だからそんな目で見つめられると、少しばかり恥ずかしくなってしまう。
まあ、言い出した以上、最後まで言ってしまおう。
「……それ〝仕様〟にしちゃったら、どうかなーって……」
「確かその発注って、ダンジョンへ来る冒険者を増やすのが目的だったと思うんですが、〝ハズレ〟としてダンジョンに置いたら良いんじゃないかと」
「「ハズレ……?」」
二人が疑問符を浮かべながら、こちらに視線を送る。
それに回答を示すように、説明を続けた。
「例えば、冒険者がその剣を求めてダンジョンに潜るんだとしたら……その剣に価値がある、って分かってのことですよね」
「だから、本物は数回に1本置くことにして、それ以外はその残念剣でかさ増しして、何度も来て貰おうという訳です」
「一部の骨董好きの目にとまれば、売ったらお金になるけど武器としては役立たずの骨董アイテムにもなるでしょう……」
「……そうしたら、冒険者が本物を求めてダンジョンを訪れる回数も増える、かと」
この説明で二人に分かってもらえるだろうか。
――つまりは、
ゲームに良くある、ベーシックな設計。時間と手間を消費させ、
……冒険者からすれば、良い迷惑かもしれないが。
「……――――」
二人が、まじまじとこちらの顔を見つめてくる。
いけない、何か〝失敗〟したか……?
こうして直接見つめられるのは、苦手だ。少しだけ目線をそらし、手を引き下げようと……。
「いや、ただの思いつきなんで――」
「――それ、いいね! 発注元には頭下げ……いや、そういう売り込みをしてもいい!」
アスカの顔が明るくなる。
きっと、彼女はこの〝仕様〟を理解してくれた。
たった一つの冴えた方法、という訳ではないが、今回は機能する可能性が高いことを、きちんと認識してくれたようだ。
「メイちゃん、本物の方をラインに乗せるまでにどれくらい――」
「こ、こ、こ、これから仕上げるっス! ラインに乗せるまで特急で半日あればなんとかなるっス!」
肩を揺さぶられながら答えるメイ。
半日で本物が量産に入れるなら、比率的にも、そうひどいことにはならないだろう。
「よし、それならその方向で対応しよう! メイちゃんは本物の方がライン乗ったら連絡して!」
「了解っス!」
檄を飛ばすアスカ。
彼女の中で、対応方針が定まったのだろう。
今回の〝バグ〟を〝仕様〟として、発注元に新しい提案をすることに決めたのだ。
本来ならば、ミスを認めた上で提案を仕掛けるのが筋なのかもしれないが、そこは百戦錬磨といったところ。
ミスを無かったことにして、逆に発想という恩を売る。
リスクを下げ、リターンを上げる。利口で、あくどく、抜け目がない商人のやり口を取ろうというのだ。
これで表情がまさに商人のそれ、という様であれば苦笑もしようというものだが。
彼女の表情は、新しいおもちゃを見つけた子供のようだった。
「雨宮くんは、売り込み用の書類作るの手伝ってくれる? これは結構イケそうだよ!」
口に出した以上、その責任はある。言い出しっぺの法則、という奴だ。
言われずとも、手伝うつもりではあった。
だから、頷きながら笑みを返す。
「よし! それじゃあ、行動開始!」
彼女の指示で仕事に取りかかろうと立ち上がった所、同じく立ち上がったメイに、右手を握られ、上下に激しく揺すられた。
最早泣いているのか笑っているのか、分からないような表情だ。だが、声は喜んでいるのが分かる。
「雨宮さん! めちゃくちゃ恩に着るっス! これがうまく行ったら、今度ウチが何でもお願い聞いてあげるっス!」
「い、いえ、……これも仕事ですから」
何でも聞いてくれる、なんてそう簡単に言われても困ってしまう。
ひとまず、彼女の服装は目のやりどころに困るから、服をちゃんと着て貰おうか……等と考えていたうちに。
「とりあえず戻ってすぐ仕上げに掛かるっス! ありがとうございましたっスーーーー!!」
彼女は、来た時と同じように、ドアを弾き飛ばす勢いで出て行った。
「……とりあえず、何とかなってよかったです」
「雨宮くんがいてくれて助かったよ! それじゃ、皆が来る前に色々始めちゃおっか?」
幸い、始業前だからまだ誰も出社してきていない。
今回の事を知るのは、アスカと、自分と、メイ……場合によっては創造部の幾人か、だ。
この手の事を、内々に済ませるのなら知っている人間は少ない方がいいのは道理というものだろう。
そう考え、始業より少し早めのうちから、仕事に取りかかることになった。
―――――― ◆ ◆ ◆ ――――――
――後に、今回の顛末を聞いたところによれば。
その外れアイテム――通称〝残念剣〟は、本来の〝斬鉄剣〟と名前が似ているのもあって、数多の冒険者を惑わしたと言う。
その結果として、せっかく手に入れたレアアイテムが外れだったことに気づかず、意気揚々と装備して痛い目を見た冒険者が居たとも。
あるいは、ごく一部の骨董的な価値を見いだす者によって、売却アイテムや交換アイテムとしての立場を得たとも。
はたまた、ある国の侍が己の自我、雑念を断つ修行の為に用いて、名の通り〝残念を断つ剣〟として、その流派の免許皆伝の証となったとも。
斬鉄剣も、残念剣も、どちらも正しく、あるべき立ち回りに収まったらしい。
ちなみに、発注元であったダンジョンマスターの神々からは、斬鉄剣の
ちなみに。
メイにツナギをちゃんと着てもらうお願いは、色々あって一蹴されることになった。ひとまずのお礼として、彼女が作った鉢植えをひとつ貰ったので、神祇部の隅っこで育てることにした。
――ごめん、見知らぬ冒険者達。
――――――――――――――――――
◆バグ(Bug)
本来想定された挙動とは違う挙動をする事全般を示します。
このバグを取り除く為のテスト作業を「デバッグ」と呼びますが……。
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